1 / 1
泡沫の魚
しおりを挟む
一八六五年 七月 三日
土佐藩士 岡田 以蔵
拷問ニ 耐エ兼ネ
土佐勤王党デノ 要人暗殺ヲ 自白
斬首
同年 同月 同日
土佐勤王党首 武市 瑞山
以蔵ノ 自白ニ 因リ 罪ニ 問ワレ
切腹
◎ ◎
ふたたびと 返らぬ歳を はかなくも
今は惜しまぬ 身となりにけり
― 武市 瑞山 ―
君が為 尽くす心は 水の泡
消えにし後ぞ 澄み渡るべき
― 岡田 以蔵 ―
◎ ◎
「百一、百二……!」
安政二年、初夏。
土佐、武市道場。
齢十七になる儂は、まだ、入門したばかり。
儂は、稽古場で、素振りに励んじょった。
「精が出よるな、以蔵」
「武市先生!」
道場の主、武市半平太先生が、母屋から出て来た。
「腹が減ったやろ、ほれ」
「わぁ、握り飯!」
「疲れたやろ、ちっくと休めや」
先生と、縁側に並んで座る。
外は、えい天気で、庭は、夏の草の匂いがした。
パシャン、と池の鯉が跳ねる。
この握り飯、中身は何やろう?
具が知りとうて、先に割ってみた。
「ははっ、毒でも入ってると思うたか?」
「真逆、先生に限って」
儂は、鰹節お握りを頬張る。
「頬っぺたに、米粒が付いちゅう」
「えっ?」
先生は、儂の頬に付いた米粒を摘み、ピン、と池へ放った。
鯉が、口をパクパク開けて、寄って来る。
「鯉、大きいですにゃあ」
「おう、池に入れて、もう何年になるがか」
先生は、懐かしむ様に目を細めた。
「以蔵は、太刀筋が、えい。
これから、まっこと強うなるぜよ」
「本当ですきに!?」
先生に褒められた、嬉しい!
「……儂が、国の為に立ち上がったら、
剣を振るうてくれるか?」
先生が、急に声の調子を落とした。
「はい」
「危険な仕事に、なるぜよ?」
「先生の為なら」
「役人に捕まったら、拷問されるぜよ?」
「ごうもん?」
「痛いで?
以蔵は泣き味噌やき、泣いてしまうかもにゃあ?」
「泣かんし!」
ぷぅ、と頬を膨らます。
ベチン!
「いっで!いっ」
中指で、でこを弾かれた。
「はぁ……、この位で涙目になってる様じゃあ、話にならんにゃあ」
「先生ッ!」
「ははっ、済まにゃあ」
そう言うて、先生は、頭を撫でてくれた。
「痛うても、口を割らんか?」
「先生を売る位なら、儂は、舌を噛むぜよ!」
「約束や」
小指を絡ませる。
「指切りげんまん、嘘こいたら……水の泡!」
「えい子や」
満足気に笑う先生。
「じゃあ、儂は、会合に行くきに」
「お供します」
「おまんが聞いても、解らんぜよ。
留守番しいや」
「解りますき!」
「ほう、言うてみ?」
「えっと、じょう……い?」
「……外国人を追い払い、日本を守るんぜよ」
「兎に角、先生が言うんなら、悪い奴なんですにゃあ!」
「じゃあ、暮れ六つには帰るで、道場は頼んだぜよ」
「行ってらっしゃい」
先生の背中は、次第に遠く、小さくなった。
何とは無しに、庭を眺める儂。
台所から、飯炊きの女中さんが、桶を持って出て来た。
ざぶん、と池に桶を浸ける。
「鯉、どうするぜよ?」
「捌くんでさぁ」
「食うんか!?」
「へえ、旦那様が、そうせえ、て」
「先生が?
鯉、あげに可愛がってたきに……」
「肥やして食べよう思うて、手ェ掛けてたんでしょうや。じゃ」
桶を抱えて、さっさと行ってしもうた。
その晩、先生の屋敷で、夕餉をご馳走になった。
捌きたての鯉は、まっこと、旨かったけんど、
何でか、ちっくと、生臭いにゃあ……と、儂は思うた。
土佐藩士 岡田 以蔵
拷問ニ 耐エ兼ネ
土佐勤王党デノ 要人暗殺ヲ 自白
斬首
同年 同月 同日
土佐勤王党首 武市 瑞山
以蔵ノ 自白ニ 因リ 罪ニ 問ワレ
切腹
◎ ◎
ふたたびと 返らぬ歳を はかなくも
今は惜しまぬ 身となりにけり
― 武市 瑞山 ―
君が為 尽くす心は 水の泡
消えにし後ぞ 澄み渡るべき
― 岡田 以蔵 ―
◎ ◎
「百一、百二……!」
安政二年、初夏。
土佐、武市道場。
齢十七になる儂は、まだ、入門したばかり。
儂は、稽古場で、素振りに励んじょった。
「精が出よるな、以蔵」
「武市先生!」
道場の主、武市半平太先生が、母屋から出て来た。
「腹が減ったやろ、ほれ」
「わぁ、握り飯!」
「疲れたやろ、ちっくと休めや」
先生と、縁側に並んで座る。
外は、えい天気で、庭は、夏の草の匂いがした。
パシャン、と池の鯉が跳ねる。
この握り飯、中身は何やろう?
具が知りとうて、先に割ってみた。
「ははっ、毒でも入ってると思うたか?」
「真逆、先生に限って」
儂は、鰹節お握りを頬張る。
「頬っぺたに、米粒が付いちゅう」
「えっ?」
先生は、儂の頬に付いた米粒を摘み、ピン、と池へ放った。
鯉が、口をパクパク開けて、寄って来る。
「鯉、大きいですにゃあ」
「おう、池に入れて、もう何年になるがか」
先生は、懐かしむ様に目を細めた。
「以蔵は、太刀筋が、えい。
これから、まっこと強うなるぜよ」
「本当ですきに!?」
先生に褒められた、嬉しい!
「……儂が、国の為に立ち上がったら、
剣を振るうてくれるか?」
先生が、急に声の調子を落とした。
「はい」
「危険な仕事に、なるぜよ?」
「先生の為なら」
「役人に捕まったら、拷問されるぜよ?」
「ごうもん?」
「痛いで?
以蔵は泣き味噌やき、泣いてしまうかもにゃあ?」
「泣かんし!」
ぷぅ、と頬を膨らます。
ベチン!
「いっで!いっ」
中指で、でこを弾かれた。
「はぁ……、この位で涙目になってる様じゃあ、話にならんにゃあ」
「先生ッ!」
「ははっ、済まにゃあ」
そう言うて、先生は、頭を撫でてくれた。
「痛うても、口を割らんか?」
「先生を売る位なら、儂は、舌を噛むぜよ!」
「約束や」
小指を絡ませる。
「指切りげんまん、嘘こいたら……水の泡!」
「えい子や」
満足気に笑う先生。
「じゃあ、儂は、会合に行くきに」
「お供します」
「おまんが聞いても、解らんぜよ。
留守番しいや」
「解りますき!」
「ほう、言うてみ?」
「えっと、じょう……い?」
「……外国人を追い払い、日本を守るんぜよ」
「兎に角、先生が言うんなら、悪い奴なんですにゃあ!」
「じゃあ、暮れ六つには帰るで、道場は頼んだぜよ」
「行ってらっしゃい」
先生の背中は、次第に遠く、小さくなった。
何とは無しに、庭を眺める儂。
台所から、飯炊きの女中さんが、桶を持って出て来た。
ざぶん、と池に桶を浸ける。
「鯉、どうするぜよ?」
「捌くんでさぁ」
「食うんか!?」
「へえ、旦那様が、そうせえ、て」
「先生が?
鯉、あげに可愛がってたきに……」
「肥やして食べよう思うて、手ェ掛けてたんでしょうや。じゃ」
桶を抱えて、さっさと行ってしもうた。
その晩、先生の屋敷で、夕餉をご馳走になった。
捌きたての鯉は、まっこと、旨かったけんど、
何でか、ちっくと、生臭いにゃあ……と、儂は思うた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる