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第21話
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完全武装のシルフィアは、呟きを拾い視線を動かした。
「ーーモクレン」
彼の側にはエニシダとユキノシタ、それに可愛らしく着飾った孤児院の子ども達がいる。
シルフィアは相好を崩して彼らに近付いた。招待客達が自然と道を譲っていく。
「シルフィア様。その、とても、」
モクレンが何かを言いかけるも、それより先に動いたのは子ども達だった。
「お姉ちゃんお姫様みたーい!」
「ドレス綺麗だな!」
「バカね、お兄ちゃん。こういう時はドレスじゃなくて本体を褒めなきゃ失礼になるのよ?」
「うん、本体も綺麗だ!」
シルフィアを取り囲み、口々に絶賛する。
一部賛辞でないものも交じっているが、シルフィアは気にならなかった。興奮が直に伝わってくる。
「ありがとう。着付けてくれたメイド達と、見立ててくれたエニシダおじちゃんのおかげね」
「そうなんだ! やるね、おじちゃん!」
「いやお前、何でそんな偉そうなの? それにシルフィア嬢まで『おじちゃん』呼ばわりは本当にやめて……」
げんなりしたエニシダが近付いてきて、シルフィアは初めて彼の正装に目を留めた。
「あら。あなたもとても素敵ね」
「素敵だと思ってくれるならお姫様、どうか」
スッと手を差し出され、目を瞬かせる。
楽団の演奏は来客を盛り上げる曲目ばかりだったのに、いつの間にか優美なワルツに移っていた。
夫婦で参加している者達は、ワルツを知らないなりに軽やかなステップを踏んで楽しんでいた。子ども達までくるくる踊っている。
彼らの楽しそうな顔を見ていたら、シルフィアは自然にエニシダの手を取っていた。
「ええ、喜んで」
ホールの中央へと進んでいく。
互いに礼をして、滑るように踊り出す。
やんちゃだった子ども時代を知っているからどんなリードをされるだろうと好奇心半分不安半分でいたのだが、思いの外様になっている。
「お上手なのね。意外だわ」
「夜会に招かれることもあるから、嗜みとしてな」
エニシダが細部までこだわり抜いて選んだドレスは、全体が羽のように軽い。
普段なら足に絡む裾をさばくのに苦心するところだが、おかげでステップだけに集中できる。
空気をはらんで翻るドレスを楽しむ余裕さえあった。
不意に、エニシダの手がいたずらに動く。
指と指とを絡められ、さりげなく付け根の敏感な部分を撫でられる。
シルフィアはくすぐったさに声を上げかけたが、ぐっと堪えて半眼になった。
「ーーどうやら、しつけ直す必要があるようね」
「いって!」
こっそり手の甲をつねって反撃すると、元養い子は小さく悲鳴を上げた。
涙目の彼を冷たく見返し、すまし顔で告げる。
「お痛は駄目よ」
「お痛って……厳しくね?」
「あなたには前科があるもの」
屋敷で遭遇した時、危うく唇を奪われるところだったのだ。このくらいの警戒は当然だろう。
エニシダは不満げにしていたものの、すぐに堪えきれないとばかりに破顔した。
「そのドレス、やっぱりよく似合ってる」
「フフ。ありがとう」
「うんうん、さすが俺」
「今の『ありがとう』は撤回させていただくわね」
褒め言葉と思いきや、単なる自画自賛。シルフィアは思わず笑ってしまった。
それをじっと見下ろしていたかと思うと、エニシダは笑みに甘さを混ぜた。
「上から下まで俺が見立てた衣装に身を包んでるってのは、何かそそるもんがあるな」
「どうせ似たような手口で各地の女性を口説いて回っているんでしょう? いつか刺されても私は同情しないわよ」
冷たく突き放すような皮肉でも、相手が彼ならば平気で口にできる。
どれだけ雰囲気を作ろうと、愛だの恋だの語るような甘ったるい関係ではないのだから。
エニシダも心得ているようで、満更でもなさそうに首をすくめながら嘆息した。
「各地なんて、人聞き悪ぃの。ーーここまで必死になったのは、本気であんたが初めてなのに」
「でしょうね。完璧だもの」
体を寄せ合い囁き交わすも、初々しい恋人達というより同志に近い。二人は息ぴったりにターンを決めると、共犯めいた目配せを交わした。
音楽が静かに終幕を迎える。
エニシダは、体を離すことなく不敵に笑った。
「どう? 何ならこのまま、ずっと二人で……」
「踊るわけがないでしょう」
甘い台詞を遮るように横やりが入る。同時に、エニシダから強引に引き剥がされた。
シルフィアの背後に付いているのはモクレンだ。義兄に対し厳しい眼差しを送っている。
「一商人の立場でロントーレ子爵令嬢を独占しようだなんて、厚かましいにも程がありますよ」
「いやお前、それ単に嫉妬してるだけじゃん」
からかい混じりの指摘に一瞬押し黙ったモクレンだったが、即座にあごを上げた。
「ーー悪いか」
「え……」
「ということで話もまとまったので、次は俺の番です。いいですよね、シルフィア様?」
疑問形だが、同意以外を許さない質問。
エニシダが呆気に取られている間に、彼は傲然ともいえる態度でシルフィアの手を引いた。
なすがままモクレンと向き合う形になる。
目まぐるしく変わる状況についていけない。
彼は冷悧な外見に反して、思慮深く控えめな人間だ。子どもの頃さえこれほどはっきり物事を主張しなかったのに、一体どういう心境なのだろうか。
その上、一緒に踊れるなんて。
次の曲が始まった。
背中に手を添えられ、浮き足立つ心地で一歩を踏み出す。体温が、息遣いが近い。
「あなたまで踊れるなんて思わなかったわ」
緊張を誤魔化すために口を開くと、彼は面白くなさそうに口端を下げた。
「あの男よりはぎこちないかもしれませんがね」
「ぎこちなくても……」
モクレンの方がずっといい。
その言葉は、伝えられずに呑み込んだ。
口にすれば告白めいてしまうと気付き、勝手に頬が熱くなってくる。澄んだ緑の瞳が見つめられず、揺れる銀髪をひたすら目で追った。
謙遜しているが、彼もなかなかダンスがうまい。
フィソーロ代表に必要な技能ではないから、いつどこで覚えたのか少し気になる。
どのように聞き出そうか逡巡していると、モクレンの方が先に口を開いた。
「エニシダと踊って、どうでした?」
「え、エニシダ? えっと……」
戸惑ったが、情熱的な赤茶色の瞳を思い出しながらシルフィアは考える。
「うーん。そうね、罪作りな人って感じかしら」
率直に、彼を好きになった人は辛いだろうと思った。
不実そうな、それでいて魅惑的な笑み。情熱的な口説き文句。瞳に含まれる艶めいた色。
けれどそれは、決して自分だけのものじゃないのだ。
きっと幸せになれないと分かっているのに、それでも惹かれずにいられない。恋に落ちる瞬間さえ、甘い夢を見させてくれない。
悲しい恋しか教えてくれない人。
シルフィアはぼんやりそう感じた。
「エニシダは昔から、いたずらばかりだったものね。私に軽い気持ちで口付けようとしたのも、前世の感覚が抜けていないからなのかしら?」
「ーー唇を奪われかけておいて、あなたはその程度の認識なんですか」
返ってきた声の剣呑さに、シルフィアは口を噤んだ。
恐る恐る顔を上げると、モクレンはひどく厳しく、それでいてやるせないような顔をしていた。
「今は俺達の方が歳上で、あなたよりずっと大きいんですよ。ーー手だって、ホラ」
モクレンの手にすっぽり包まれると、確かに自分の手など子どもにも等しく映る。
急に心許なくなった。よく知っているはずなのに、まるで知らない男性を目の前にしているよう。
それでも、辛そうな面持ちには見覚えがあった。
子どもの頃と変わらない、言いたいことややりたいことを必死に我慢している時の表情。
激情を、必死に押し殺しているようにも見えた。
「あなたは、いつまで俺達のことを子ども扱いするつもりなんですか」
「ーーあ……」
シルフィアは唇を戦慄かせたけれど、言葉は明確な形をなす前に消えていく。
ごめんなさい、なんてとても言えなかった。
彼の指摘はあまりに的確だったから。
クシェルの記憶はあくまで前世。
家族や使用人、領民を大切に思うのも、モクレンに惹かれる感情も、全てシルフィアのものだ。
そのくせ、彼らを子ども扱いしていたなんて。
……クシェルのことなんか忘れて、元養い子達が幸せになってくれればと願っていた。
エニシダやシオンが特に傷付いているのなら、せめてシルフィアとしてできることはないかと。
ひどい思い上がりだ。
もしかして、前世を引きずっていたのは自分の方だったのだろうか。
割り切っているつもりがそうじゃなかった。何も分かっていなかった。
居たたまれなくなり、シルフィアは俯く。
目を逸らしていても感じる、なじるような視線。
心浮き立つひとときになるはずが、美しい調べさえ耳を素通りしていく。
シルフィアはただ、一秒でも早く音楽が終わることを願いながら、息を詰めて足を動かすのだった。
「ーーモクレン」
彼の側にはエニシダとユキノシタ、それに可愛らしく着飾った孤児院の子ども達がいる。
シルフィアは相好を崩して彼らに近付いた。招待客達が自然と道を譲っていく。
「シルフィア様。その、とても、」
モクレンが何かを言いかけるも、それより先に動いたのは子ども達だった。
「お姉ちゃんお姫様みたーい!」
「ドレス綺麗だな!」
「バカね、お兄ちゃん。こういう時はドレスじゃなくて本体を褒めなきゃ失礼になるのよ?」
「うん、本体も綺麗だ!」
シルフィアを取り囲み、口々に絶賛する。
一部賛辞でないものも交じっているが、シルフィアは気にならなかった。興奮が直に伝わってくる。
「ありがとう。着付けてくれたメイド達と、見立ててくれたエニシダおじちゃんのおかげね」
「そうなんだ! やるね、おじちゃん!」
「いやお前、何でそんな偉そうなの? それにシルフィア嬢まで『おじちゃん』呼ばわりは本当にやめて……」
げんなりしたエニシダが近付いてきて、シルフィアは初めて彼の正装に目を留めた。
「あら。あなたもとても素敵ね」
「素敵だと思ってくれるならお姫様、どうか」
スッと手を差し出され、目を瞬かせる。
楽団の演奏は来客を盛り上げる曲目ばかりだったのに、いつの間にか優美なワルツに移っていた。
夫婦で参加している者達は、ワルツを知らないなりに軽やかなステップを踏んで楽しんでいた。子ども達までくるくる踊っている。
彼らの楽しそうな顔を見ていたら、シルフィアは自然にエニシダの手を取っていた。
「ええ、喜んで」
ホールの中央へと進んでいく。
互いに礼をして、滑るように踊り出す。
やんちゃだった子ども時代を知っているからどんなリードをされるだろうと好奇心半分不安半分でいたのだが、思いの外様になっている。
「お上手なのね。意外だわ」
「夜会に招かれることもあるから、嗜みとしてな」
エニシダが細部までこだわり抜いて選んだドレスは、全体が羽のように軽い。
普段なら足に絡む裾をさばくのに苦心するところだが、おかげでステップだけに集中できる。
空気をはらんで翻るドレスを楽しむ余裕さえあった。
不意に、エニシダの手がいたずらに動く。
指と指とを絡められ、さりげなく付け根の敏感な部分を撫でられる。
シルフィアはくすぐったさに声を上げかけたが、ぐっと堪えて半眼になった。
「ーーどうやら、しつけ直す必要があるようね」
「いって!」
こっそり手の甲をつねって反撃すると、元養い子は小さく悲鳴を上げた。
涙目の彼を冷たく見返し、すまし顔で告げる。
「お痛は駄目よ」
「お痛って……厳しくね?」
「あなたには前科があるもの」
屋敷で遭遇した時、危うく唇を奪われるところだったのだ。このくらいの警戒は当然だろう。
エニシダは不満げにしていたものの、すぐに堪えきれないとばかりに破顔した。
「そのドレス、やっぱりよく似合ってる」
「フフ。ありがとう」
「うんうん、さすが俺」
「今の『ありがとう』は撤回させていただくわね」
褒め言葉と思いきや、単なる自画自賛。シルフィアは思わず笑ってしまった。
それをじっと見下ろしていたかと思うと、エニシダは笑みに甘さを混ぜた。
「上から下まで俺が見立てた衣装に身を包んでるってのは、何かそそるもんがあるな」
「どうせ似たような手口で各地の女性を口説いて回っているんでしょう? いつか刺されても私は同情しないわよ」
冷たく突き放すような皮肉でも、相手が彼ならば平気で口にできる。
どれだけ雰囲気を作ろうと、愛だの恋だの語るような甘ったるい関係ではないのだから。
エニシダも心得ているようで、満更でもなさそうに首をすくめながら嘆息した。
「各地なんて、人聞き悪ぃの。ーーここまで必死になったのは、本気であんたが初めてなのに」
「でしょうね。完璧だもの」
体を寄せ合い囁き交わすも、初々しい恋人達というより同志に近い。二人は息ぴったりにターンを決めると、共犯めいた目配せを交わした。
音楽が静かに終幕を迎える。
エニシダは、体を離すことなく不敵に笑った。
「どう? 何ならこのまま、ずっと二人で……」
「踊るわけがないでしょう」
甘い台詞を遮るように横やりが入る。同時に、エニシダから強引に引き剥がされた。
シルフィアの背後に付いているのはモクレンだ。義兄に対し厳しい眼差しを送っている。
「一商人の立場でロントーレ子爵令嬢を独占しようだなんて、厚かましいにも程がありますよ」
「いやお前、それ単に嫉妬してるだけじゃん」
からかい混じりの指摘に一瞬押し黙ったモクレンだったが、即座にあごを上げた。
「ーー悪いか」
「え……」
「ということで話もまとまったので、次は俺の番です。いいですよね、シルフィア様?」
疑問形だが、同意以外を許さない質問。
エニシダが呆気に取られている間に、彼は傲然ともいえる態度でシルフィアの手を引いた。
なすがままモクレンと向き合う形になる。
目まぐるしく変わる状況についていけない。
彼は冷悧な外見に反して、思慮深く控えめな人間だ。子どもの頃さえこれほどはっきり物事を主張しなかったのに、一体どういう心境なのだろうか。
その上、一緒に踊れるなんて。
次の曲が始まった。
背中に手を添えられ、浮き足立つ心地で一歩を踏み出す。体温が、息遣いが近い。
「あなたまで踊れるなんて思わなかったわ」
緊張を誤魔化すために口を開くと、彼は面白くなさそうに口端を下げた。
「あの男よりはぎこちないかもしれませんがね」
「ぎこちなくても……」
モクレンの方がずっといい。
その言葉は、伝えられずに呑み込んだ。
口にすれば告白めいてしまうと気付き、勝手に頬が熱くなってくる。澄んだ緑の瞳が見つめられず、揺れる銀髪をひたすら目で追った。
謙遜しているが、彼もなかなかダンスがうまい。
フィソーロ代表に必要な技能ではないから、いつどこで覚えたのか少し気になる。
どのように聞き出そうか逡巡していると、モクレンの方が先に口を開いた。
「エニシダと踊って、どうでした?」
「え、エニシダ? えっと……」
戸惑ったが、情熱的な赤茶色の瞳を思い出しながらシルフィアは考える。
「うーん。そうね、罪作りな人って感じかしら」
率直に、彼を好きになった人は辛いだろうと思った。
不実そうな、それでいて魅惑的な笑み。情熱的な口説き文句。瞳に含まれる艶めいた色。
けれどそれは、決して自分だけのものじゃないのだ。
きっと幸せになれないと分かっているのに、それでも惹かれずにいられない。恋に落ちる瞬間さえ、甘い夢を見させてくれない。
悲しい恋しか教えてくれない人。
シルフィアはぼんやりそう感じた。
「エニシダは昔から、いたずらばかりだったものね。私に軽い気持ちで口付けようとしたのも、前世の感覚が抜けていないからなのかしら?」
「ーー唇を奪われかけておいて、あなたはその程度の認識なんですか」
返ってきた声の剣呑さに、シルフィアは口を噤んだ。
恐る恐る顔を上げると、モクレンはひどく厳しく、それでいてやるせないような顔をしていた。
「今は俺達の方が歳上で、あなたよりずっと大きいんですよ。ーー手だって、ホラ」
モクレンの手にすっぽり包まれると、確かに自分の手など子どもにも等しく映る。
急に心許なくなった。よく知っているはずなのに、まるで知らない男性を目の前にしているよう。
それでも、辛そうな面持ちには見覚えがあった。
子どもの頃と変わらない、言いたいことややりたいことを必死に我慢している時の表情。
激情を、必死に押し殺しているようにも見えた。
「あなたは、いつまで俺達のことを子ども扱いするつもりなんですか」
「ーーあ……」
シルフィアは唇を戦慄かせたけれど、言葉は明確な形をなす前に消えていく。
ごめんなさい、なんてとても言えなかった。
彼の指摘はあまりに的確だったから。
クシェルの記憶はあくまで前世。
家族や使用人、領民を大切に思うのも、モクレンに惹かれる感情も、全てシルフィアのものだ。
そのくせ、彼らを子ども扱いしていたなんて。
……クシェルのことなんか忘れて、元養い子達が幸せになってくれればと願っていた。
エニシダやシオンが特に傷付いているのなら、せめてシルフィアとしてできることはないかと。
ひどい思い上がりだ。
もしかして、前世を引きずっていたのは自分の方だったのだろうか。
割り切っているつもりがそうじゃなかった。何も分かっていなかった。
居たたまれなくなり、シルフィアは俯く。
目を逸らしていても感じる、なじるような視線。
心浮き立つひとときになるはずが、美しい調べさえ耳を素通りしていく。
シルフィアはただ、一秒でも早く音楽が終わることを願いながら、息を詰めて足を動かすのだった。
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