泡沫の魚

ももちよろづ

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泡沫の魚

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一八六五年 七月 三日


土佐トサハン 岡田 ゾウ


拷問ゴウモンニ 

土佐勤王党キンノウトウデノ 要人暗殺ヨウジンアンサツヲ 自白


斬首ザンシュ




同年 同月 同日


土佐勤王党首トウシュ タケ 瑞山ズイザン


以蔵ノ 自白ニ リ ツミニ 問ワレ


切腹セップク



     ◎     ◎



ふたたびと 返らぬとしを はかなくも


今はしまぬ 身となりにけり



― 武市 瑞山 ―





君がため くす心は 水のあわ


消えにしのちぞ わたるべき



― 岡田 以蔵 ―



  ◎  ◎


「百一、百二……!」


安政あんせい二年、初夏。

土佐、武市道場。

よわい十七になるわしは、まだ、入門したばかり。

儂は、けいで、素振すぶりにはげんじょった。

「精が出よるな、以蔵」

「武市先生!」

道場のぬし、武市半平はんぺい先生が、おもから出て来た。

はらったやろ、ほれ」

「わぁ、にぎめし!」

「疲れたやろ、ちっくと休めや」

先生と、縁側えんがわに並んですわる。

外は、えい天気で、庭は、夏の草のにおいがした。

パシャン、と池のこいねる。

この握り飯、中身は何やろう?

具が知りとうて、先にってみた。

「ははっ、毒でも入ってると思うたか?」

さか、先生に限って」

儂は、鰹節かつおぶしお握りをほおる。

「頬っぺたに、米つぶが付いちゅう」

「えっ?」

先生は、儂の頬に付いた米粒をつまみ、ピン、と池へほうった。

鯉が、口をパクパク開けて、寄って来る。

「鯉、大きいですにゃあ」

「おう、池に入れて、もう何年になるがか」

先生は、なつかしむ様に目を細めた。


「以蔵は、太刀たちすじが、えい。

 これから、まっこと強うなるぜよ」

「本当ですきに!?」

先生にめられた、うれしい!

「……儂が、国の為に立ち上がったら、

 剣を振るうてくれるか?」

先生が、急に声の調子を落とした。

「はい」

「危険な仕事に、なるぜよ?」

「先生の為なら」

「役人につかまったら、拷問ごうもんされるぜよ?」

「ごうもん?」

「痛いで?

 以蔵は泣き味噌みそやき、泣いてしまうかもにゃあ?」

「泣かんし!」

ぷぅ、と頬を膨らます。

ベチン!

「いっで!いっ」

中指で、でこをはじかれた。

「はぁ……、このくらいで涙目になってる様じゃあ、話にならんにゃあ」

「先生ッ!」

「ははっ、済まにゃあ」

そう言うて、先生は、頭をでてくれた。

「痛うても、口を割らんか?」

「先生を売る位なら、儂は、舌をむぜよ!」

「約束や」

小指を絡ませる。

「指切りげんまん、うそこいたら……水の泡!」

「えい子や」

満足気に笑う先生。

「じゃあ、儂は、会合に行くきに」

「おともします」

「おまんが聞いても、わからんぜよ。

 留守番しいや」

「解りますき!」

「ほう、言うてみ?」

「えっと、じょう……い?」

「……外国人を追い払い、日本を守るんぜよ」

かく、先生が言うんなら、悪い奴なんですにゃあ!」

「じゃあ、れ六つには帰るで、道場は頼んだぜよ」

「行ってらっしゃい」

先生の背中は、だいに遠く、小さくなった。


何とは無しに、庭をながめる儂。

台所から、飯炊きの女中さんが、おけを持って出て来た。

ざぶん、と池に桶をける。

「鯉、どうするぜよ?」

さばくんでさぁ」

「食うんか!?」

「へえ、だん様が、そうせえ、て」

「先生が?

 鯉、あげにわいがってたきに……」

やして食べよう思うて、手ェ掛けてたんでしょうや。じゃ」

桶をかかえて、さっさと行ってしもうた。


その晩、先生のしきで、ゆうをごそうになった。

捌きたての鯉は、まっこと、うまかったけんど、

何でか、ちっくと、生臭なまぐさいにゃあ……と、儂は思うた。





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