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本編 ─羽ばたき─
凶兆
しおりを挟む厳寒に落ちた枯れ葉は、いずれ土に溶けて次代の命の支えとなる。生まれて青く繁り、紅く魅了した末に、枝という骨を遺す。山の一年は人の一生を見ているようで、何とも感慨深い。
身を潜めていた生き物が木の中、土の中から動き出し春を寿いでいる。雪融けから緑が点々と覗いていた地面は今や花が綻んでいて、空には鳥達が番を求めて囀りまわっており、まるで宴のよう。
そんな宴の中に規則的な音が木霊している。木々を抜け、遥かなる山々にも響くその音は竹林から聞こえていた。
カーン……カーン……と、若い竹に斧を振り下ろしている巨躯の男は黒衣を纏っている。そこから離れてはいるが、そう遠くない場所に少女は立っていた。男の様子を見守る少女は小鳥のように澄んだ瞳に長い黒髪を紅白の組紐で纏め、桜色の服を着ている。首の飾りは相変わらず少女の正体を隠し続けていた。
「烏京さま……」
竹に向かっている男の姿は色とりどりの背景とは明らかに浮いていて、真っ黒な黒衣は太陽を受けてもその光を全て吸収してしまう。その黒が、かつて少女を怖がらせていた。
「こんなものか」
切られた竹は押せば音を立てて倒れていく。残された幹の中の竹くずを拭い、少女に顔を向ける。合図を受けた少女は男の元へ駆け寄り、その幹に蝋を塗った布を被せて蓋をした。
「しばらくすると中に水が溜まります。その水で、たけのこご飯を炊いても美味しそうですね。」
地面に置いた包みの中には既にたけのこが二つ入っている。道中で土に埋まるたけのこの頭を見つけた少女がとても嬉しそうに顔を緩めていたのに気づき、男が掘り出したものだ。
男には元々、季節を愛でるという趣味は無かった。せいぜいその月の移り変わりで、どんな獲物が動き出すのか、ただそれだけの目安だった。山の中で生きてきた者同士、獲物を狩るのは一緒だが、情景に対する感じ方はまるっきり違う。それでも男が時々、少女に倣って花に目を向けてみることもあった。
闇のような男がすることとは思えない。
少女の好きなように山を歩いていると、かつての自分では気にも留めなかったものに気づく。散歩させているのか、させられているのか。最早どちらでもいい。
「あ、でもまずは普通のご飯を炊きましょうか。その方が、竹水の風味をより感じられると思うので」
「……そうだな」
外出をとても楽しみにしていた少女は自然と口数も多くなる。そんな弾んだ声に聴き入る形で男も隣を歩き、山の空気を吸う。さらさらと竹の葉が鳴り、木漏れ日がそれに合わせてちかちかと動き、少女の組紐もまた、きらきらと光る。
こんな日は空を飛んでみたいと少女は思うが、言葉にするのは憚られた。穏やかな男の様子を崩したくはない。
「そろそろ休憩にするか」
そんな少女の、晴れた空に雲がかかっていくような表情の変化に気づいた男は声をかけた。その表情が疲れから来るものではないことは分かっている。
「はい……」
日は高く昇り気温も上がってきていた。暑くはないものの、確かにそろそろ休むべき時刻だろう。やがて二人は木々を抜けて見晴らしの良い場所に出た。
空では鳶が番を求めて鳴いており、ピー、ヒョロロロ……と微かに声が聞こえてくる。その様子をしばし二人で観察していた。円を描いて美しい羽を遊ばせ高く低く、一羽で飛び続ける。鳶は段々と見えなくなっていき、次第に何も聞こえなくなった。空から見る地上の景色は、さぞや風光明媚なのだろう。山の春容を見渡せる翼が、少女は羨ましかった。
きっと、隣の男は全く違うことを考えている。捕まえて生活の糧とするのに考えを巡らすのが狩人。鳶から見える世界を想像するなんて、絶対にしない。
「捕えないのかと言いたげだな」
「!」
鳶の狩りを薦めてしまえば、その隙に逃げるつもりかと疑われそうで黙っていたのだが……動向を探るのに長けた男には通用しなかった。
「お前の考えていることくらい分かる。それに、こんな時にまで仕事を優先させるほど無粋ではない」
その言葉の意味とは何だろう。自分がこの時間を大切に思っているのと同じで、男もそう感じてくれているのか。
口づけをされた時のように、胸に広がる戸惑いと、淡い高鳴りが、少女を焦がす。
「嬉しい、です……」
素直にそう言ってしまえば、自然と顔も綻んで少し恥ずかしい。頬が熱くなっていくのを感じる。男の目を見られないのは恐怖によるものではなく、甘酸っぱい感情のせいで……男が纏う闇のような黒衣に対する怯えも、いつしか安心に変わっていた。
火照る気持ちを我慢して、眼差しを男に注ぐ。
「お前……その顔……」
真っ直ぐ、こちらに向かって来るはにかんだ笑みに、つい言葉が詰まる。
「いや……何でもない」
先に目を逸らした男は、また景色を眺め始めた。生まれて初めて抱いた胸の苦しみのことなど、すぐに頭の隅に追いやろうとしたが、なかなか思い通りにはいかなかった。
胸を焦がす、その苦しみの名前すら男は知らなかった。
────────────
また空に翼が翻った。鳶とは違う模様のそれは、異様に大きい。赤と白の縞模様は青い上空でよく目立つ。ソレは目を見開き、必死に何かを探していた。頭も心も毒に犯され、ただただ与えられた命令のみを遂行しようと羽ばたいている。自分が何者であるのか、名前などはあるのか、ソレには関係のないことだった。
広大な山々を休まずに探し続けていても疲れず、喉の乾きも忘れて……己が求める存在は何処にいる──?
高く低く滑空し、あらゆる痕跡を、匂いを確かめた。途中の獣達には目もくれず、捜索が山の中腹に差し掛かった頃、例の感覚が襲ってきた。鈍くなった本能でも分かる違和感。全身の産毛が逆立ち、髪の毛一本一本にまで神経が通ったような……皮膚が引きつられるような、ピリリ、とした感覚。そんなおぞましい気配と同時に、あるモノを察知した。
ずっと求めていた、自分と同じ匂いのする存在……この苦しみは、この時の為にあった……!!
死に物狂いで探していたものが見つかったソレは、勢いを増して、その存在に近づいていく。
捕えろ、捕えろ、と頭の中で声が木霊する。
どうやって翼を動かしているのか、息をしているのか分からずに、まばたきすらも忘れて飛んだ先には──。
真っ黒な人間の腕に抱かれた少女の姿が、ソレの目に映った。
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