上 下
28 / 30

第28話

しおりを挟む
 一週間後、晴れた昼下がり。
 シルフィアは久々にどんぐり亭を訪れていた。クチナシが、本当に事件解決を祝ってくれることになったのだ。
 集まったのは作戦に協力してくれていた面々。
 つまり、前世での養い子全員が、初めてシルフィアを交えて一堂に会するのだ。
 若干緊張しつつ、いつものようにモクレンを同伴し入店する。店内には既に全員が揃っていた。
「よう、嬢さん。待ってたぜ。モクレンも」
 体格のいいクチナシが、待ちわびた風情で出迎えた。
「こんにちは。今日はお招きいただきありがとう」
「そうかしこまるなよ。料理以外何にもないが、遠慮しないでくつろいでいってくれ」
 ニコリと笑う彼の溌剌とした表情は少年のようで、つられて笑ってしまった。
「あら、うちのメイドが褒めていたわよ。料理がおいしいだけじゃなく、とても素敵な店主がいるのだと」
「アハハ。俺はこの通り目が細いから、常に笑ってるように見えるんだよ。客商売には便利だけどな」
 クチナシはおどけて肩をすくめつつ、シルフィアをテーブルに案内する。ほとんど輪の中心のような位置で、領主の娘として気を遣われたのだと思うと居たたまれない。
 テーブルには、既に幾つかの料理が並んでいた。
 まだホカホカと湯気の立つ骨付きチキンや、海老や野菜のフライ。ロントーレ地方定番のグリルには、ベーコンとたっぷりのチーズが載っていた。
「とても豪華ね」
「歓迎パーティの食事には遠く及ばないけどな」
「招待しなかったこと、まだ根に持っているわね?」
 苦笑しながらグラスを持ち上げる。
 他の面々はワインだが、シルフィアは葡萄のジュースだ。飲酒は十六歳から許されているが、父が厳しいため口を付けたことすらなかった。
「それでは僭越ながらご挨拶を。この度、無事連続通り魔事件が解決いたしました。これも、皆さまの尽力のおかげです。今日は存分に楽しみましょう」
 乾杯し、早速食事に手を付ける。
 丸いフライの中身が気になったシルフィアは、中央にナイフを入れる。
 中からトロリと出て来たのは、濃厚な卵黄。丸ごとの玉子の周りを、薄くひき肉が覆っていた。
「まあ! 玉子のフライなんて初めて見たわ!」
「半熟にするのが難しいんだぜ。ホラ、こっちの別にしてあるソースを付けて食べるんだ」
「うー、おいしいわ。さすがクチナシね」
 黄身のこくとトマトソースの絶妙な調和を味わっていると、反対側からラザニアの載った皿が差し出された。
「へぇ、知らなかったなぁ。シルフィア嬢、クチナシとも結構仲いいんだ」
「いただいてもいいの? ありがとう、エニシダ」
 ミートソースとホワイトソース、パスタ生地とチーズの織り成す層が美しい一皿を、シルフィアは受け取った。
 彼も長兄らしく世話好きなところがある。
「このお店に来るのは初めてではないし、ユキノシタ様の孤児院でも一度会っているのよ」
「へぇー。そのわりに呼び捨てとか、何か親密じゃん」
「初対面からくだけた態度で接していたせいかしらね。そういうエニシダのことも呼び捨てにしているじゃない」
 なぜどことなく拗ねた雰囲気なのか分からない。
 不思議に思いながらモリモリ食べ進めるシルフィアの頬に、彼は珍しく神妙な顔で触れた。
「……完璧だと思ったけど、全然守れなかったな。シルフィア嬢の可愛い顔が傷付いちまうなんて」
 どんな時でも呼吸するがごとく褒め言葉を垂れ流すエニシダに、思わず苦笑を漏らした。
 その笑顔をどう解釈をしたのか、彼はニヤリと片頬を上げながらさらに身を乗り出す。そこに神妙さなど欠片も残っていなかった。
「傷ものにしちゃった責任とって、結婚しようか?」
 冗談でも、軽々しく結婚などと口にするべきではない。という考え方は潔癖すぎるのだろうか。
 あまりの軽薄さにため息がこぼれる。
「心配しなくても、ほとんど痕は残っていないの。ガーゼだってもう必要ないのに、モクレンが心配性すぎるのよ」
「そりゃあんたが可愛いからからだろ。この綺麗な髪一筋だって、傷付いてほしくない」
「ーー何を口説いてるんですか、エニシダ?」
 背後から、冷たい声が割り込んだ。モクレンだ。
 彼は表情を凍えさせながらも、シルフィアの前に次々と皿を置いていく。食べやすいようほぐされている骨付きチキンに、カットされた果物。
 なぜ養い子達は、揃いも揃って甲斐甲斐しいのだろう。無意識なのだろうが首を傾げざるを得ない。
 シルフィアが並べられた料理を眺めている横では、モクレンがエニシダを完全に敵認定していた。
 両者の間をひんやりした空気が流れている。
「いくらエニシダといえど、俺の許可なくシルフィア様に近付かないでください」
「なぁんでいちいちお前の許可がいるんだよ」
「シルフィア様が、俺を選んでくださったからです。もうあなたの出る幕はありませんよ」
 彼の宣言に、店内は水を打ったように静まり返った。ツバキやユウガオまでこちらに注目している。
 ユキノシタがパンの載った皿を置きながら、恐る恐るといったふうに疑問を呈した。
「シルフィア様……モクレンと、お付き合いをされているのですか?」
「お、お付き合い!?」
 どことなく悲壮な面持ちで問われ、動揺した。
 そもそも想いは伝え合ったが、何か約束を交わしたわけでもなかった。恋愛初心者にはどういった流れで付き合いだすのか、いまいち分からない。
『お付き合い』という単語一つで容易く頭が沸騰し狼狽えるシルフィアだったが、代わりにエニシダが口を開いた。
「見たところまだ付き合ってないようだし問題ないだろ」
「問題しかないです!」
 悪びれない義兄に、モクレンが素早く言い返す。
 その時、カウンターで興味なさそうにワインを飲んでいたシオンがぼそりと呟いた。
「問題が多いのはモクレンの方だろう。僕のように貴族の身分がないのだから」
 彼の発言に、どんぐり亭に再び沈黙が訪れる。
 今度はしんと底冷えした、寒々しい静寂。けれど次の瞬間、蜂の巣をつついたように騒がしくなった。
「何で今シオンまで参戦したんですか!?」
「お前、まさか……!」
「いや聞きたくない! 俺は絶対に聞きません! くそ、せっかく予防線を張っていたのに……!」
「予防線?」
 発言の意味が理解できず、シルフィアは彼らの動揺ぶりに戸惑うしかない。
 モクレンが、店中に響き渡る声で叫んだ。
「シルフィア様は俺を受け入れてくださったと言ってるでしょう! 二人の間に他の奴が入る余地はありません!」
 きっぱりと宣言され頬が熱くなる。
 反対に、エニシダやシオンの反応は淡白だった。
「そうかぁ? そのわりにお前、いつまで経っても敬語が抜けないじゃねぇか」
「対等な立場には程遠いな」
「対等になるんです! これから!」
「そうなる前にシルフィア嬢があっさり心変わりしちまったりしてー」
「憐れだな」
「勝手な未来予想図で憐れむな!」
 既にシオンは義兄達に敬語すら使っていないが、あれでいいのだろうか。
 ユキノシタは派手な兄弟喧嘩にオロオロし、クチナシは酒を片手に見物を決め込んでいた。
 エニシダが、モクレンを挑発するように笑う。
「俺ならシルフィア嬢に、欲しいもの何でも与えてやれるんだぜ? 世界中色んなところを一緒に回ったっていい。二人でなら、旅もきっと楽しいさ」
 追従するようにシオンが発言する。
「僕は家を継がねばならないけれど、おそらく願い出れば共同統治というかたちで受理されるはずだ。幸いロントーレとは領地が隣接している。しかもララフェルは工業に特化しているから、この地の特産である羊毛を今よりさらに活用できるだろう」
 末弟の主張に、今度はモクレンとエニシダが揃って引き気味になった。
「シオン……。お前もしかして、今までに人を好きになったことないだろう」
「それじゃ口説くっつーか交渉じゃねぇか。ないわー」
「なぜだ。利点は大切だろう」
「ーーというかあなた達、女性を口説いて競い合うのはどうかと思うわよ」
 くだらない張り合いにシルフィアは口を挟んだ。
 冷めた反応に、モクレン達は驚愕を見せる。
「本人に全く刺さってない、だと……!?」
「刺さるわけがないでしょうが」
 いちいち恥ずかしいことを言うモクレンに照れていたのも、始めの内だけ。
 あまりに馬鹿馬鹿しい小競り合いに、次第に半眼になるばかりだった。兄弟喧嘩に興味はない。
 突如勃発した謎の口論を遠巻きに眺めていたツバキが、感心したように頷いていた。
「こんなに喋るシオンを見るのは久しぶりだなぁ」
 嬉しそうなツバキに対し、ユウガオは渋い顔だ。
「というか、あれは放っておいていいのか?」
「本音を言い合える、というのはいいことさ」
 ユウガオは、大きな体を縮めて項垂れた。
「ならば俺も、仲間に入れてもらうべきだったか。すまない。俺はどうも頭が固い……」
「ユウガオはいいんだよ。ありのままのあなたが、私は好きなんだから」
 気を逸らすためか、ツバキがユウガオの口元に料理を運んだ。彼は恥ずかしそうにしながらも素直に頬張る。
 慌てて周囲を見回しているが、もう遅い。麗しい触れ合いを、シルフィアがバッチリ観賞していた。
 ーーた、堪らないわ……。
 まだギャアギャアと騒がしい男性陣に気付かれぬよう、こっそり身悶える。
 シルフィアは衝動を誤魔化すため葡萄ジュースを勢いよくあおった。途端、喉がカッと焼かれたように熱くなる。
「ケホッ……」
「シルフィア様!?」
 モクレンに背中をさすられながら、何度も咳き込む。血液が逆流するような感覚に、ひどい目眩。
 堪らず、クラクラとする頭をテーブルに預けた。
「俺のワインを飲んだのか。……大丈夫ですか、シルフィア様? 今まで飲酒をしたことは?」
 モクレンはシルフィアが持つグラスに気付き、そっと取り上げた。問いかけに、前世でならば経験済みだと頭の中でのみ答える。
 ーー間違えて、お酒を飲んでしまったのね……。
 これが酔いかと、妙に冷静に納得する。
 クシェルはどれだけ飲んでも酔わなかったが、シルフィアは逆に酒を受け付けない体質らしい。
 大丈夫。心配いらない。
 そう言おうとするのに、口が思った通りに動かない。何一つまともに考えられない。
 頭の芯に残るのは、本当に伝えたいことだけ。
 ただ本能のまま、シルフィアは体を起こした。

「ーーーーおう。お前ら」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

根暗令嬢の華麗なる転身

しろねこ。
恋愛
「来なきゃよかったな」 ミューズは茶会が嫌いだった。 茶会デビューを果たしたものの、人から不細工と言われたショックから笑顔になれず、しまいには根暗令嬢と陰で呼ばれるようになった。 公爵家の次女に産まれ、キレイな母と実直な父、優しい姉に囲まれ幸せに暮らしていた。 何不自由なく、暮らしていた。 家族からも愛されて育った。 それを壊したのは悪意ある言葉。 「あんな不細工な令嬢見たことない」 それなのに今回の茶会だけは断れなかった。 父から絶対に参加してほしいという言われた茶会は特別で、第一王子と第二王子が来るものだ。 婚約者選びのものとして。 国王直々の声掛けに娘思いの父も断れず… 応援して頂けると嬉しいです(*´ω`*) ハピエン大好き、完全自己満、ご都合主義の作者による作品です。 同名主人公にてアナザーワールド的に別な作品も書いています。 立場や環境が違えども、幸せになって欲しいという思いで作品を書いています。 一部リンクしてるところもあり、他作品を見て頂ければよりキャラへの理解が深まって楽しいかと思います。 描写的なものに不安があるため、お気をつけ下さい。 ゆるりとお楽しみください。 こちら小説家になろうさん、カクヨムさんにも投稿させてもらっています。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

紫苑の宝玉 亡国王女と勿忘草

sera
恋愛
小さな村に住む記憶喪失の少女の元に、贈り物が届く。配達人はセインと名乗る綺麗な男だった。しかしその日、少女の家は何者かに囲まれ、訳の分からないまま、何かしら事情を知るセインに助けられる。そして、彼から自分の"器"が持つ罪業を知らされる事となり、"器"を自分のモノにするためにセインと共に行動するようになる。ある時、住んでいた村のことを思い出し、さらに隠された真実へと少女は近付いた。そうして"器"を完全なものにするためにセインと共に旅に出ることとなった少女。見た目と裏腹な性格の彼に翻弄されつつも段々と惹かれ、彼の正体を知り、同時に忘れていた思い出が蘇っていくのであった。 (思い付きでかいているため差異が出ます。完結後にちゃんとしたあらすじを書く予定)

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

処理中です...