烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

生成り 憤怒

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「職員だって?」

 女の自己紹介に驚いた元坊げんぼうの、粗野な見た目に似つかわしくない高い声が室内に響いた。
 粗末な造りの椅子に腰かけた三人は古びた机を囲み、薄闇の中でわずかな灯りを頼りに話し合っていた。

「ほぉー。噂に聞くと、あそこの施設長は余所者には気難しく用心深いっていうが、よく忍び込めたな」
「いいえ。忍び込んだんじゃない。元々働いていて、後から百舌もずと組んだのよ」

 女の目は一切の光が灯らない、心寒うらさむい部屋のようだ。
 清御鳥しんみちょうの傍にいて保護をしてきたはずの女は、元狩人の自分を嫌悪するどころか計画の片棒を担ごうとしている。

「邪魔なのよ。人間を惑わすあいつらは。害獣よ」

 わずかに俯いた女の眼光は鋭く、男達をめつけた。化生じみた剣幕に口から白い歯が覗き、ギリリと音を立てるように真っ赤な唇に食い込んだ。怨霊が人を殺すのか、今にも唇から血が滴りそうになっている。

「間者だと思わなくていいわ。参加させてもらうのに、私は命をかけた。もし裏切れば百舌の配下に殺される。そういう契約」
「なるほどね……俺と同じな訳だ」

 女の言う通り、断っていたらもう自分はこの世にいない。話は持ちかけられただけで自ら命をかけた覚えは無いが、今更抜け出そうとは思わない。資金と知識と力。これが揃っている今、計画が成功するのも難しくない。こんな生活から抜けられるのなら何だってする。

「俺は元坊だ。知っての通り元狩人で、ガキを売っていたのがバレて今はこのザマだ」

 襤褸ぼろを纏い、蓬髪ほうはつを振って溜息を吐く元坊に百舌は笑う。

「そんな格好ともすぐにおさらばだ。さて、そろそろ本題に入るとしよう」

 つぐみは百舌からの目配せで荷物から紙片を取り出し、小さな机に広げた。

「施設の間取りの写しよ。清御鳥は普段、区域内の山に放してある。他にも一階から三階まで治療中の清御鳥が、五階は半人半獣の雛がいる。職員の待機室は四階ね。昼は二十。夜でも十人は在駐しているわ」

 指差ししながら施設の内部を打ち明けるつぐみに百舌と元坊は顎に手を当てながら聞いていた。

「警守は何人いるのだ」
「施設に十。壁に二十。昼夜問わず常に目を光らせている」

 清御鳥を守る人間は総勢六十名。夜になれば警守が増えて八十名になると言う。

「強硬突破……は絶対に無理よ。出来たとしても大きな損害は免れない」
「人質を取るのはどうだ」
「それも無意味な気がするわ。あいつらは取捨選択なんて簡単に出来てしまう。人間よりも清御鳥を。数羽の清御鳥よりも多くの清御鳥を取るでしょう」
「壁の強度はどうなんだ?」
「実験で数十個の爆発物を使ったけれど、傷一つ付きやしない。いくら百舌の資金が多いからって、海を渡ることを考えればなるべく抑えたいでしょう?」

 ああでもない、こうでもないと議論をする内に時刻は深夜を越え、明日が来てしまった。出口の見えない話し合いに、いつしか三人の顔には疲労が見え始めていた。

「これじゃあ、昼も夜も駄目なんじゃね?」

 まるで隙の無い城と増える敵に元坊がげんなりと呟いた時、百舌が不意に何かを思い出したように顔を上げた。

「乗っ取れば良いんだ。私の護衛には女もいる。警守を何人か倒して変装させれば後は簡単だ」

 やっと浮かんだ案に歓喜を滲ませ、顔を輝かせる。
 不気味に笑う百舌の目は、狂気を孕んだ子供のような目をしている。むごい自覚もなく、ただ私利私欲を満たしたいだけ。

「乗っ取るって……?」
「毒蛇を使うのだ! よく慣らしたやつを仕向ければこちらも闘う手間が省ける。相手を昏睡させてしまえば………最悪、殺しても構わない! その隙に……!」
「蛇の調教は俺の出番かい」

 楽観的に言いながら、引っかかる。百舌の計画には、どことなく刺のような違和感がある。落ち度がある訳ではない。なのに。

「なぁ。その作戦って、あんたが一から考えたやつか?」

 毒を用いて倒した敵に変装し、正体を見破られることなく清御鳥を奪い去る。
 元坊の記憶が、遠く感じる過去へ飛んだ。



 獲物を都まで運んでいたあの夜、一羽の告鴉つげがらすの襲撃により馬が暴走し、檻は壊れ、捕えた清御鳥は逃げていった。清御鳥には目隠しと、翼と手には枷がついていたはずで、すぐにまた捕まえられると思っていた。だが大人数でどれだけ深く山を探しても一向に見つからず、代わりに映ったのは倒れている手下の姿だった。身ぐるみを剥がされ、縛られ、毒で意識が混濁した手下の回復は数日を有し、その間は寝たきりの状態だった。
 襲撃と同時に人身売買の書類も紛失したことが判明し、襲われた手下の証言と総手の情報収集により発覚したのが、手下に成り済ました敵が清御鳥を奪い、履歴等の人身売買の証拠が無くなったのも同一犯の手によるものだということ。違法な人身売買に捜査の手は伸び、既に自分達には逃げ道は残されてはいないということ。
 それに気づいても遅く、呆気なく捕まった。全てを勘づいても後の祭りに他ならず、顔も知らない敵によって絶やされた。

 あの時、自分達を襲った敵のやり方が、百舌の言った作戦と酷似している。偶然とは片付けられない。

「この作戦? あぁ、違うよ」

 百舌は言う。元狩人の考えていることなど一つも分からずに、作戦に苦しめられた元狩人のことなど一つも知らず。良い案を喜びを滲ませながら言葉を続けた。

「狩人同士の清御鳥の奪い合いはよくある話だったのだろう? とある狩人が、奪われた清御鳥を取り戻そうと一人で団体に潜入した際にとった行動だ。毒で相手を昏睡させ、成り済ましてね。被害に遭った団体はどんな奴らかは知らんが、子供を売っていた証拠をその狩人に掴まれたらしく、今は見る影も無いと聞く」
「…………」
「人を売る狩人団体なんて沢山いたからな。その後は芋づる式で、まぁ見つかる見つかる……おっと。そう言えば君も捕まった団体の内の一人だったな。失敬、失敬」

 元坊は膝の上の拳に力を入れた。矛先は、百舌ではない。

「そいつの名は?」
「んー、確か……」
烏京うきょうよ」

 すかさず言ったつぐみに、百舌はすっきりとした表情をしてみせた。

「おぉ、そうだった。あの黒くて化け物のように大きな、如何にも悪人の目つきで殺すような雰囲気……生意気な小僧だ」

 襲われた手下は、震えながら伝えていた。毒のせいで覚束おぼつかない手で、蚯蚓みみずの這ったような字で。

『図体は俺より大きい。黒くて、闇みたいで、得体の知れない化生じみたモノだった。攻撃は見切られて、気がついたらこっちが倒されていた。ヤツは俺を見下ろしながら怒っていて、嗤っていた。俺はもう生きるのを諦めた。勝とうだなんて、殺そうだなんて考えてはいけなかった』

「ただ……」

『ただ、真っ黒な化生でも、一つだけ惹かれるものがあった。命のやり取りの中で死を覚悟しても、これが自分の見る最期の光景だと思うと、嫌ではなかった』

「あの人の瞳は……蒼くて綺麗だわ……」

『あの化生の瞳は、瞳だけは……蒼くて美しかった……』

 ──……っ!!!

 つぐみの言葉と脳裏に浮かんでいた手下の字が重なった。瞬間、吹き出る冷や汗。間違いない。

「どうした? 顔色が悪いようだが」
「……薄暗いからそう見えるだけだろ。なんでもねぇ……」
「ふむ。そうか」

 元坊の目は紙片の一点を見つめているようで、どこも見てはいなかった。浮かんでいるのは憎い敵に奪われた清御鳥のことで、百舌とつぐみも元坊の様子にただ視線を交わすだけだった。

「施設には四十羽の清御鳥がいるが、全部を捕まえようなんて考えてはいない。なるべく傷の少ないやつを選ぼうと思う。その中で、必ず手に入れたい個体がいる」

 つぐみの表情が険を帯びる。瞳に私怨がゆらめいた。

「どこも欠損していない個体でな。他のやつとは比べ物にはならないくらい価値がある。白い翼の雌だ」
「……おい。の清御鳥が、なんで保護施設にいるんだ……あそこに野生はいるはずがねぇ。狩られたなら確実にどこか切り落とされている。どういうこった……」

 百舌は不愉快そうに鼻を鳴らし、汚物を思い出したように苦々しげに言った。

「その雌はな、自分を狩った狩人と望んで共に暮らしている。度々、施設にも現れる。なぁ、つぐみよ」
「……そう。さっきの話で、団体に奪われて烏京が単独で取り返した清御鳥のことよ。ただの獣のくせに……人間を誘惑する魔性の女……」

 一度奪われ、烏京という狩人が単独で取り返した……。
 では、その清御鳥は……。

(俺の金になるはずだった、あの日の清御鳥っ……!!)

「そっか……そうかよ……」

 なら、確実に仕留める。今度こそ、手に入れる。
 清御鳥も、烏京の命も。
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