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本編 ─羽ばたき─
名
しおりを挟む告鴉が孵った時の澄んだ女性の声は伝承通り、生命誕生の瞬間以外は発さなかった。その代わり、食事を催促する幼い鳴き声がいつまでも聞こえてくる。早く身体を大きくしなけば天敵に狙われてしまう厳しい自然界。その中で生まれるはずだった雛は、その摂理をよく理解していた。
「そんなに慌てないで……ゆっくりね……」
衣の前をはだけながら、後ろから雛を抱いて給餌をしている少女はすっかり慣れた様子でいた。匙を使い、気管に入らないように慎重に餌を喉に滑り込ませる。そんな優しい羽母に甘え、告鴉の雛は頭をすり寄せながら忙しなく嘴を動かした。
与えているのは、挽肉に卵と豆腐、種実類を練り込んで焼いた手作りの餌だ。味付けはなく、簡単に出来て栄養も摂れる。以前、葉物を与えようとしたところ二、三度つついては顔を背け、頑なに嘴を開けようとしなかった。少女なりに雛の栄養を考えて与えようとしたのだが、葉物野菜は熱量が足りず、素早く体力に変換出来ない上に消化も鈍くさせる。鳥類は食物繊維を上手く消化出来る術を持ち合わせていない。
少ない量で多くの熱量。素早く消化が出来る食事作り。それが少女に課せられた、男からの仕事だった。
よっぽど気に入ったのか、満足そうに鳴いては常に嘴を開閉させておねだりをしてくる。試行錯誤して作った食事を平らげていく雛に、少女も嬉しくなった。
そういえば、何の挽肉かは教えてもらっていない。
「…………」
部屋にある書棚をチラリと見る。以前、男のいない間に書棚の何冊かに目を通してみたことがあった。どれも狩りに関してのことで、獣の種類と生態、それを利用した狩りの方法や有効な罠の作り方と設置に適した場所など、読んでいてあまり気持ちの良いものでは無かった。勿論、清御鳥についての記述も存在する。
──────────────────────
名:清御鳥 (別名:迦陵頻伽/カラヴィンカ)
人間の身体に猛禽類と似た翼と脚を持つ。視力、嗅覚は人間並みであるが鳥の部分である脚力は強く、羽ばたかずに空中に留まっていられるほど高い飛行能力を持つ。翼の色は多種多様。人語を操る。
道具、火を扱う等、人間と変わらない知能だが、人間を天敵と定めており、遭遇しても動けなくなる為、比較的捕まえやすい。
古代から他種の獣、並びに獣人の頂点に立つ食物連鎖の王だったが、人間に狙われてからは大きく変化し生息地を転々として隠れている。
西大陸では迦陵頻伽という名で呼ばれ、仏の声を伝えるとして崇められている。
捕獲、各部位の活用及び加工方法…………
──────────────────────
そこから先は読んでいない。自分達を滅ぼす方法に、死んだ後のことなんて知りたくなかった。知っておけば相手の出方も分かり、いくらか打つ手を見出だせるものだが、それでも駄目だった。たった数枚の薄い用紙に同族の行く末が刻まれているのは腹立たしく、非常に無念だと唇を噛んだ記憶がある。
そんな苦しい記憶の中に、ある文が呼び起こされた。
『獣人の肉は栄養価が優れている。普通の家畜、野生動物よりも人間の要素を併せ持つ獣人の肉は重宝され、滋養強壮の薬以外でも戦闘用の獣の餌として用いられる。』
そう。獣の餌として……。
「……あ……」
少女は獣人だが、人間と通じている可能性のある、他の獣人とは交流を持たないで生きてきた。勿論、食べることなど有り得ない。似た種の鳥や猿は食べられても、獣人は食べられない。人間が人間を食べるくらい有り得ない。
もしかしたら……と雛に与えていた挽肉を恐る恐る見る。すっかり調理され、原形を留めていない、何かの肉。
「……どうしよう……」
この手で、物凄く酷な……猟奇的なことをしてしまったのかもしれない。
「そんな訳ないだろう」
少女からの悲しそうな質問を聞いた男は苦々しげに顔を歪めた。獣人の肉を獣人の手で調理させ、あまつさえその手から獣に食わせる所業などいくらなんでも狂っている。と心外そうに吐き捨てる。
「あれは馬肉だ。野生のを一頭捌いて持ってきた」
「ばにく……」
初めて知った言葉のように呆然と呟く。
あわあわあわ……お腹が空いたと鳴き声を上げながら見上げる告鴉は少女の心配事など露知らず、羽毛をふわふわ膨らませた。もう常に温める必要はなく、しょぼくれていた目もぱっちりと開いて、愛くるしく少女に甘えた視線を向ける。身体も一回り成長して、馬肉を収めたばかりだとは思えないくらいに餌を催促してくる。
「馬肉……よかった……」
心底ホッとしたように息を吐く少女に、男は何とも言えない表情を浮かべる。少女からしたら狩人は十分、猟奇的な生き物だろう。獣人の肉を調理させられたと思われても、例え信用するに値しないと言われても、仕方のないことだ。
「そろそろ始めるか」
告鴉は少女の両手でも収まりきらないくらい大きい。この辺りで人語を教え込めば、指示を過たずに聞き入れるだろう。狩りへと連れ出して獣を仕留める動きを観察させると同時に、鳥達の飛び方を見せてやれば自然と覚え、いくらもしないうちに翼を広げて風に乗る。
少女に飛び方を教えさせる訳にはいかない。建物の周囲には少女の気配を隠す為の結界が張り巡らされているが、一歩出てしまえば効果は無くなる。そうなれば少女は他の狩人の餌食となり、ただの肉塊に成り果てる。
「いいか。お前には母を護る責務がある。生まれてきた意味を知るんだ」
告鴉の青い目と、男の深海色の目がぶつかる。
「名は時雨。雨で冷えかけていたお前を、小毬が温めて救った。その恩を決して忘れるな」
男の言葉を既に理解しているのか定かではないが、告鴉は鳴き声一つ上げずに聴いている。
獣は獲物。それに名前をつけることが男にとってどれだけ異様なのか、少女には分かっていた。
「名を与えるのは、それだけ役目が重いということだ」
名前は尊い存在に付けるものであると同時に、存在をそれたらしめて縛り付ける。個体を特定、識別するだけの単なる記号ではないのだ。
普通に孵っていたならば、そんな役目を負うことの無かった鳥獣に男は重く突きつける。
「あの、あまり酷いことは……」
告鴉を我が子のように育ててきた少女は重苦しい空気に気圧されながら、男が少しでも優しく接してくれるよう願った。
「痛めつけはしない。三流のやり方など御免だ」
発する雰囲気によって対象を封じ込める方法は少女もやられた経験がある。男と出会って最初の頃はよくされていたが、今ではそれも全く無くなった。
「鞭を振るって躾られるほど、時雨も馬鹿ではないだろう」
こう話している間でも、さっきまで餌の催促をしていたのが嘘のように黙ったまま、雛は片時も視線を外さずに男の方を向いている。幼いながらにして誰が主なのかを敏感に悟ったようだった。
「名前、ありがとうございます」
本当の父親のように名付けてくれた男に真心を示す。
時雨を迎えて食糧を調達してきてくれているのも、色々と教えようとしているのも、全ては自分を護る為だと言ってくれた。
(私、何も知らない……)
何故一人でいたのか。何故たまに悲しい表情を見せるのか。何があって冷たい空気を纏うのか。狩人になったのか。少女は男のことを何も知らない。
知りたいと思った。自分のことを大切に想ってくれているのなら、真心を持って向き合いたい。 自分なりに、寄り添うと決めたのだ。
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