烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

いついつ出やる

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 狩人の長はそれから度々、少女の前に姿を現した。変わらずその口は閉じることを知らないのか、今日はこの獣人を仕留めて加工しただの清御鳥しんみちょうの脚を吊るして飾りにするだなどと聞くに堪えない発言ばかりを繰り返している。後ろ手に縛られたままでいる少女は耳を塞げず、酷い話を強制的に聞かされる羽目になっていた。
 これが長の作戦なのか。精神を削って心を病ませ、扱い易くする魂胆なのか。ただ単に暇潰しのつもりなのか。止まらない戯れ言にぼんやりと横たわるしかなかった。

 今の時刻は。何日経過したのか。朝なのか夜なのか。
 深く奥にある独房では外の空気も吸えず、視界も覆われて重苦しく感じる。
 口枷が外されるのは食事の時のみで、それも強引に口を抉じ開けられて詰められ、すぐに固く枷を固定されるのだ。少女の世話もとい監視をしているのは長ではなく部下のようだが、いずれも乱暴こそしないものの優しい手つきで少女を扱おうとはしない。あくまで彼らにとって自分は商品。価値を下げないように、傷が付かなければ良い。というのがひしひしと伝わってくる。“奴隷”、“家畜”そう言われているのだと、毎度思い知らされる。

 いつまでこの場所に閉じ込められていなければならないのか先行きも分からず、日々心は塞いで疲れ果てていった。

烏京うきょうさま……烏京さま……)

 少女の冷たい身体は強張り、錆び付いたかのようになっている。あの温かい大きな掌がひどく恋しい。耳元で囁かれる低音も吐息も、塞がれた目蓋の闇に男の顔が浮かんでは消えない。今、何処で何をしているのだろう。

「おーい。生きてるかー?」

 煩わしい声が外から響く。扉の近くまで来ていた足音にまで鈍感になってしまったのかと少女は軽く衝撃を受ける。

「手間取って二日も待たせちまったな」

(二日……?)

 信じ難いことに永遠とも感じる暗闇はまだ二日しか越えていなかった。床で身を捩り、視界を奪われた少女は眠りとも言えぬ浅い微睡まどろみを彷徨うこと以外は何も出来ず、唯一身体を起こせるのは味も分からない食事と排泄だけ。
 天敵に囲まれ、ひたすら孤独で非力な少女は、数刻数刻を残された命の消えるその瞬間だと思って生きてきた。
 闇に溶けゆく烏京の姿。黒衣をはためかせるあの人にきっとまた逢えると信じ、絶望の中を諦めずに正気を保とうと己を叱咤していた。
 その時間が、たった二日。

「やっぱりお前以外いなかったわ。今さっき仲間が戻ってきたから、やっと場所を移れるぞ」

 清御鳥狩りは難儀だねぇー。と、何処までも軽い調子で言う長の言葉は少女の耳には入っていなかった。

「ほら。脚の拘束、解いてやれ」

 傍らで控えていた部下がガチャガチャと喧しい音を立てて鎖を解いていく。久方ぶりのわずかな自由すら今の少女には何の慰めにもならない。

「立て」

 腕を引っ張られ、鈍って固まった脚を強制的に動かされる。目隠しと口枷、後ろ手の鎖はそのままに、足枷代わりとなる首枷がめられ、グイッと引かれて前を行く。鉤爪がカツカツと硬い床に当たって酷く歩きにくいが、そんなものは狩人達には関係ない。

「早く歩け」

    ──グンッ

「ぅっ……」

 首から伸びた鎖が乱暴に引かれて少女の頭を揺さぶった。息が途切れて裏返った呻き声を口枷の間から洩らすので精一杯な少女は、泣きそうになりながらもつれた脚を懸命に動かした。苦しいのは嫌だった。
 やがて冷えた床は土の感触に変わり、二日ぶりの外の空気が少女の体内に満ちた。長い長い冬眠から目覚めた動物のように、ひどく懐かしい感じもするが、何故か太陽の暖かさは届いてこない。周囲からパチパチと火のぜる音が聞こえてくることから、今は夜なのだと察した。

 柔らかい地面が急に軽い木の感触になった。その木製であろう板は上に傾いていて、よたよたと進む少女を導いた。地面よりいくらか高い床へ棒で突つかれる形で背中を押され、数歩進んだところで後ろからガシャンと……大きな音が響き渡る。

「移動するから。暴れたら少し痛いことになるかもね」
「うぅっ……!?」

(烏京さま……っ、嫌! これ以上離れてしまうの!?)

 慌てて元来た道を戻ろうと走るが、堅くて冷たい物に頭を殴打した。無機質な金属製の質感が少女の身体に食い込み、自分が連れてこられたのは新たに用意された檻の中なのだと悟ってしまった。

「大人しくしろっつっただろ!!」

 ビシイィィィッッ…………

 軽い口調だった狩人の長は突如として鬼のような恐ろしい雰囲気に変わり、檻越しに鞭で少女を威嚇した。

「調子乗るなよ獣風情がよぉ! 手前ぇが清御鳥だから優しくしてやってるんだこっちは!! 目玉、片方潰されてぇのか!!」 

 ──ビシィッ!! バシッ!!

「ひっ! うぅ……」

 人間のあまりの恐ろしさに肩が震え、力なくその場にへたりこんだ少女に、尚も恫喝を繰り返して罵詈雑言を浴びせ続ける。直接的に下された暴力ではないが、鞭の音が少女の疲弊しきった心に傷を刻みにかかった。すっかり縮こまって動けなくなった少女に檻越しの蹴りを入れ、長は言葉を投げつけた。

「次、暴れたら他の清御鳥の首をはねる。どいつもこいつもイカれちまってるが、殺すのはお前だ。目の前でガキから殺る」

 それを最後に、周囲からバサリと大きい布に覆われる空気の流れと音がして、火の爆ぜる音も他の獣の鳴き声も遠くなった。怒鳴り声と、鞭がしなり風を切って当たる音。傷つけられた獣達の痛々しくほとばしる悲鳴が厚い布越しに伝わってくる。
 そんな中、獣に混じって明らかに叫び声が耳をつんざいた。その金切り声を上げる存在に向かって、狩人の怒号と鞭のビシリッと強く当たる音が響き渡る。

「清御鳥のッ! 出来損ないがぁ!! 俺を苛つかせるんじゃねぇぇっ!!!」

 ぎゃああぁあぁぁぁ…………

 幼子の高くて不気味な叫び声が、少女の心臓を潰した。
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