烏珠の闇 追想花

晩霞

文字の大きさ
上 下
58 / 108
本編 ─羽ばたき─

蒼玉

しおりを挟む
 

 死んだ獣人の在る処には玉霊樹ぎょくれいじゅが宿る。ただの人でも獣でもない、両の性質を併せ持つ獣人でなければならない。玉霊樹の養分は獣人の肉体であり、その死骸の量に比例して栄え、強く立派に成長した大樹の樹液は数多の獣人の力を封じ込めて美しい色合いとなって流れ出る。赤、紫、黄、緑そして青。獣人を封じる道具として狩人達に利用されている他、見た目の美しさと希少価値の高さから富裕層の間では獣人避けのお守りとして使用されることもあった。樹齢が経つほど封じる力は強まるものの、死骸が絶たれれば朽ち果てるが故に、樹齢百年を越すものは人間が意図的に死骸を吸わせているものが多い。
 しかしいくら玉霊樹を増やしても樹液加工者はなかなか育たず、ひどく繊細で時間を有する作業は人を選ぶ。作り手は年々減少し、若い後継者はここ十年で一人しか現れなかった。樹が育つ時間に加工技術の難しさと作り手の著しい減少。それらの要因が絡まって玉霊樹の樹液は年々価値を増していき、次第に狩人団体の中でも作り手の育成は戦闘技術の次に力を入れるべきこととして定まっていった。



 ────────────



 窓の外で燕が低くひるがえる。
 真砂まさごは手に乗せた玉霊樹の樹液の塊に目を落とし、溜め息を吐いた。樹液が固まって光る玉は全部で五つ。玉の色は、真砂のよく知る深海の蒼を湛えた狩人の瞳と同じもの。

(わざわざ蒼色の玉ばかりを用意するとは……)

 真砂は二度目の溜め息を吐きながら、玉をころころ転がした。
 人の世界で生きるには獣人の姿ではなく人の身である方が都合が良い。しかし、これまで少女にめていたのはごく一般的な封印具で、他の獣人と変わらず激しい痛みを伴わせる代物。少女に封印具は必要不可欠だが、取り外す度に苦しむ姿には毎回、胸が締めつけられた。
 そんな痛ましい光景に真砂と烏京うきょうは考えを巡らせ、封印具の改良に臨んだ。少女の好きな時に羽ばたかせたい、自由を与えたいという信念の元で行ってきた道具作りは失敗に苦心しながらも努力を重ね、少女が簡単に取り外せるよう案を出し合った。そうして生まれた新しい封印具は、少女に似合うように男が技巧を凝らして仕上げた美しい逸品。
 いよいよ明日に迫る約束の日──少女に渡す瞬間がとても待ち遠しく感じる。

 内密に作り上げた贈り物を少女は喜んでくれるだろうかと、小箱に鎮座する生まれたばかりの封印具を見つめた。しかし、視線を動かした先に見えた窓からの空模様に、微笑みながら二人の到着を待っていた真砂の表情は曇る。
 空を覆う雲越しに濁った夕日の光が届く。燕が低く、低く翼を遊ばせて、夕立の気配が迫っていることを教えている。

(確か、告鴉つげがらすで来るはず……)

 一筋、二筋。ぽつりぽつりと降ってくる雨に、真砂は手拭いの用意をと棚を開けた。今日、真鶸まひわと少女は会う約束をしている。通いやすいとは言えない山中のこの施設に徒歩で来るとは思えない。必ず告鴉に乗って飛来する。
 激しさを増す雨足に真砂は手拭いを何枚も取り出した。腕に布を抱え、廊下を歩く職員に真鶸は何処かと聞こうとした丁度その時、狩人の男と清御鳥しんみちょうの少女の訪れを告げる声が真砂の耳に届いた。



「──……っ!」
「──、──」

 二人を迎えようときざはしを降りる真砂に、いつもとは違う異様な雰囲気の話し声が聞こえてきた。内容は分からないが、普段は大人しいはずの少女が声を荒げている様子にただ事ではないと……歩く足も自然と早くなる。

「どうして私ばっかり……」
「いいから大人しくしろ」

 踊り場を曲がり、数段降りたところで不鮮明だった二人の会話がはっきりと聞こえ、真砂は更に眉をしかめた。あの二人に、この刺のある雰囲気は似つかわしくない。

「あ、真砂……」

 一足先に入り口に着いていた真鶸は真砂の姿を認めると、困ったように首を傾けた。

「なんかね……ちょっと、よく分からないけど……」

 真砂よりも二人の会話を聞いていたであろう真鶸が話すべき内容に迷っている。不思議で掴みどころの無い彼女だが、言い淀むことは滅多に無い。悩んで困る表情を見たのはいつぶりだろう。

「何があったの?」
「んー……それがね。どっちなんだろうって……」
「どっち……?」

 いまいち要領の得ない物言いに理解するどころか益々混乱した真砂は、尚も言い争う二人に視線を向けた。ここまで二人を乗せてきた告鴉も濡れて滴ったままの翼をどうするでもなく動かしながら、困ったようにこちらに目配せをしてくる。やはり、共に暮らす時雨しぐれでさえも今の二人は異常だと感じているようだ。

「真砂」

 不意にこちらに気づき、近づいてきた男に手拭いを渡す。何があったのか訪ねようと出しかけた言葉は、少女の非難めいた声に遮られた。

「烏京さまは、どうしていつもご自身を後回しにするのですか……!?」
「お前が風邪を引いたら困るだろう」
「烏京さまもです!」

 少女と同様に男の身体も雨水が滴ったままだ。そんな状態にも関わらず自分を拭き続ける男に、少女は何度も抗議の声を上げる。

「そうやってまた……!」
「俺は平気だ」

 ありすぎる力の差に抗いきれない少女は、男に水滴を拭われて不服そうに唇をムッとさせた。

「自分で拭けますから、どうかご自分のことを考えて……」
「強情だぞ。小毬こまり
「私、子供じゃないわ……」
「そういうところが子供なんだ。言うことを聞け」

 男は逃れようとする少女を慣れた手つきで制する。日頃から獰猛な獣を相手に命のやりとりをしている男にとって、少女の抵抗など赤子の力と差ほど変わらない。なので、特に気にせずやれやれといった調子で少女をいなしていると、何とも信じ難い言葉が聞こえてきた。

「もう烏京さまには口づけしません……!」

 男の無表情だった顔が一瞬にして険を帯びたものに変わり、布を握って血管の浮いた手は少女を拭く動作のまま停止した。
 空気は凍り、時雨はアワアワと羽をばたつかせながら足踏みを繰り返す。真砂は目を丸くし、真鶸も真鶸で、おっかなびっくりといった様子で口に手を当てて二人を見守る。

「……何?」

 真っ黒に冷えた男の、恐ろしく低い声。
 それなのに、少女は……。

「子供だと言うのなら……烏京さまはもう私に口づけ出来ませんね……!」

 男の手をするりと避け、真砂の横を通り抜けて階を一気に駆け上がっていった少女に一同は唖然とした表情を浮かべた。露を孕んだ黒髪は揺れ、その残像を辿るように少女が消えていった階を見つめながら、男は動かなくなった。

「……どっちだろう……」

 真鶸はぼそっと真砂に囁いた。

惚気のろけか、喧嘩か……どっちだと思う?」

 強くなった雨が、男から漂う哀愁をより際立たせている気がする。一連の流れを見守っていた一同に、何とも言えない気まずい空気が流れた。



「烏京さまは私のことばかりです……」

 椅子に座り、真砂の淹れたお茶に口づけるでもなく少女は呟いた。

「何でもそう……。私はただ、ご自分のことも大切にしてほしいだけなのに……」

 両手で湯呑みを包み込み、そこに映る自分の顔を見下ろす。不貞腐れた子供のようで、無愛想に沈んだ顔が見える。子供ではないと、さっき自分で言ったばかりのはずなのに。

「烏京殿と貴女の年齢は?」

 脈絡の無い質問に、少しの間が生じる。

「烏京さまは二十六歳で、私は十八歳です」

 八歳差。聞いた瞬間、真砂は納得した。
 小さくていたいけな、八歳も下の少女に対して湧く心情は想像に難くない。その上、人間という天敵に狙われて生きてきた苦労の多い少女なのだ。構いたくなる気持ちも十分に分かる。しかし少女とて、いつまでも護られている存在ではない。人に慣れて初めて人間の男に抗えた少女は、子供と呼ぶには相応しくない。自分の面倒は自分で見たいと駄々をこねる幼子とは訳が違うのだ。

「利用すれば良いのよ」

 時雨の羽毛に顔を埋め、戯れながら真鶸は言う。

「最初は怖くて仕方がなかったんでしょ? 強制的に連れ去られて。だったら我慢してきた分、お尻に敷いてやれば良いのよ」

 ねー時雨?と話しながら告鴉に抱きつく真鶸に、少女はぽかんと口を開ける。

(烏京さまを……?)

 衝撃的な案によって固まってしまった少女に真砂は助け船を出した。

「小毬さんには難しいかもしれないわね。あの人を言いなりにするなんて、そうそう出来るものではないわ。でも貴女の言うことなら何でも叶えたいと、あの人ならそう思うのではないかしら?」
「そんな、私の言うことなんて……おこがましいです……」

 男の言うことを聞くのはいつも通りだが、逆は違う。いくら人間と清御鳥は対等だと言っていても、そもそもの経験値と力の差がかけ離れすぎている。
 少しの反抗ならば辛うじて出来る程度で、上から物を言うなんてもっての他だ。さっきの言い合いだって肝の冷える思いをしたのだ。後できつく叱られるかもしれない。

「”命令“じゃなくてね。“お願い”ならどうかしら? それなら小毬ちゃんも出来るでしょう?」

「“お願い”……」
「“おねだり”でも良いよ」
「……ぁ……」

 “お願い”も“おねだり”も、情事の際に男に……確か昨日も……。

「そうやって徐々に利用していけば良いのよ」

 赤くなっていく少女に気づいているのか否か。真鶸はなかなかの名案を出したと満足げに笑みを浮かべ、時雨の羽毛を逆撫でながら「わー、根元は白だ!」とはしゃぎ続けた。それに対し真砂は、行き着く先は結局、利用することかと苦笑を洩らす。

「共に暮らすほど懇意にしている女性からのお願いは、殿方にとっては嬉しいものよ?」

 愛くるしい少女に柔和な笑みで優しく諭す。

「笑顔が見たいのよ。沈んだお顔では烏京殿も居たたまれない。甘え上手におなりなさい」

 ──くぁぁぁ……

 太腿に乗った時雨の頭を少女は何の気もなしに撫でる。目を閉じて甘える大烏を愛おしげに見つめながら、時雨の気持ちを考えた。きっと、凄く不安だっただろう。

「赤ちゃんが出来たら今以上に過保護になるわ、あの人」
「!!」
「時雨も心配しているし、仲直りしてらっしゃい」
「はい……!」

 やっと笑った少女に男は一階にいると伝え、ぬるくなったお茶を口に含む。真砂の顔も、自然と笑顔になっていた。



 話さなくては。自分の思うことを。話し合えば、必ず分かり合える。きっと男もそう思ってくれているはず。だから、早く……早く伝えたい。
 少女は勢いよく下へと降りていく。心に生まれた想いを一刻も早く打ち明けたいと、男の元まで駆けていく。
 そうして、やっと見つけた。が……。

「小毬」

 男の傍には、見知らぬ女がついていた。
 女は、男の腕に手を添えて離れようとしない。
 少女は男の顔を見ても、伝えるべき言葉を紡ぎ出せずにいた。時は……動いているのか。もう、分からなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

R18、アブナイ異世界ライフ

くるくる
恋愛
 気が付けば異世界。しかもそこはハードな18禁乙女ゲームソックリなのだ。獣人と魔人ばかりの異世界にハーフとして転生した主人公。覚悟を決め、ここで幸せになってやる!と意気込む。そんな彼女の異世界ライフ。  主人公ご都合主義。主人公は誰にでも優しいイイ子ちゃんではありません。前向きだが少々気が強く、ドライな所もある女です。  もう1つの作品にちょいと行き詰まり、気の向くまま書いているのでおかしな箇所があるかと思いますがご容赦ください。  ※複数プレイ、過激な性描写あり、注意されたし。

優しい先輩に溺愛されるはずがめちゃくちゃにされた話

片茹で卵
恋愛
R18台詞習作。 片想いしている先輩に溺愛されるおまじないを使ったところなぜか押し倒される話。淡々S攻。短編です。

【R18】幼馴染の男3人にノリで乳首当てゲームされて思わず感じてしまい、次々と告白されて予想外の展開に…【短縮版】

うすい
恋愛
【ストーリー】 幼馴染の男3人と久しぶりに飲みに集まったななか。自分だけ異性であることを意識しないくらい仲がよく、久しぶりに4人で集まれたことを嬉しく思っていた。 そんな中、幼馴染のうちの1人が乳首当てゲームにハマっていると言い出し、ななか以外の3人が実際にゲームをして盛り上がる。 3人のやり取りを微笑ましく眺めるななかだったが、自分も参加させられ、思わず感じてしまい―――。 さらにその後、幼馴染たちから次々と衝撃の事実を伝えられ、事態は思わぬ方向に発展していく。 【登場人物】 ・ななか 広告マーケターとして働く新社会人。純粋で素直だが流されやすい。大学時代に一度だけ彼氏がいたが、身体の相性が微妙で別れた。 ・かつや 不動産の営業マンとして働く新社会人。社交的な性格で男女問わず友達が多い。ななかと同じ大学出身。 ・よしひこ 飲食店経営者。クールで口数が少ない。頭も顔も要領もいいため学生時代はモテた。短期留学経験者。 ・しんじ 工場勤務の社会人。控えめな性格だがしっかり者。みんなよりも社会人歴が長い。最近同棲中の彼女と別れた。 【注意】 ※一度全作品を削除されてしまったため、本番シーンはカットしての投稿となります。 そのため読みにくい点や把握しにくい点が多いかと思いますがご了承ください。 フルバージョンはpixivやFantiaで配信させていただいております。 ※男数人で女を取り合うなど、くっさい乙女ゲーム感満載です。 ※フィクションとしてお楽しみいただきますようお願い申し上げます。

【R18】助けてもらった虎獣人にマーキングされちゃう話

象の居る
恋愛
異世界転移したとたん、魔獣に狙われたユキを助けてくれたムキムキ虎獣人のアラン。襲われた恐怖でアランに縋り、家においてもらったあともズルズル関係している。このまま一緒にいたいけどアランはどう思ってる? セフレなのか悩みつつも関係が壊れるのが怖くて聞けない。飽きられたときのために一人暮らしの住宅事情を調べてたらアランの様子がおかしくなって……。 ベッドの上ではちょっと意地悪なのに肝心なとこはヘタレな虎獣人と、普段はハッキリ言うのに怖がりな人間がお互いの気持ちを確かめ合って結ばれる話です。 ムーンライトノベルズさんにも掲載しています。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

【完結】Mにされた女はドS上司セックスに翻弄される

Lynx🐈‍⬛
恋愛
OLの小山内羽美は26歳の平凡な女だった。恋愛も多くはないが人並に経験を重ね、そろそろ落ち着きたいと思い始めた頃、支社から異動して来た森本律也と出会った。 律也は、支社での営業成績が良く、本社勤務に抜擢され係長として赴任して来た期待された逸材だった。そんな将来性のある律也を狙うOLは後を絶たない。羽美もその律也へ思いを寄せていたのだが………。 ✱♡はHシーンです。 ✱続編とは違いますが(主人公変わるので)、次回作にこの話のキャラ達を出す予定です。 ✱これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

処理中です...