烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

狩人

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 集落へ向かう道のりは、あの日よりも険しく長く感じた。同族に会える喜びで胸を満たし、つわりの苦しさに喘いでいたのも忘れ、軽やかに道中を楽しんでいたかつての記憶はとうに薄れている。さらさらと葉の間を通る風も、周りの警守の緊張感と絡まって心地が悪い。

「……本当に来て宜しかったのですか?」

 武器を携えた警守がそっと少女に耳打ちをする。
 颯爽と集落への道を辿る男を物々しく取り囲む警守達。その光景はまるで葬列のようで、何故、彼女達が動員されたのかなんて、嫌でも分かってしまう。

「もしものことがあれば、私が……」
「私達がいますから」

 もし清御鳥しんみちょうを傷つければ、男は自分とは暮らせない。生きているのに会えないなど、死んだも同然。また地獄の時を味わうのは身に余る苦しみだった。

「既に真鶸まひわがいるのだろう?」
「……えぇ、話は伝えてあります」

 殺伐とした雰囲気の男に、自然と真砂まさごも警戒を強める。草を踏む幾数もの重苦しい音がしばらく続き、やがて切り開かれた山中に合掌造りが目に映った。
 自然に隠され、護られた聖域に人間が足を踏み入れた途端、ざわりざわりと強さを増した風に枝葉が傾き不気味さが漂う。家々の前、畑、木陰……ずっとずっと奥まで、何もいない。清御鳥の姿は見えず、ただ空虚な広場がそこに在るだけ。

「皆は……」
「いる」

 驚きと動揺で声を震わせる少女に、男は家屋を鋭く見据えたまま続けた。

「中で息を潜めている」

 無理もない。と、口の端を歪ませて言う男は声こそ平坦なものの、窺った横顔からは侮蔑の色が顕になっている。

「大勢の人間がいるんだ。避けるに決まっている。それとも、後ろめたさか?」

 愉快そうに見えて、その実は怒りが燻っているのだろう。ク……と酷薄な笑みを洩らした男に真砂の低い警告が、しんとした空気に乗って少女の耳にも入る。

「手を出せば法に触れます。私達が武器を持つ意味を忘れないでください」
「あぁ」

 男がぶっきらぼうに返すと同時に、何処の家屋か扉の開く音が聞こえ、一同の視線が彷徨うように音源を探った。ただ他の者とは違い、男だけが迷うことなくそこを睨みつけている。
 一際、大きい家屋。その出口から姿を現した真鶸に気がつき、声をかけようと一歩踏み出した少女にすかさず男の手が伸びた。

「小毬、俺の背に隠れろ」
「えっ……」
「奴だ」

 いつもの明るい雰囲気とはうって変わり、思い詰めた表情を浮かべる真鶸の後ろから、大きな片翼の清御鳥がそろそろと現れた。俯き、感情の読めない白い顔。魂を半分、盗られでもしたのか、あれから随分と弱ってしまったように見える。少女が初めて会った時の、威風堂々とした彼はもういない。男と視線が交われば身をすぼませ、放たれる冷気に当てられれば歩みが止まる。まだ硬直の始まる域にまで近づいてはいないのに、先を行く真鶸との距離が徐々に広がっていく。

沢鵟ちゅうひさん」

 雷に打たれたかのように肩が揺れた。
 真砂の呼びかけに一つ息を吐き出し、意を決して一歩、また一歩と進む。男はその間、射殺すように沢鵟を凝視し、感情を抑えるのに必死なのか握り込んだ拳には血管が浮いている。
 やがて硬直の訪れる寸前まで会合した二人の間にはしばし地獄の沈黙が流れ、人間も清御鳥も押さえつけられたように身動きの取れない時間が続いた。

「死に晒せ、と言ったな」

 吹く風に冷たさが混じる。
 永久とも思える沈黙を開口一番、男は怒気の含んだ言の葉で乱暴に切り裂いた。
 清御鳥奪還の際、突きつけられていた呪詛の繰り返しに沢鵟の頬を汗が伝った。緊張と恐怖で目の焦点は宛てどなく彷徨い、喉で引っ掛かる言葉を懸命に吐き出そうと口を開閉させ、生唾を飲み込んだ。

「……私は、長として正しい選択をしなければならない。皆の命を背負う者として、護らなければならなかった。人質に取られた子供を救うには──」
「それで?」

 御託はいいと含ませ、更に詰める。
 容赦なく、隙を与えず、言葉で狩る。

清御鳥小毬を犠牲にして何を得られた? 多くの同族を犠牲にしただけだろう」
「……っ」
「生半可な判断で敵に利用された奴が長だと? 笑わせるな」

 ただ固まるしかない沢鵟の姿は叱られている子供のようで、人との子を産もうとする自分を責めていた時に見せた雰囲気とは天地の差があると、少女は憐れみを感じた。赦し難い気持ちも勿論ある。だが、男の怒気を受けたことのある身としては、つい同情の念を覚えてしまった。

「ただ──」

 何と続ける気なのか、何処まで怒りは深いのか。
 男の一言一句を聞き逃すまいと、誰もが固唾を飲んで見守った。

「俺も見誤っていたようだ。同じ清御鳥だから、小毬を傷つけはしないだろうと過信していた。人間といる真鶸を受け入れているのだから、小毬もそうだと思っていた……だが、違ったな」

 全員の恐れとは裏腹に、男の声音は落胆している。
 清御鳥を護る為の武器を携える警守達に、困惑が広がった。

「お前達が赦せないのは俺だろう?」

 静けさを湛えた瞳で無表情ながらに、男は和らいだ口調で言葉を紡いだ。清御鳥を苛めたのは紛れもない事実なのだから。

「俺が気に食わないのは恨みの矛先だ。小毬もお前達と同じく狩られた者。ならば責める相手は俺のみだ」
「烏京さまっ、それはっ!」
「いい」

 狩ったなどと、そんなことは言ってほしくなかった。始まりはどうであれ、幾度も救って愛してくれた。
 自身を下げるその発言に少女は思わず口を開くも、男は断固として許してくれない。

「仇が目の前にいる。どうしたい? 俺は憎い敵を捩じ伏せた。お前はどうする?」
「私……は……」

 予想外の話の流れに拍子抜けした沢鵟は、目の前の狩人をまじまじと観察する。ゆったりと手を広げ、こちらに敵意は無いと示しているように見て取れる。落ち着いていく思考で物事を読む沢鵟に、みるみると生気が蘇った。

「恨む相手が違う」

 狩人が仇の清御鳥に対してこのような対応をするとは想像の範疇を越えていて。少女を贄に助かろうとした報いを受けるものだと恐れ、生きた心地のしなかった沢鵟はゆっくりと額に手をやった。
 こちらの声に耳を貸さず、嬉々として屠る野蛮な者。それが狩人という生き物だと、幼少の時分よりずっと信じてきた。

「沢鵟さん。ここの清御鳥は彼に助けられたのです。それを忘れないで……」
「警守の者では──!?」
「いいえ、彼と……小毬さんです」

 真砂の発した内容に、愕然とする。
 いつの間にか他の清御鳥も家から顔を覗かせ、事の成り行きを不安げに見守っていた。好奇心に駈られ、外へ出たがる幼子を叱る母親の声も聞こえてくる。
 数多の視線が集中する一方、沢鵟は心ここに在らずといった風に呆然と虚空を見つめていた。詰められる覚悟ばかりしていた為か、緊張が解れる反動は凄まじい。何とか脚に力を入れ、再び男を見つめる。
 最初から、害を為す人間では──。

「お父さん!」

 声高に叫ぶ子供の気配に、集落全員の視線が一斉に移る。
 沢鵟の住まいから飛び出したのは六歳くらいの男の子。興奮気味に顔を赤くしながら駆け寄ってくるその子に、少女は目を見開いた。暗い牢、揺られる船。いつも隣に寄り添ってくれた、あの男の子。

「お姉さん!」
「あ……」

 沢鵟の顔が、切なげに歪んだ。
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