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第22話

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 シルフィアとモクレンはその場で別れた。
 ダンスのあとは、子ども達の合唱の時間だ。
 彼らが歌うのは女神を讃える賛美歌で、微笑ましい歌の贈り物に誰もが目元を和ませている。
 指揮をするユキノシタもどこか誇らしげだ。
 一時のこととはいえ、シルフィアの中にわだかまる自己嫌悪も薄らいでいた。
 モクレンを傷付けてしまったことに変わりはないけれど、子ども達の元気な歌に救われる。
 ホール中に響き渡る合唱が終わり、聴き入っていた大人達から温かな拍手が起こった。
 その合間を縫うように、エニシダが声を上げる。
「次はどうぞ、シルフィアお嬢様も!」
 名指しされ目を瞬かせている内に、周囲の者達まで次々に賛同していく。
「シルフィア様、一緒に歌おう!」
「嬉しいな! 早く早くー」
 楽しそうに手招きをする子ども達に首を振るなんて、到底できそうもない。
 きっと少しくらい失敗しても、ほろ酔いの大人達は大目に見てくれるだろう。シルフィアは今日のために設置されたステージへと、笑顔で進み出た。
 歌うのはまた賛美歌。アルファタル王国の民ならばほとんどが口ずさめる、有名な曲だ。
 大地に豊かな恵みを、人々に救いと安寧をもたらす女神へ、感謝を捧げる歌。
 子ども達の傍らに立つと、ユキノシタと目が合った。
 彼の穏やかな微笑みに励まされ、シルフィアも心を込めて歌い上げていく。
 短い歌なので、演奏はすぐに終わった。
 同時に耳を割らんばかりの拍手喝采が起こる。
 面食らって立ち尽くすシルフィアは、いつの間にか近付いていた父に抱き締められた。
「素晴らしかったよ、シルフィア。私の宝物だ」
「お父様……」
 胸が苦しくなった。
 これから行うことは、優しく抱き締めてくれる父に対する裏切り行為のように思える。
 ーーでも、これ以上罪のない民が傷付くのは耐えられないし、お父様も巻き込みたくない……。
 罪悪感に胸が痛み、弱く抱き返すことしかできない。
 それでも興奮と感動のためか、クロードが娘の葛藤に気付くことはなかった。
 二人が揃ったことで、招待されていた街の人々が集まり出す。あくまで気軽なものだが、挨拶をするための列が形成されていく。
「とても素敵な演出でしたよ」
「子ども達と共に、可愛らしい歌声だった」
「私達の街を救ってくれてありがとう、お嬢様」
 感謝の言葉までかけられ、シルフィアは一人一人と笑顔で会話していく。
「シルフィア様、素晴らしかったです」
 そしてある少年の番になった時、隣に立っていたトーカの表情がみるみる強ばった。
 シルフィアは、少女を庇うように屈み込む。
「ーーあら。大勢の前で歌って、緊張したのかしら?」
 ドレスの裾をぎゅうっと掴むトーカを宥めるように、そっと背中を撫でる。
「心配ですし、少し客間で休ませましょうか。私が付き添っていますので、ユキノシタ様は他の子ども達に付いていてあげてください」
「ありがとうございます、シルフィア様」
 話はすぐにまとまった。
 トーカは何とか歩けるようだったので、手を繋いで会場をあとにする。
 ロントーレ邸は使用人の数が少ないため、パーティともなるとミーナまで駆り出されてしまう。
 娘の一人歩きを心配したクロードが念のため護衛をと言うので、シルフィアはシオンを選んだ。
 ホールは屋敷の離れなので、扉を出た瞬間屋外の暗闇に包まれる。肌を撫でる暖かな風がやけに鮮明に感じる。
 会場から漏れる柔らかな光を背に歩き出す。
 トーカはホールをチラチラと不安げに振り返ったが、何とか宥めて客間まで案内する。
 忙しそうな使用人に心苦しくなりながらも彼女の世話を任せ、再び会場へ向かった。
「ーー聞いていいか。なぜ、僕を選んだ?」
 ずっと黙っていたシオンが、ポツポツと続ける。
「あんたは、モクレンを最も信頼しているように思う」
 もはや彼に敬語を使うつもりはないようだが、特に気にすることなく答える。
「ええ。信頼しているわ、誰よりも」
 ならばなぜ、と無言で催促されている気がして、シルフィアは肩をすくめた。
 トーカを安全な場所まで連れ出せたし、これで懸念材料はない。もう必要以上に気を張ることもないだろう。
「だって見せられないわ。意中の殿方に、野蛮な姿など」
 シオンは、面食らっているようだった。
 それは意中の殿方という単語に驚いたからか、シルフィアの令嬢らしからぬ態度ゆえか。
 前世を打ち明けた時のモクレンもこんな反応をしていたなと、少し懐かしい気持ちになる。
 難しい顔で黙り込んでいたシオンが、再び口を開く。
「モクレンは、ああ見えて意外と心が狭い。大抵何でも自分を後回しにするけれど、大切なことに限っては絶対に譲らない。しっかりしていると言えば聞こえはいいが、神経質が過ぎるところもあるし」
 シルフィアは目を瞬かせた。なぜシオンは必死になって、モクレンの短所を披露し出したのか。
 ーー何かしら? 義兄への対抗意識?
 不思議に思ったけれど、口に出しはしない。
 子ども扱いを先ほどモクレンを怒らせたばかりだ。
「ええと、シオン様? どうされました?」
「分からない。僕にも全く分からないがーー心臓があんただと言っている」
 深い闇の中、シオンの深い青の瞳がピタリとシルフィアの上で固定される。
 それは宝石のように鮮やかで美しいけれど、夜行性の獣のようでもあった。
「……この魂が揺さぶられることなど、もう永遠にないと思っていた。あんたに出会うまでは」
 強い眼差しと台詞に、居たたまれなくなる。
 これではまるで、真摯に愛を囁かれているよう。
「フフ、ご冗談ばかり。口説かれているのではと勘違いしてしまいそうですわ」
 曖昧に視線を避けながら戯れ言として片付けると、シオンの頬が僅かに緩んだ。
「そうだな。僕も、妙な気分になってきた」
 これまでほとんど表情を動かすことのなかった彼の笑顔を、シルフィアは初めて見た。
 昔と少しも変わらない、柔らかく目を細める仕草。
 何もかもに興味がなさそうだった暗い瞳も、その瞬間だけは温度を持ったような気がした。
 ーーきっと、彼は大丈夫だわ。
 シオンの心にしこりがあるのなら、シルフィアに何とかする責任があると思っていた。
 けれど、違う。モクレンに言われて気が付いた。
 親わしさも懐かしさも。先に逝ってしまった罪悪感さえ、クシェルだけに許される感情なのだから。
 前世はあくまでも前世。
 彼らにとってシルフィアは、他人なのだ。
 ほんの少し寂しいけれど、これからまた新たな関係を築いていくことだってできる。
 そう、信じたい。
 肌を撫でる風を感じ、シルフィアは肩をさすった。
「いけない。私、部屋にストールを忘れてしまったわ。シオン様、悪いのだけれど取りに行ってもらえるかしら?」
 窺う形だけれど、ほとんど強制に近い。
 シオンはしばらく物言いたげにしていたものの、ため息を吐きながら頷いた。
「……いいだろう。すぐ戻るからここで待っていてくれ」
 腰に帯びた剣をカチャカチャと鳴らしながら、シオンが早足で去っていく。その背中が小さくなるまで見守ると、シルフィアはゆっくり瞑目した。
 両サイドに垂らされた金髪が、風に巻き上げられる。
 この時期ロントーレ地方に吹く風は、決して肌寒さを感じさせないもの。未婚令嬢がみだりに肌を見せるのは好ましくないとされているものの、それも古い慣習だ。
 ましてシルフィアは過度な露出をしていない。よってストールには、特に意義などなかった。
 風の音、木の葉擦れ、あるいは虫の囁き。
 それ以外の音を捉えた時、シルフィアは顔を上げた。
 シオンが側を離れたのも、エニシダがシルフィアをトーカに近付くよう誘導したのも、全て計算の内。計画通り。
 唯一犯人の声を聞いている彼女が引き受けてくれたおかげで、犯人の確認も取れていた。
「ーーさて。ようやくお出ましね」
 シルフィアの雰囲気は既に、令嬢らしい淑やかなものではなくなっていた。
 視線の先、闇からぬるりと抜け出るように現れたのは、黒ずくめの人間。
 シルフィアよりいくらか背が低く、体格はごく平均的。けれど深く被ったフードから覗く瞳は、濁った狂気に支配されている。
「……お前なら、俺を待っていてくれると思った」
「あら。囮になってあなたを誘きだしていること、気付いていたのね」
 寒気がするほど病んだ視線にさらされても、もう震えることはない。頼もしい元養い子達の協力がある。
「今だけは、シルフィアだろうがクシェルだろうが関係ない。ーーただ、てめえをぶっ潰す」
 シルフィアは感情の赴くまま、闘争心を剥き出しにして笑った。

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