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本編

頼もしい子ども達

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 揺れない地面で一息つくことができたのは、ほとんど日が暮れかかった頃だった。
 埃がうっすら積もった小屋は、猟師が狩猟の最中に使う休憩場所だろうか。
 ナナセ達は物置のような部屋に押し込まれている。未だ拘束はされているし、一つしかない扉はきっちり施錠されている。小さな窓には木の格子が並び、拘束をほどかれた状態だとしても通り抜けるのは難しそうだ。
 小窓から覗くと、鬱蒼とした森の風景が広がっていた。
 もちろん物音といえば木の葉擦れや動物の鳴き声ばかりで、位置を特定する手がかりになるようなものは何もない。
 王都を出れば全方位が森に突き当たるので、これも手がかりにはなり得ない。
 ナナセは頭の中に地図を描きながら、憂鬱なため息をこぼす。
 さすがにこの時間まで殿下方が帰らなかったら、王宮は大騒ぎになっているだろう。
 王都で彼らの目撃証言を得られなければ、すぐに事件性があると判断される。今頃は騎士団が動き出しているかもしれない。
 彼らの助けをのんびり待ってはいられない。せめて手がかりの一つも報せることができればいいのだが、早々に良案など浮かぶはずもなかった。
 考えすぎて頭が痛くなってきたナナセは、気分を変え殿下方に声をかける。
「皆さま、お腹が空いてはおりませんか?」
 問いかけに答えたのはベルトラートだ。
「空いてはいるが、贅沢など言えない状況だ。気にしなくていい」
「それが、たまたま食料ならあるのですよ」
 拘束されたままのナナセがエプロンのポケットから苦心して取り出したのは、数枚のクッキーだった。
 午前中にリリスターシェと作ったものだ。
 あれ以来すっかり習慣化してしまったお料理教室が、思わぬところで役に立った。
「そういえば、わたくしも」
 同じくクッキーを持っていたリリスターシェに、ベルトラートは半眼を送る。
「リリィ、ナナセとクッキーを作っていたなんて聞いていないぞ。まさか、独り占めしようと考えていたのではあるまいな……?」
「ヴァンとお兄様には、城に帰ってからお渡ししようと思っていたのです。遊びに行く前にお腹を満たしては、楽しめないこともありますでしょう?」
 ニッコリ天使の微笑みを浮かべているが、主に買い食いについて指しているのだろう。
 ベルトラートもあっさり納得しているし、おそらくかなりの常習と見た。料理人泣かせな会話に、ヴァンルートスも苦笑している。
「ベル、今は食べものを確保できたことを喜ぼう。彼らの思惑が分からない以上、安心して食べられるものがあるのは運がよかった」
「ふん。出された食事が最後の晩餐だなんて、笑えもしない冗談だ」
 少年達の軽口を聞きながら、ナナセは背筋が凍るような思いだった。
 彼らはまだ幼いというのに、毒殺という恐ろしい可能性にまで考えが及んでいたのだ。
 ――さすが、人の上に立つため徹底的に叩き込まれているだけあるってことか……。
 感心しつつ、十枚のクッキーを分ける。
 拘束が後ろ手でないため、少しくらいなら自由が利く。一口大のクッキーをさらに半分に割って食べた。
 今後のことも考えれば節約は必須なのだが、腹の足しになった気は全くしない。
 欠片も残さず味わいきったところで、鳥の鳴き声が耳を打った。
 灰色の羽毛に黒いまだら模様の鳥が、窓辺に佇んでいる。
 つぶらな黒い瞳で、目尻だけが赤い。
 小鳥は格子を容易くすり抜けると、木板の床に降り立った。目当ては分け合う際に落とした、ほんの僅かなクッキーくずらしい。
「鳥ってクッキーも食べるんですね……」
「穀物が主食だものね」
 リリスターシェの返答に納得するも、糖分のとりすぎが心配になってしまう。
「この鳥は……」
 ベルトラートが呟いた時、扉の錠が外された。驚いた鳥が飛び去っていく。
 ゆっくりと開いていく扉から、光が差し込む。小さなろうそくだ。
 頼りなく揺れる明かりに照らし出された顔は、あの文官のものだった。
 ナナセは殿下方を体で隠すように進み出る。彼らがいくら聡明であっても、矢面に立つのは自分でなければならない。
「夕食をお持ちいたしました」
 青年がトレイで運んできたのは、食料だった。質素ながらパンが三つとチーズ、水差しまで用意されている。
 エクトーレの下で何度か顔を合わせていた彼が荷馬車に乗り込んで来た時は、衝撃で口を利くことさえできなかった。
 文官の青年はナナセ達の手首の縄をほどいていく。それでも警戒心の塊となって注視していれば、小さな苦笑をもらした。
「不審に思うのも無理はありませんが、水くらい飲まなければこの先保ちませんよ」
「これが飲めるかどうかさえ、私達には確認する方法がございません」
「毒の心配ですか。殿下方を殺すつもりはないですから、その点は安心してください」
 青年は少量の水をグラスに移すと、それを一息にあおってみせた。
「この通り。川が近いとはいえ、腹を下すかもしれない水を飲ませたりもいたしません」
 彼の言葉に、ナナセの心臓が跳ねた。
 ――川が近い……王宮から馬車で数時間の距離にある川は、一つだけだ!
 どうやら王宮の東、ディシェンド王国がある方角に向かっているらしい。
 大きな手がかりは得られたけれど、喜んでばかりもいられない。
 元は一つであったためか、ディシェンド王国との国境は王都からとても近いのだ。
 もし犯人らが国外へ脱出するつもりならば、国境を越えた途端騎士達には手出しができなくなる。それは、最悪の事態だ。
 ――何とか国境を越えてしまう前に、脱出できれば……。
 ディシェンド王国との国境には高い山が立ちはだかっているため、二ヶ所ある検問のどちらかを必ず通るはずだ。
 山越えの可能性は低い。
 毎年少なくない死者が出るほど峻厳な山を、子連れで越えるのは困難だ。
 ましてや彼らは王族、街の子ども達より非力で、体力がない。
 彼らの目的が王族の殺害にあるなら、道中のどこで殺されていてもおかしくなかった。それでもこうして生かされているのは、死体では意味がないからだと推測できる。
 彼らの安全を考えるならば検問が無難だ。
 ――まぁ、その理論に当てはまるのも、やっぱり王族だけなんだけど……。
 いや、きっと騎士団が捜索にあたっている。悲観的になるよりもまず、少しでも多くの手がかりを得るのだ。
「……あなたが、エクトーレ様を裏切るとは思いませんでした」
 顔を合わせれば挨拶をする程度の仲だったため、青年の名前は知らない。
 彼は表情一つ動かさなかった。
「あなた方の目的など知りもしませんが、歴史を紐解いてみたって悪事が成功した試しはありません。厳しい検問をすり抜ける策は、おありですか?」
 二ヶ所の検問の内、どちらを抜けるのか。そして、どのような方法を用いて通過するつもりなのか。
 会話からどうにかヒントを引き出せれば。
「荷馬車を使用しているからには商人として検問を通過するつもりでしょうが、荷物は必ずあらためられるはず。私達全員を隠すことが、本当にできるでしょうか? 諦めた方が身のためでは?」
 青年は柔和な笑みを浮かべたまま、ようやく口を開いた。
「……私から情報を引き出したいのでしょうが、下手に首を突っ込まない方が身のためですよ。特にあなたのような、巻き込まれただけの人間はね」
 今まで聞いたことのないような声音に、ナナセはぐっと押し黙る。
 丁寧な口調に変化はない。
 けれど淡々と、どこか突き放すように脅しをかける姿は、あの穏やかそうな青年と同一人物とはとても思えなかった。
 その時、沈黙が支配する張り詰めた空間に、場違いな笑い声が響いた。
「――大人しそうに見えて、なかなか言うじゃねぇか。かつて同僚だった女相手によぉ」
 ナナセがギクリとしながら視線を向けると、扉口にはいつの間にか新たな人影があった。あの、蛇のように冷たい目付きの男だ。
「だが、確かにこそこそ嗅ぎ回られると厄介だな。面倒くせぇからここで捨ててくか?」
 捨てる、というのがただ置き去りにされるだけとは考えにくい。
 隠しようのない殺気を向けられ、ナナセの背中を冷たいものが伝っていく。
 みっともなく震え出しそうになったが、今度は堪えることができた。
 子ども達を守ると決めたのだ。負けじと視線を跳ね返すと、男は面白そうに笑う。
「へぇ、いい度胸してやがる」
 興味を引きたかったわけではないのに、男はナナセに歩み寄ってくる。
 鋭利な殺気はそのままなので、今にも殺されてしまうのではと動悸が激しくなった。
 男のかさついた手が、ゆっくりと近付く。
 何をされるか予想もつかず、反射的に目を瞑る。けれどその手がナナセに届くことは、ついぞなかった。
 リリスターシェが泣き出したためだ。
 突然の事態に目を瞬かせていると、ヴァンルートスが泣きじゃくる少女を慰めるように肩を叩いた。
「その者は、リリスターシェ王女殿下が最も信頼する侍女。彼女がいるから平静を保つことができたが、もし失えば手が付けられなくなるだろう」
 慎重な口振りの少年に、文官も頷いた。
「ここに捨て置いても、追っ手に手がかりを与えるだけですしね」
 もっともな意見に、男は舌打ちをしながら物置部屋を出ていく。文官の青年もそのあとを追った。
 しっかり施錠された部屋は、青年が残していったろうそくの明かりに照らされている。
 しばらくは何とも言えない沈黙が漂っていたが、やがてリリスターシェがムクリと体を起こす。美しい若葉色の瞳は、しっかりと乾ききっている。
「よかったわ。一先ず、危機は乗り越えられたようね」
「お上手でしたよ、リリィ」
 このような状況下で、軽んじられているナナセを守るため嘘泣きを演じて見せたリリスターシェ。
 最も信頼する侍女だとか、咄嗟の機転でありもしない嘘を並べ立てたヴァンルートス。
 守りたいなどと、思うことすらおこがましいかもしれない。
 冷静で聡明で、その上度胸もある子ども達は、相当に頼もしかった。

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