烏珠の闇 追想花

晩霞

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本編 ─羽ばたき─

還る翼

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「外すぞ」

 男の手が少女の首にかかった。青色の首飾りは相変わらず美しく煌めいていて、少女の白い首筋に映えている。

烏京うきょうさま……」
「大丈夫だ」

 かつて首飾りを無理矢理めようとした手は今は優しく気遣うように伸ばされてはいるが、少女はあの焼ける苦しみを思い出して縮こまり、男の手を避けたい衝動と闘っていた。

「また熱くなるのでしょうか」
「そうとも限らない。拘束具は普通、処理をするまで外さない。取り去った時の反応は未知数だが、死ぬほどの強い効能は込めていない」

 気休めの安心させる言葉ではなく、ただ本当のことを男は淡々と述べる。
 少女は膝に乗せた卵を見た。自分が覚悟をしなければ、この告鴉つげがらすは孵らない。

「外してください」

 首筋を撫でていた手が、飾りに触れる。後ろからカチッと音が聞こえ、慣れていた軽い圧迫感が消えていく。サラサラと暖簾のれんのように黒髪が揺れて、男の手と飾りが離れた。

「──!!」

 感じた衝撃は少女が予想していたものとは違い、全身に電流を浴びるようだった。手脚の末端から痺れは広がり、身体の中心にまで到達する。力が入らなくなった少女は、座っていた寝台に倒れ込んだ。

小毬こまり

 代わりに卵を抱えた男は苦しそうに歪められている顔を覗く。
 痺れが唇にまで広がった少女は、上手く喋ることが出来ず、ただ歯を食い縛って耐えている。全体がピクピクと痙攣し、瞬きすらも忘れていた。

 死んでしまうのか──……男は必死に少女を揺さぶり、その息を確認する。飾りを嵌めた時、握り返してくれた細く小さな手は、今は何の反応も示さない。

「小毬、小毬!!」

 少女の服が、不自然に膨らみ始めた。ボコボコとしている背中は、まるで蛹を割り開こうとしているように不気味に蠢く。
 卵を傍らに置いて素早く服を脱がせた男は少女の背中を凝視し、出始めた小さい翼に手を添えた。ふわふわとした羽毛は揺れ、少女の痙攣と鼓動によって大きくなっていく。その中で骨が組まれて伸び、一本一本羽が生え、本来の姿を取り戻そうとしている。

 孵ったばかりの雛の成長を早送りで観ているような感覚に目を背けられない。美しいという、場違いな感想が男の心に生まれた。
 薄い羽毛から始まった翼は、少女に痺れを与えながら硬く成長し、やがて立派な風切羽かざきりばねまで生え揃った。

「あ……ぁぁ……」

 やっと動いた喉と唇が、うめきを洩らす。それが自分の声なのか、少女には分からなかった。意図せずに発した声は弱々しいながらも届き、生きていることを男に伝えた。

「大丈夫だ。もう、生え揃った」

 始まりとは逆に、身体の中心から痺れは取れていく。呼吸が楽になり、感覚が戻った手は男の大きくて暖かい掌に包まれているのが分かる。強張りの溶ける先が、今まで失くしていた翼にゆっくりと広がった。
 男の手に支えられながら身を起こした少女は自身の背中から生える懐かしい翼を見た。白く、大きく、力を入れれば思う通りにはためく。それは、母と全く同じもの。

「気分はどうだ」

 視線を移し、不安げな男の顔を見返す。片腕でしっかりと卵を抱き、自分の小さい手を擦っている男の姿に少女は思わず破顔した。

「お父さんみたい……」
「……!」

 紡がれた何気ない一言は、男を驚かせるには十分で、思いがけず少女の手を擦る動きを止めた。

「……おと、う……」

 こんなに心揺さぶられたことなど今までにあっただろうか。常に平常心を保とうとしているつもりが、少女に会ってからは崩れつつあり、その事実は嫌でも認めざるを得ない、が──今回は別格だ。
 自分が父親に例えられるなど露ほどにも思わなかった男は硬直し、しばらく少女を呆然と眺めていた。

 そんな様子に気づかない少女は、男の腕から卵を抱き取り、還ってきた翼でくるんだ。

「普通の烏は春に産卵して、順調にいけば一月ひとつきで孵るそうですが……この子はどうなのでしょうか?」

 真っ黒で大きな卵は、ぬくぬくとくるまれて心地好さそうだ。少女の翼の中こそ、卵の本来の居場所なのではないかと思うほどにしっくりきている。

(お前が産んだのではなかろうか……?)

 そう思ってしまうくらい、少女は母親の顔をして卵を愛しげに見つめている。清御鳥しんみちょうは胎生なはずで、抱卵の本能は備わっていない。しかし、少女は当然のように何の戸惑いも、ぎこちなさすらも感じさせずに卵を温めている。

「抱卵するのに何故、慣れている」
「小さい時は……産まれて一年くらいは母親の翼に包まれて育ちます。卵で産まれなくても、皆そうやって子育てするみたいで、何故か自然と温めたくなります」

 少女に子供を産んだ経験はないが、刷り込まれた母性が役立ったようだ。

「告鴉は普通の烏より、卵でいる期間が一月ひとつき長い。これだと、あと二月ふたつきはこのままだ」

 狩りの対象ではない告鴉の情報さえも男は把握している。そのことに少女は安心を覚え、穏やかに微笑んだ。

「無事に産まれてくるのよ」

 そう呟いた母のような言葉は、卵の雛に届いているのだろうか。少女の嬉しさを、殻越しに感じられているのだろうか。

 男は少女に抱かれた卵にそっと手を伸ばし、ゆっくりと優しく、いつまでも撫で続けた。
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