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本編 ─羽ばたき─
胎動
しおりを挟む「良いんですか?」
新天地へと進む船上で、徐々に遠く小さくなっていく陸地を悠然と眺めていた百舌は、狩人の青年がかけた問いに口角を吊り上げた。
「何のことだね?」
「元坊さんと、つぐみさん」
そう気にする狩人も、元坊と同じく解体された団体の一人だった。今回の清御鳥密輸計画で再び狩人として元坊の下についた青年は、なかなか姿を現さない二人を無視して船を出してしまった百舌に、つい疑問を呈した。
「時間が惜しい」
夜陰に紛れて出航するべきだったと、まるで元坊とつぐみの存在を最初から無視しているような物言いに青年は内心、困惑していた。この計画は全て三人が企てたことで、幹部格とも呼べる二人を切り捨てるのはさすがに不利益だと……そんな青年の思考は、振り返った百舌の薄ら笑いにより途中で止まった。
「人間よりも清御鳥の方が価値がある。多少の人間を見限ったところで、それはつまらぬ損失なだけだ。それに分け前も増えて良いだろう」
元より自分達は寄せ集めの継ぎ接ぎだらけの集団で、求める物が同じという、たった一つの理由でつるんでいるだけに過ぎない。薄氷の脆さと同等の繋がり。しかし、目的を果たせば他人など興味は無いと互いに割りきっているとはいえ、富を得る為にまだ利用価値のある人間でさえも容赦ない取捨選択に晒されることに、青年はどうしても驚かずにはいられなかった。
「これからが楽しみだ。そうは思わないか?」
人間とは違い、清御鳥の死骸は金になる。そう、せせり笑う百舌に青年は溜飲を下げた。これは所詮、寄せ集めだと知った上で加わった集団で、自分さえ良ければ──金が懐に多く入るのなら、それで。
「だが、いくら死骸が高い清御鳥でも一羽だけは例外だ。身籠っているあの女は絶対に産ませろ。様子も逐一報告するんだ」
船にいる清御鳥の中で一番の大物だと言われるその存在を、青年はまだ目にしていない。美しいと評される姿は果たしてどんなものかと、百舌の指令に好奇心で胸を高鳴らせながら貨物庫へと足を向ける。
甲板から船底へ一段、一段。やがて光の薄まった翳る部屋の前に着いた青年は、中から聞こえてくる子供の声に舌打ちを洩らした。
「……黙らせるか」
部屋の錠を開き、忌々しげに姿を現した狩人に清御鳥の子供達はハッと口を噤む。恐怖の滲む幾数もの瞳が、薄暗がりから青年に注がれた。
大股で近づいてくる天敵に身を縮こませ、声すら上げられずに涙を零す幼子達に、青年の双眸がギラギラと突き刺さる。
「何処だ……」
立ち込める暗がりに目を細め、青年は子供の影の向こうにいるであろう大物の清御鳥を探した。
大きな翼を持つ女は幼鳥に紛れていたとしても簡単に目に留まるはずなのだが、予想よりも暗い室内に視線は遮られ、思うように探せない焦れったさに青年はまたしても舌打ちを洩らした。今からでも灯りを取りに戻るか。しかし他の連中には知られたくない。どうしたものかと目の前で逡巡する敵に子供達は変わらず縮こまり、怯えた表情でその一挙手一投足を瞳に刻んでいた。
波風が立たぬよう、狩人を刺激しないよう息を殺し、口元を他の子の身体に押し付ける。誰もが緊迫し、泣く声を呑み込む中、青年の眼球がギョロリと巡った。
「…………」
確かに聞こえた。静寂に包まれた空間にゴトリ……と響く重厚な音。目を凝らし、暗がりの奥へと歩を進める青年に、子供達の恐怖は更に色濃く広がっていく。
「ぅ、うぅ……うぁぁ……ん」
緊張と重圧でとうとう泣き出してしまった幼鳥には目もくれず、青年は奥へ奥へと迷いのない足取りで進む。
あの重い音は硬い物同士がぶつかった時に生じるもの。恐らく壁か床に枷が当たった音なのだろうが、重い拘束具を幼鳥が大きく鳴らすのは考え難い。だとすると……。
「……おい……小毬」
百舌から訊いた、清御鳥の女の名。ニヤリと口を歪ませ、音の在り処へと歩幅を広げた青年は慣れてきた闇の中、ある一点で足を止めた。目に映る大きな輪郭。朧気に浮かぶのは幼鳥とは違う、成鳥の翼の形。
「……え……?」
そして、微かに洩れる不信感を抱いた女の声音。青年が距離を詰めるのに対し、その影は後退しようと身を捩る。ゴトリ、ズリズリ……先刻の重い音が、またしても響いた。
「お前か……」
暗闇に慣れた目でじっと見つめる。ほとんど光の届かない部屋の奥。それでも分かる端麗な顔立ち。長い睫毛に縁取られた大きな瞳に白い頬。細い肩に流れる艶やかな長い髪。
青年は息を呑んだ。美しいとはこの為にあったのかと。今まで見てきた美しいとは一体何だったのか。全てが分からなくなった瞬間だった。
「……上玉だ……」
そう呟いた青年の心に情欲の火が揺らめく。視線は逸らせず、少女に注いだまま。無意識に生唾を飲み込んだ。
「こんな……女が。あぁ……はは……」
静かに、しかし狂ったように言葉を吐く青年に、少女は息をするのも忘れていた。自分を凝視する相手におぞましさは膨れ上がり、青年から逃れようと背後の壁に目一杯、身体を押し付ける。
「怖いか」
もう、近づかないでほしい。そう込めてそっぽを向くも全身で顕にした訴えは届かず、顎を掴まれ強引に前を向かせられた。再び歪んだ感情の灯る双眸に晒された少女は切なる願いで固く瞳を閉じ、全身を強張らせた。
──何もしないで。自分は何も持っていない。出来ることは何一つとしてありはしない。だからもう、何も望まないで。
だが……。
「俺の……相手をしろ……」
何処までも、少女の願いは届かない。
ヒュッと息を呑む音は虚空に消え、青年の荒い息遣いのみが漂った。
「人間の相手なんざ、お手のものだろ? その証拠に……この腹が──」
膨らんだ腹に置かれた手。嫌悪感に身の毛がよだつ。腕から肩へ、蛇がうねるように上がってくる掌から逃れようと必死に身を傾けるも、縛られた状態では相手の力には遠く及ばず、ただ体力を失うだけだった。
「なぁ、出来るんだろ……? 小毬……」
青年の喉の奥から流れる愉悦にまみれた笑い声に、熱を孕んだ手。少女を擦り、髪を撫で……衣服を掴んだ。
「なっ……!?」
纏わりつく嫌な手に少女の全身からは血の気が引いた。合わせ目を辿り、明確な意図が込められたその動き。
子供達がいる。怯えた瞳でこちらを見つめている無数の存在。抑え込まれた少女のジャラジャラと擦れる拘束具の荒ぶりように、一羽二羽と子供の泣き声は連鎖していった。
「嫌っ、嫌ぁぁ!!」
身ぐるみを剥がされようとしている少女の叫びは興奮しきった青年の耳には入らない。暗いとはいえ、子供達の前で……たった一人にしか見せたことのない身体を好きにされるなど、どんな拷問を受けたとしても、それに勝る苦しみは無いだろう。
「お姉さんっ……」
男の子が、自分を呼ぶ。しかし、翼を踏みつけられた痛みに応えることは叶わない。自分の身体さえ自分のものにはならない。腹の子も産まれた末路は地獄だと、少女の中に深い混沌が渦を巻く。全て相手の思うがままにされ、もがいても、もがいても苦しむだけならば。
「わ、たし……」
いっそ、死ねば良い。最期まで苦しめられるのならば、己の命さえ好きに散らせないのなら、それに抗う。
自分の選択で、自分の生死を好きに決められる。それが、今の少女が考えられる精一杯の“幸せ”。誰からも忘れ去られた埋もれ木のようになりたい。
「ごめ……んね……」
あなたは……産めない。愛しい人との間に、やっと宿ってくれた命だけれど、生かすことは地獄に突き落とすということ。この想いは届いているのか、微かに感じる胎動に涙が止まらない。
「こんな、お母さんで……ごめんね……」
腰紐が抜け、いよいよ衣の合わせ目に手が掛かる。
穢される生ならば、執着などしたくはない。
──大丈夫。ずっと一緒だよ。
少女は口を開けた。お腹の子を道連れに、あの世で伴にいようと誓いながら舌を伸ばす。
──可愛い、可愛い、私の子。
「お姉さん……ねぇ、お姉さん……!」
──あの世に逝けば、烏京さまに逢えるかしら……。
死に耽り、歯が舌に食い込む。力を込め、噛み千切ろうとした少女は──。
「……っ!?」
船が、おかしい。
海原を悠々と進む船に突如として尋常ではない慌ただしさが沸き起こり、全ての存在を脅かした。
舌を噛み損ねた少女は瞳を瞬かせ、小さく叫んだ。
「あ……」
胎動が、身に響く。それは、未だかつて感じたことのない命の強さと気配。
赤子がまだ生きたいと、そう泣いているように思えた。
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