今日から、契約家族はじめます

浅名ゆうな

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!コミカライズ発売記念!

◇コミカライズ1巻◇発売お祝いSS 2―後編

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 ひなこの躊躇いを察知した青年が、ふと苦笑をこぼす。
「駆け落ちをした従姉が、初めて連絡を寄越したんだ。といっても消印のない写真付きハガキが一通なんだけど、これに子どもを二人抱えた姿で写っていて、もう大騒ぎで」
「駆け落ち、ですか……」
「結婚に大反対されて、軽率に行方をくらましていたんだけどね。一応本家の一人娘だから、本家の血を継ぐ長男と長女の誕生だって、さも大事件かのように。本家が今後どう対応していくのか見物だね」
 先ほどまでの穏やかさをかなぐり捨て、青年は棘満載の笑みで皮肉を口にする。恐ろしく腹に据えかねているらしい。
 言われてみれば、彼の横顔からは疲労が見て取れた。
 よく分からないけれど、上流階級ならではの厄介ごと、というやつかもしれない。
 ひなこは、子どもを抱えて悩むくらいなら軽率に実家を頼ればいいと思うのだが。
「えっと……でも、それほど想える人に出会えたってことは、いいことですよね」
「周囲に色々と迷惑をかけておいて?」
「うぅ……確かに心配させてしまうのはよくないかもしれませんが、そんな意地になって否定しなくても……」
「そっちこそ、何でそこまで向こうの肩を持とうとするの?」
 意地というか、彼は本気で分かっていないようだった。
「……もしかして、人を好きになったこと、ない感じですか?」
 ふと漏らしたひなこの疑問に、彼は過度な反応を示した。苦虫を噛み潰したような顔を見る限り、図星のようだ。
「大丈夫、恥ずかしいことじゃありませんよ。私も同じく初恋もまだです」
「なぜ恥ずかしげもなく胸を張れるのか分からないし、なぜそんな君に励まされなきゃいけないのか」
 髪をぐしゃぐしゃに乱しながら口をひん曲げる青年は、完全に拗ねている。そんな顔も楓に似ていた。
「……愛だの恋だの、よく分からない。どうせ親が決めた相手と結婚しなくちゃいけないんだから、そんな感情無駄だろう」
 唇の隙間から無理やり押し出した、ごくかすかな声。
 ひなこは虚を突かれて口を噤んだ。
 青年がどのような環境で育ったのか知らないが――頑なに愛を否定する姿はどこか痛々しい。年齢はさほど変わらないはずなのに、子どものような危うさを感じた。
 無駄かどうかは、ひなこにも分からない。
 けれど、既にこの世にいない父を語る母は、いつも幸せそうだった。
 それを無駄なことだと否定したくない。
「たとえどのような出会いだろうと、結末だろうと……地位とか名誉とか全部放り出しちゃうくらい想える人がいたなら、それは奇跡みたいなことです。あなたの従姉の方も、きっと今とても幸せだから、ハガキを送ったんでしょうね」
 青年は半眼になってひなこを睨んでいたけれど、それも長続きしない。
 なぜかますます拗ねたようになって、そっぽを向いてしまう。
「……まぁ、僕だって不幸を願ってるわけじゃないけど。何だかんだよく遊んだ……というか散々振り回されて遊ばれ続けた仲だし」
 おそらく彼らには、それなり以上の交流があったのだろう。
 だから心配になるし、嫌みの一つも言いたくなる。本当にただ拗ねていただけなのだ。
 しばらく科学室内に沈黙が訪れる。それを破ったのは青年だった。
「……奇跡、か」
 感じ入るような響きに、ひなこも小さく頷き返した。
「恋愛結婚でもお見合い結婚でも、それを幸せに繋いでいくのは自分達次第です。出会いを素敵な宝物にするのも」
 母との思い出だってそう。
 共に笑い合った記憶は未だにひなこの胸を締め付けるけれど、あの日々は確かに幸福なものだった。
 喪った哀しみにばかり目を向けるのではなく、宝物のように顧みて笑っていたい。
 少しずつでいいから、そう思えるようになっていきたい。
 じっとひなこを見つめていた青年は、やがて笑顔で頷いた。
「……うん、そうだね。出会いって、奇跡なのかもしれない。こうして君や、おいしい手作りクッキーに出会えたこともね」
 いたずらっぽく肩をすくめた彼が、最後のクッキーを口に放り込む。
 ひなこは頷き返してから立ち上がった。
 空になった包みを捨てるためだったのだが……立ち上がりかけたところで、意外な強さで引き留められる。
「えっと、どうかしました?」
「……えっ。あれ?」
 当然、腕を掴んでいるのは青年なのだが、なぜか彼の方も困惑しているようだった。
 狼狽えながら、視線はひなこと自分の手の間を何度も往復している。
「もしや包みを捨てられたくない……つまりクッキーの細かな欠片さえ食べたいという、飽くなき食への欲求?」
「僕はそんなに意地汚くない。というか、御園学院百十年の伝統においてもそんな人間は一人もいないと……」
 そこで青年は、不意に目を瞬かせた。ひなこに少し顔を寄せながら、首を傾げる。
「そういえば今さらだけど、君の名前を聞いてもいい? 僕は三年なんだけど、見覚えがないから後輩かな?」
「え? いや、私も……」
 言いかけ、ひなこははたと気付いた。
 確か御園学院は開校から百二十年ほどだったはずだし、自分も彼と同じく三年だ。
 それこそ、違和感はもっと前からあった。
 綺麗な顔立ちの、際立つ長身。これほど格好いい生徒なら当然有名なはずなのに、ひなこは彼を知らない。
 ――そうだよ……楓君と同じくらい格好いいんだから、人気を二分してたっておかしくないのに……。
 同じくらいというか、親戚と言われても納得してしまうくらい似通った点が多い。
 いや、上品で穏やかな印象は、楓よりむしろ……もっと別の人とそっくりではないか?
 黒髪の青年は、黙り込んだひなこをじっと見つめている。その目じりには、見覚えのあるほくろが――……。
「――――ひなこさん!!」



「……あれ?」
 目の前に、心配そうにこちらを覗き込む雪人の顔がある。
 彼の切れ長の瞳と、目じりにあるほくろをぼんやりと見つめながら、ひなこは何度も目を瞬かせた。
 学校を出てすぐに買いものを済ませ、一休みしたところだった。
 今ソファで目を覚ましたということは、あれは夢だったのか。
「すみません、少し休むつもりが寝ちゃってたみたいです」
「疲れているのなら、無理だけはしないでください。まだ本調子じゃないみたいですし、部屋でゆっくり休みましょう」
 雪人からの余裕のある気遣い。普段通りの、穏やかな口調と微笑み。
 それなのに、この違和感は何だろう。
 年相応に笑って拗ねる、彼にそっくりな青年の夢を見たせいかもしれない。
 体温計を取りに行く雪人の背中に、声をかけたのは無意識だった。
「あの……もしかして雪人さん、昔は敬語キャラじゃありませんでした?」
 動きを止めた彼が、おもむろに振り返る。そこには、至極怪訝そうな顔があった。
「……急に何を言い出しているんですか? 本当に心から」
 さらに体調を心配されたひなこは、夕食の準備すらさせてもらえず自室に押し込まれるのだった。

               end


(コミカライズを手がけてくださった若村先生のおかげで妄想が捗ってしまって……お目汚し失礼しました!)
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