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第20話

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 今日の空は、白が混ざった優しい色合いだ。
 そんな柔らかな青色に、千切った綿菓子のような雲がふわふわと漂っている。
 けれどシルフィアに、穏やかに空を眺める余裕はない。
 今日は、歓迎パーティ当日。
 朝から全身を揉みほぐしたあと蒸し風呂に入り、今度は垢擦り、そしてまた湯船へ。
 普段ならば一人で湯あみを済ませているシルフィアなので、メイド達に襲いかかられ根こそぎ精神力を削られた。
 その後フルーツなどで軽い食事を済ませたら、再び人形のようになすがままの時間だ。
 普段ならば決して身に付けないコルセットに、夜会用のドレス。どれを着ても大差ないのに、メイド達は楽しそうに吟味していく。
「シルフィア様の陽だまりのような印象を強調するなら、やはり黄色でしょうか?」
「大人っぽく攻めるなら寒色系では? あと二年もすればシルフィア様も成人なさいますし」
「では、思いきって肩を出しちゃいましょうか」
「胸の底上げはどうしましょうかぁ?」
「シルフィア様はこれから成長期だから大丈夫よ」
「やはりお色はこちらにしませんかぁ? お嬢様の顔立ちだと、はっきりした色味がいいと思うんですよぅ」
 女性達が楽しそうにしているのは心から微笑ましいのだが、若干悪口が混ざっているのは気のせいだろうか。しかも専属メイド辺りの。
 ーーいちいち文句を言うのも面倒だから流すけれど。ドレスに装飾品に髪型にメイクに、なぜ彼女達はこうも楽しめるのかしら……。
 パーティは夜からなのに、もう既にぐったりだ。
 それでも、シルフィアを取り囲むメイド軍団の中には、楽しそうに笑うランの姿もあった。
 包帯は外れ、腕の傷もほとんど残っていない。元気な様子にホッとする。
「あの、みんな。話し合い中申し訳ないけれど、今日のドレスもアクセサリーも、既に決まっているのよ」
 シルフィアは水を差すことに罪悪感を抱きながら、おずおずと口を挟んだ。
「今夜身に付けるものは、宝飾品まで全てエニシダ様に用意してもらったの」
 メイド陣が、不穏なほど静まり返った。
 気に障ったかと怖々見守っていると、次の瞬間鬼気迫る勢いでまくし立て始める。
「殿方の贈り物を夜会で身にまとうって……」
「それってもしかして、シルフィア様……!」
「お嬢様、エニシダ様が本命ですかぁ!?」
「本命!? ってことは他にも候補がいるの!? 何それ聞いてないもっと詳しく!」
 あまりの騒がしさにしっかり耳を塞ぎつつ、シルフィアはきっぱりと否定する。
「妄想を膨らませているところ悪いけれど、これは贈り物ではないわ。商人としてのエニシダ様を頼って、ご用意していただいただけ」
 エニシダが取り寄せたものを、父の許可を得てロントーレ家で買い取ったのだ。
 太っ腹な元養い子は支払いなど気にしなくていいと言ってくれたが、彼にとってはあくまで仕事。そこはきっちり線引きをした。
 贈られたものか、正規の値段を支払っているか。この差は非常に大きい。
 甘い展開でないと知ったメイド陣はがっかりしたようだが、まだどこかそわそわしている。おそらく妄想を捨てきれていないのだろう。
 明るい彼女達を見ていると気が紛れていい。
 シルフィアは、いつもより早い鼓動を意識して鎮めた。
 パーティ自体に緊張しているわけではない。
 確かに夜会用のドレスは久しぶりだが、今日の集まりは領民も招いた堅苦しくないものだ。
 神経が尖っているのは、何より決戦のため。自らを囮とした連続通り魔捕縛作戦が、いよいよ決行されるためだ。
 肩の力を抜くために、長々と息を吐き出す。
 騒がしいメイド達に髪を梳られながら、シルフィアは静かに瞑目した。

   ◇ ◆ ◇

 待ちきれずに集まり始めていた領民達のために、少し時間を早めてパーティは始まった。
 消火活動を手伝った男性達と、その家族。または水を運ぶ容器を提供した商人達。そして、ユキノシタに引率された孤児院の子ども達。
 ちなみに、子ども達の衣装は全てロントーレ家が事前に用意している。
 ぞろぞろと会場に流れ込む人々の目当ては、やはり何といってもご馳走だ。
 小振りに切られたほうれん草とベーコンのキッシュや、生ハムが贅沢に使われたピンチョス。立食形式なので全て食べやすいサイズになっている。
 子ども達や女性の多くは、甘いものが並んだ一角へと一直線に流れていく。
 表面を艶々にグラサージュしたチョコレートムースや、苺が綺麗に並べられたタルト。ロントーレ特産のチーズがふんだんに使われたフロマージュ。
 はしゃぐ子ども達を宥めるユキノシタを見つけたモクレンは、エニシダと共に騒がしい一団へと歩み寄った。
「なかなか大変そうだな、ユキノシタ。何か手伝うか?」
「あぁモクレン、エニシダ。いいところに」
 存外子どもの扱いがうまいエニシダが、少年の頭をやや荒っぽく撫でる。
「よう。楽しんでるか?」
「エニシダおじちゃん!」
「おじちゃんだ! 今日はカッコいいね!」
「だからおじちゃんじゃねぇし、俺はいつでもどこでも格好いいんだよ!」
 生意気な子どもの頭を小突くエニシダは、確かに華やかな正装をしていた。
 髪の色に合わせたボルドーのジュストコールに、金糸で絢爛な刺繍が施されたジレ。すらりと長い足を包むロングブーツは仕立てのいいものだ。
 エニシダの格好を上から下までとっくりと眺め、モクレンは渋い顔になった。
「エニシダ……気合いが入りすぎじゃないですか?」
 そう呆れるモクレンも今日ばかりは白衣を脱いで、それなりの装いだ。
 僅かに青色を帯びた白銅色のジャケットに、ビロードのアスコットタイ。知性の宿る銀縁眼鏡も相まって気品のある佇まいだが、エニシダほど過剰ではない。
 ユキノシタにいたっては子ども達の世話があるので、いつもの神父服だ。
 今日は誰もがそれなりの服装で来ているので、神父服でいても決して浮かない。この場においては完璧に装ったエニシダの方が少数派だった。
 彼は鮮やかな赤毛を指先で弾くと、人を食ったような笑みを浮かべた。
「俺はこれでいいの。これくらいしないと、シルフィア嬢とは釣り合わないからな」
 ジュストコールをビシッと正すと、にわかにではあるものの貴族のような風格が生まれる。
 モクレンは頬を引きつらせざるを得なかった。
「エニシダ……遊びじゃないんですよ」
「分かってるって。それでも、ずっと警戒してる方が、かえって怪しまれるだろ?」
 声音を潜めるエニシダに、モクレンの瞳も鋭くなった。
「ーーこの中に、紛れていると思いますか?」
『誰が』という主語を外しても、長年の付き合いである義兄には十分通じた。
 彼は会場内に視線を滑らせ、不敵に笑う。
「判断しかねるな。消火に追われてる状況で、互いの顔なんか確認できなかったはずだし。今から招待客の身元をしらみ潰しに確かめたって、それこそパーティが終わっちまうだろうしなぁ」
 招待といっても事前に招待状を送ったわけではなく、消火活動に携わったと名乗り出さえすれば誰にでも広く開かれるパーティだ。
 ロントーレの民の気質上、嘘をついてまで入場する者がほとんどいないのでこういった方法が許される。けれどそのために、招待客の身元が不確かという問題もあった。
 現場が商店の連なる表通り、というのもよくなかった。
 東西南北どの区域も行き来は自由なので、当然あの日も東街区の住民以外が訪れていた。
 そのため、顔見知りでない人間が交じっていても誰も不審に思わない。
「やはり、相手の動きを待つ他ありませんか……」
 華やかなパーティに不似合いな顔をするモクレンを見かね、エニシダは話題を変えた。
「しかしお前もだけど、ツバキ達も頭固いよな。今日の主役だっていうのに、全員騎士の正装だぜ」
 彼の視線の先には、壁際でくつろぐツバキ達がいた。
 漆黒の団服に、シャンデリアの明かりに輝く銀色の鎧。胴には王国の象徴である双頭の獅子が象篏されている。
 滅多にお目にかかれない騎士の存在に街の人々も気付いているが、憧憬のあまり近寄りがたいようだった。
「みんな、外面に騙されてるよな。真面目な顔して、どうせツバキとユウガオはいちゃついてるだけだろうに」
「そもそも街の人達は、ツバキが女性だなんて気付いてもいないでしょうね」
 不審がられないようシャンパングラスを持っているが、彼らは飲食をしていない。不真面目なエニシダと異なり、来るべき時に備えているのだろう。
 それでも会話は弾んでいるようで、時折ツバキから楽しそうな笑みがこぼれる。
 その度に若い娘達からため息が漏れているのだが、本人は気付いていないようだ。
 シオンもひたすら俯いて気配を殺しているが、存在感が隠しきれず熱い視線が集中していた。
 秋波にうんざりしているのか、無表情ながら不機嫌そうなのが遠目にも分かる。
 それを観察するモクレン達も注目を集めているが、とにかく気付かないふりに徹していた。一度でも目を合わせてしまえば面倒なことになると、経験上理解しているのだ。
 未婚女性が少ないことが、彼ら義兄弟にとって共通の救いと言える。
 しばらくすると、壮年の執事を伴いロントーレ家当主クロードが現れた。
「皆、楽しんでるか。今日はこうして集まってくれたこと、本当に嬉しく思っている。堅苦しいことは抜きにして、存分に楽しんでいってほしい」
 簡潔な挨拶を済ませ、彼はツバキ達を手招いた。
「彼らは本日の主役である、王国騎士団の精鋭達だ。連続通り魔被害に心を痛めた国王陛下が直々に、彼らを派遣してくださった。誉れ高い騎士達が、この先必ず我らを救ってくれることだろう」
 クロードが目配せをすると、ツバキが進み出る。
「本日はこのような会を開いていただき、ありがとうございます。紹介にあずかりました、ツバキ・リュクセと申します。私達はそれぞれ、このロントーレ領の出身です。恩あるこの街のために働けることを、誇りに思っています。まだまだ若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします」
 謙虚な挨拶に、招待客達から拍手が起きる。
 ツバキは笑みを添えて下がっていった。
 一度姿を消していたクロードが再び戻ってくる。隣に、愛娘を連れて。
 会場中の視線が、一気に惹き付けられた。
 華奢な体を包むのは、深い青色のドレス。
 レースやリボンの装飾はあえて控えめで、そのためかドレープが絶妙な曲線を描いている。
 純白のレースと共に繊細に編み上げられた金髪には、珍しい白蝶貝の飾り櫛。
 陽だまりのような印象も、夜空色のドレスをまとえば途端に月のような神秘性を帯びる。
 瞳を切れ長に見せるアイラインの効果もてき面で、メイド達の努力によるところも大きいだろう。
 内面を如実に反映させた明るい笑顔を淑やかなものに変えれば、もはや誰も彼女を指して素朴などと言えない。
 見知っているはずの少女は、淑女とのあわいに差しかかった危うげな魅力を放ちながら佇んでいた。
「シルフィア様……」


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