サイコさんの噂

長谷川

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サイコさんの噂

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『サイコさんキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』

 再びスレッドが沸いた。一度は止まったはずの流れが急速に加速する。
 だが蒼太は信じられなかった。嘘だ。こんなことがあるはずがない。これは何かの陰謀だ。そう思い、自分の本名をぴたりと言い当てた人物の名前を見やる。

『3dqXeb』

 まったくもって意味不明だった。恐らくコテハンとして適当にキーボードの文字を打ち込んだのだろう。だがこんなことが本当にありえるのか? 何故こいつは自分の名前を言い当てることができた? こいつは誰だ? 学校の知り合いか? いや、そんなわけがない。何せ蒼太は今夜自分がここでサイコさんを実演することは誰にも話していないし、そもそも普段5ちゃんねるに書き込みをしていることさえ他人に漏らしたことはない。なのに何故? 何故当てられた?
 同じ思考がめまぐるしくループし、頭がぐらぐらする。自分でも信じられないくらいに心拍数が跳ね上がり、スマホを持つ手が震えて文字も打てない。だが――

『で、どーなのヒロヤクン? きみ、本名森っていうの? 下の名前はそうた?』
『ヒロヤ君終了のお知らせwwwwwwwwwww』
『どうなんだよヒロヤ? オラ早く答えろよ』
『本当にこれが本名なわけ? だとしたらやばくね?』
『本人が何も言わないってことはそうなんじゃねーの?』
『ちょっとVIPにスレ立ててくるwwwwwwwww』
『特定班あくしろよ』
『いや、でもヒロヤ君的にはこれも「自演」なんでしょ? どうせすぐ「誰かが適当に書き込んだ名前で俺の本名じゃない」とか言い出すからwww な、ヒロヤ君?』

 信じられない早さでレスが流れた。このままでは本当にこれが自分の本名だと住民たちにバレてしまう。ここは最近話題のスレッドだから、もしかしたら自分の同級生や部活仲間も見ているかもしれない。そいつらがしゃしゃり出てきたらまずい。何とかしなければ。

『いや、お前らレス速すぎwww 全然追いつけねえwww てか森蒼太って誰よ? やっぱり自演じゃねえか。当てずっぽう言ってんじゃねーぞカス』

 震える手で、何とかそれだけを打った。本当はもっと賢い返し方があるのかもしれないが、今はそれ以上の文言は考えられなかった。
 とにかくスレの流れを止めたい一心で送信する。案の定住民からはブーイングが上がった。だがそんなことはどうでもいい。とにかく今はこれが自分の本名だとバレないように――


『森 蒼太 平成10年11月4日生まれ
 M県加賀稚郡加賀稚町蔚染4丁目3番15号
 県立加賀稚高等学校2年B組出席番号28番
 022X-34-XXXX 080-068X-XXXX』


 ぞっとした。呼吸が止まった。
 蒼太の誕生日、現住所、通っている高校、自宅及び携帯の電話番号。
 一言一句、すべて言い当てられていた。書き込み主はやはり『3dqXeb』。
 嘘だ。こんなことあるわけがない。あっていいわけがない。
 どうして? どうしてこいつには自分の正体が分かる?
 ありえない。こんなことは、絶対に――

「――パキッ」

 と、そのとき突然机の片隅から音がして、蒼太はその場で飛び上がった。自然と呼吸が荒くなる。まるで脳が頭蓋ずがいの中で暴れているかのように、頭がドクドク言っている。
 何事かと思って目をやれば、音を立てたのはターコイズのブレスレッドを入れて置いていたマグカップだった。まったく誰も触れていないのに、カップの中の水が揺れている。……風か? いや、窓は閉めきっているしエアコンも切っている。では虫でも飛び込んだのか?
 震える手を伸ばし、蒼太はどうにかマグカップを自分の手元へ引き寄せた。そうして中を覗いてみる。――目を見張った。
 何故なら白いマグカップの水底で、数珠状につながれたターコイズが見事に割れていたからだ。

「な、何だよこれ……」

 無意識に絞り出した声は、まるでひどい風邪でもひいたみたいにかすれていた。ぜえぜえと、更に呼吸が荒くなる。息を吸いすぎて頭がぼうっとするのに、自分で呼吸を制御できない。
 とにかく、そうだ。このターコイズの写真を撮って、もう一度スレッドに書き込もう。
 それで話題を逸らせるかもしれない。それがいい。オカルト好きのあのスレの住人たちならきっと食いつく。それでさっきの『3dqXeb』の書き込みはナシだ。
 ガタガタと余計な音を立てながら、蒼太は引ったくるようにして自分のスマホを手に取った。だがしばらく操作せずに放置したせいだろうか、画面が真っ黒になっている。
 蒼太は苛立って電源ボタンを連打したが、どういうわけか応答がなかった。いつまで経っても画面が点灯しない。勝手に電源が落ちたのか?
 ならばもう一度起動しようと電源ボタンを長押しするも、画面はやはり暗いまま。

「くそっ、何でだよ! 何で――」

 焦りと苛立ちのあまり、蒼太はスマホを机の角に叩きつけようとした。だがその刹那、気づく。
 何か、ひやりとした感触が背筋をなぞった。いや、それは感触と呼べるほどはっきりとしたものではなく、冷たい空気が突然服の中に入り込んできた、とでも表現した方がいい。
 瞬間、蒼太は思った――何かいる。
 自分の後ろに、何かの気配を感じる。
 ――何だ? そう思うのに、恐ろしくて振り向けない。何故か振り向いてはいけないような気がする。本能の警告。動けない。どうすればいい?
 自問すると、何か聞こえた。
 歌だ。突然頭の中で鳴り響く。蒼太はその歌を知っている。その歌は幼い子供の声で、


 かごめ かごめ
 籠の中の鳥は いついつ出やる?
 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
 後ろの正面
 だ あ れ ?


 歌につられて、蒼太は振り向いた。ゆっくりと、振り向いてしまった。
 その蒼太の肩に何かが触れる。
 それは血まみれの、


          ●  ●  ●


【オカルト☆ナイツ(4)】  (6/30(火))

 みっつん:『おはようございまーす!(*^O^*)』7:12
 麦   :『はよっすーww』7:20
 ハルマ :『みっつんさん、麦さん、おはようございます』7:23
 みっつん:『皆さん、昨日のサイコさんスレ見ましたー!?(゜∀゜*)
       めっちゃ盛り上がってましたよね!!』7:25
 麦   :『見た見たwww なんかすげーことになってたっすねw
       スレの流れ速すぎて俺途中で挫折ざせつしたわwwww』7:26
 みっつん:『えー!? 最後まで見なかったんですか!? もったいない!!』7:27
 麦   :『これからログ見よっかなーと思ってたとこw 
       あれからヒロヤ氏戻ってきたの?ww』7:29
 みっつん:『それが戻ってこなかったんですよ(´・ω・`)
       でも戻ってこないってことはたぶん全部本当なんだろってなって……』7:31
 やっさん:『出遅れた……はよっす。
       昨日サイコさんスレでなんかあったの? 今北産業』7:34
 麦   :『ヒロヤ氏サイコさんに挑戦。
       成功するも個人情報全暴露される。
       ヒロヤ氏死亡』7:35
 やっさん:『何それサイコさん最強すぎワロタwwwww』7:36
 やっさん:『つーかそんな祭りやってたのかよ……くそ! 
       あとでちょっとログあさるわ』7:37
 みっつん:『ぜひ見て下さい! マジでちょー盛り上がったんで!!‌ ヽ(=´▽`=)ノ』7:37
 みっつん:『てか、あれ絶対本物のサイコさんですよね!? (゜∀゜*)
       ウチらのとこに来てくれたサイコさんと雰囲気めっちゃ似てたし!!』7:39
 麦   :『ですよねwww ヒロヤ氏今頃どうしてんだろ?wwww』7:41
 やっさん:『ほんとに個人情報暴露されたなら部屋にこもってガクブルじゃね?
       本名とか公開されたの?』7:42
 みっつん:『ですです! 
       てか、本名どころか住所とか電話番号まで晒されてましたよ!』7:43
 やっさん:『何それこわい……』7:43
 やっさん:『俺サイコさんだけは絶対やんないわ。
       家特定されてCIAとか乗り込んできたら困るし』7:45
 麦   :『あんた何者だよwwwwwwwwwwww』7:45
 みっつん:『でも、正直あれはヒロヤ氏の自業自得ですよ(-_-)
       自分でサイコさんに「俺の個人情報当ててみろ」って言ったんですもん』7:48
 麦   :『本気で自演だと思ってたんだろうねーサイコさんw
       まあ、あいつマジウザかったんでぶっちゃけメシウマですわwwww』7:49
 ハルマ :『でも、サイコさんって結局何なんですかね……
       昨日のアレも本当だったとしたらどうして言い当てられたんでしょう?』7:52
 みっつん:『そこですよね(゜_゜)
       こないだここに呼んだときも
       ウチの誕生日と血液型バッチリ言い当てられたし!』7:53
 麦   :『けど前にサイコさん呼ぶのにも相性的なものがあるとか言ってたやつがいたじゃ
       ないっすかw 
       そう考えると既にここに2回も来てくれてるってことは、
       みっつんさん相当サイコさんと相性いいんじゃないすかね?w』7:58
 みっつん:『ですかねー? 何だったら今夜も呼んじゃおっかな、サイコさん♪
       今度はサイコさん自身のこと聞いてみるとか面白そうじゃないですか?』8:00
 ハルマ :『でも最近呪いの噂とかもあるし、
       やりすぎない方がいいんじゃないですか?』8:01
 やっさん:『そういやそんな噂も流行はやり出したね。
       俺は話を盛るための後づけだと思うけど』8:02
 ハルマ :『でも、都市伝説ってたまにほんとにヤバいのも混ざってますから…
       ちなみにみっつんさんは今のところ変なこととか起きてないですか?』8:05
 みっつん:『そうですねー。特には何もないんですけど(゜_゜)
       あ、ただ最近変な夢繰り返し見るんですよ。
       なんか、井戸の中? みたいなとこに自分がいて
       上から人が降ってくるってやつ(>_<)』8:08
 麦   :『親方!! 空から女の子が!!wwwww』8:09
 みっつん:『違いますから!(笑) 
       女の子じゃなくてたぶん男の人? なんか着物とか着てたような……
       すごい暗いんであんま周りがよく見えない夢なんですけど(゜゜;)』8:11
 ハルマ :『その男の人は生きてるんですか?』8:12
 みっつん:『いや、たぶん死んでます……その井戸結構深いみたいで
       落ちてきたあといっつもグシャッていってるんで(((>_<)))』8:14
 麦   :『ちょwwww それ大丈夫なんすか?wwww』8:15
 みっつん:『ウチはグロいの平気なんで大丈夫ですけど
       なんかこう毎晩のように見ると確かに気味が悪いですね(*_*;』8:16
 みっつん:『あ、あと最近何故かずっとおんなじ歌が頭の中ループしてます(笑)
       でもこれは関係ないかな? どっかで聞いて頭に残ってるだけかも』8:18
 ハルマ :『何の歌ですか?』8:19


 みっつん:『かごめかごめですよ~』8:21




 ◆第參夜だいさんや


 翌日宙夜が登校すると、クラスはもうその話題で持ちきりだった。

「ねえねえ、見た? Tmitterで流れてきてたサイコさんスレ!」
「見た見た! B組の森蒼太でしょ? あれマジでヤバくない!?」

 期末考査二日目だというのに、クラスメイトたちはその話題に夢中。もはや誰一人として、テスト前の最後の追い込みにいそしむ者はいない。
 そんな異様な熱狂に包まれた教室を横切り、宙夜は何食わぬ顔で自分の席に着いた。
 少し離れた席から燈の視線を感じる。しかし宙夜は敢えてそれを無視した。今はそれより暗記した政経の用語の確認と、クラスメイトたちからの情報収集に集中したかったからだ。

「あの書き込みってガチだよね? ほんとにサイコさんが書き込んだのかな?」
「森、今日はまだ学校来てないってさ」
「ってことはやっぱ〝ヒロヤ〟って森だったの?」
「そうじゃなきゃテスト中に学校休むってありえないっしょ」
「バカだなー、あいつ。これもう人生詰んだよな」
「『森蒼太をヲチするスレ』だろ? あれマジでやべーよ。今朝見たら森の家の写真撮ってアップしてるやつとかいたし」
「『イタ電かけまくってるwww』とか言ってるやつもいたよね」
「ああ、それもう通じなくなったって。家電いえでんも携帯も」
「『死ね』って書きまくった手紙送ったってやつもいたぞ」
「まあ、でも自業自得っていうか」
「うははは! 見ろよこれ、中学の卒業写真載せられてる!」
「あーあ、ついに顔も割れたか」
「これ載せたの誰だよ? 絶対ェ森と同中おなちゅうのやつだろ」
「これで〝ヒロヤ〟が森じゃなかったら別の意味でやべーな」
「どっちにしろ終わりだろ、あいつ」

 自作の暗記ノートをパラパラとめくりながら、怒涛どとうのように渦巻く生徒たちの声に耳を傾ける。昨夜。サイコさんスレ。〝ヒロヤ〟。書き込み。森蒼太。どうやら事態は宙夜が予想したとおり最悪の方向へ、しかも猛スピードで転がり落ちているようだ。
 これは玲海が黙っていないな。そう思うと、無意識のうちにため息が零れた。
 果たしてそんな宙夜の予感は、ほどなく的中することになる。

「――宙夜!」

 まるで空間を切り裂くような声で宙夜が名を呼ばれたのは、二限目の英語の試験と帰りのホームルームが終わったあとのことだった。
 直情径行の玲海にしては耐えた方だな、と宙夜は思う。本当は一限目の試験が終わった直後にでも飛び込んでくるのではと思っていたのだが、さすがに昨日の数学に続いて英語まで赤点を取るわけにはいかない、という程度の理性は保てたらしい。

「ねえ、ちょっと! 何がどうなってるの!?」
「俺に訊かれても困るよ」
「だって、昨日の今日だし!」
「いや、昨日のアレは関係ないと思う」

 言ってから、いや、少しは関係あるかもな、と宙夜は思い直した。
 もしあの〝ヒロヤ〟というハンドルネームの主が本当に蒼太だったなら、彼がよく5ちゃんねるで暴れていたのは日頃の鬱憤を晴らすためだったとも考えられる。現実リアルでもよく宙夜に突っかかってきていた彼の性格を思うとありえない話ではないし、ましてや昨日は公衆の面前で女子あかりにぶたれるという醜態を晒したばかりだ。
 だが宙夜は鞄を肩にかけながら思い浮かべたその推測を、玲海に話そうとは思わなかった。そもそも玲海は宙夜が5ちゃんねるの常連であることを知らない。ましてや一連の騒動があった『サイコさんの噂』スレをよく覗きに行っていたなどと知れたら、苛烈かれつな追及を受けるのは目に見えている。

「で、森は今日本当に休んだの?」
「そうよ、テスト中なのに学校に来なかった! 前は熱出しても無理してテスト受けに来てたのに……ていうか〝ヲチスレ〟って何? 何で蒼太の写真とか住所がネットに出回ってるの?」
「それは――」
「サイコさんだよ、玲海ちゃん」

 ――場所が悪いから帰りながら話すよ。
 そう告げようとした宙夜の言葉を遮ったのは、学生鞄を持ってやってきた燈だった。
 その表情がいつになく強張こわばっているように見えるのは、たぶん宙夜の気のせいではないはずだ。やや幼さを残す大きな瞳は動揺に揺れ、すがるように玲海を見ている。

「燈……そのサイコさんって、前にあんたが言ってたやつだよね? ネット上で質問すると、どこからともなく現れてその質問に答えてくれるっていう……」
「うん。わたしも今日学校に来て初めて知ったんだけど、森くん、昨日の夜にそのサイコさんをやったんだって。そしたらほんとにサイコさんが来て、森くんの本名とか住所とか全部言い当てちゃったみたいで……」
「でも、だからって何でこんな大騒ぎになってるわけ? 中学の卒アル写真が載ったりとか、いたずら電話が行ったりとか……それもそのサイコさんって人がやったの?」
「違うよ。森は前からネット上でも色んな人に噛みついて喧嘩を売ってたんだ。そのせいで嫌な思いをした人たちが、よってたかって報復に走ってる。森を吊るし上げて潰してやろうってね」
「そんな……! それにしたって、こんなのやりすぎだよ!」

 宙夜の言葉を聞いた玲海は、まるで自分が矢面に立っているかのように悲鳴を上げた。その瞬間クラスがしんと静まり返り、皆の視線が宙夜たちに集まってくる。
 ……だから場所を変えようと思ったのに。ままならない現状に、宙夜は内心ため息をついた。
 少なくとも現状、蒼太のことを話題にしている生徒たちは皆この状況を面白がっている。真面目に同情しているのはたぶん玲海くらいだ。
 その状況下であからさまに蒼太をかばうような言動をすれば、間違いなく玲海の立場も悪くなる。学校ここでは個人の意思などさほど重要ではなく〝いかに多数派と同調するか〟が重視されるのだ。多数派に迎合しない者はすなわち〝異端〟とみなされ、大抵の場合爪弾つまはじきに遭う。
 そして玲海は今、まさしくその〝異端〟として皆に認識されようとしていた。蒼太の件を面白がっている生徒たちは、こんなに楽しいイベントに何故水を差すのかと玲海の言動に不快感を覚えたはずだ。このままここで話を続けるのはまずい。そう思った宙夜は改めて玲海たちに帰宅を促そうとした――が、そのときだ。

「佐久川さん」

 と、そこで宙夜は異変に気づき、並んだ机の最後列に座る凛子を呼んだ。
 呼ばれた凛子がぎょっとしたように顔を上げる。何故そこで自分を呼ぶのか、という顔だ。
 だが宙夜は見ていた。凛子は最近の彼女にしては珍しく、それまで玲海や燈の話に聞き入っている様子だったのに、突然手元に目を落とし、机の下で何かをいじり出したのだ。
 その〝何か〟は言うまでもなくスマートフォンだろう。そしてそのスマートフォンを覗く凛子の目に危うい好奇の色があるのを、宙夜は見抜いた。

「サイコさんは確かに当たるみたいだけど、興味本位で調べたりしない方がいいよ。一度詳しく知っちゃうと、きっと自分もやってみたくなるだろうから」
「な……何よ、突然?」
「今、調べようとしてたでしょ、サイコさんのこと」
「は? そ、そんなの調べようとしてないし! ていうか人のスマホ勝手に覗かないでよ!」
「覗いてないよ。そもそもこの位置から佐久川さんのスマホが見えるわけないと思うけど」

 いつもと変わらぬ口調で宙夜が言えば、凛子の頬がたちまちカアッと上気した。
 その反応を見るに、やはり図星だったのだろう。以前燈がサイコさんの話題を出したときも凛子は興味を示していたようだし、今回の件で本格的に調べてみようと思うのは無理もないことだ。しかしただ調べるだけならいいものの、今の凛子にはそれを実践しかねない危うさがある。

「森のこともあったばかりだし、何か悩みがあるならちゃんと〝人間〟に聞いてもらうべきだと思う。サイコさんはやめた方がいい」
「そうなの、凛子?」

 話を聞いていた玲海が、ぱっと不安げな表情をして凛子の方を向いた。
 恐らくこのまま凛子がサイコさんに手を出して、蒼太と同じような目に遭うことを危惧きぐしたのだろう。玲海は体ごと凛子に向き直ると、彼女に歩み寄りながら言う。

「なんか悩み事があるなら聞くよ? テスト期間中だからとか、そんなの気にしなくていいし」
「い、いや、別に……大丈夫、そんな大したことじゃないし……」
「でも、話せばスッキリするかもしれないじゃん? ずっと一人で溜め込むより――」
「――だからいいって言ってるでしょ! ほっといてよ!」

 にわかに凛子が声を荒らげ、玲海が驚いたように肩を震わせた。ひそひそとざわめきが戻り始めていた教室は再び静まり返り、皆の視線が今度は凛子へと集まっていく。

「あ……」

 明るい茶色に染められた前髪の下で、凛子の瞳が戸惑いに揺れた。
 かと思えば彼女は素早く席を立ち、机の上に視線を泳がせながら言う。

「ご、ごめん……ほんと、何でもないから。あたし、帰るね」

 言うが早いか、凛子は自分の鞄を引ったくるようにして教室を飛び出した。いつもなら玲海か燈が呼び止めているところだが、二人も凛子の豹変ひょうへんぶりに面食らったのか硬直して声も上げない。
 凛子の足音が次第に遠ざかっていくのを聞きながら、宙夜はわずかに眉を曇らせた。
 クラスメイトたちのざわめきが、再び教室を満たし始めている。


          ●  ●  ●


 他にどこへ行けばいいのか分からなくて、ひとまずトイレに飛び込んだ。
 一番奥の個室に入り、荒々しく扉を閉める。古くて臭くて決して居心地がいいとは言えない学校のトイレは、幸いにして今は無人だ。凛子はそこで閉めたばかりの扉に背を預けながら、込み上げてくる嗚咽おえつを殺そうと唇を噛み締めた。
 感情のやり場がなくて、きつく前髪を握り締める。パーマとカラーリングのしすぎでぱさぱさに傷んだ可愛いげのない髪だ。その乾いた感触を派手なネイルの指先で確かめながら、まるで今のあたしみたい、と心の中で自嘲する。
 けれどそんな自虐は何の慰めにもならなくて、凛子の目からはついに涙が零れ落ちた。
 自分が情けない。このぱさぱさの髪も、無理矢理二重にしたまぶたも、余裕がなくて親友に当たり散らしたこの口も。とにかく醜い。嫌い。そういう負の感情が溢れて止まらない。
 苦しい。つらい。助けて。

圭介けいすけ……」

 白い制服のポケットから、すがるような思いでスマートフォンを取り出した。ギラギラ光る宝石みたいなシールで手当たり次第デコレーションした、目が痛くなるようなスマートフォンだ。
 そうして開いたのは毎日嫌というほど目にしているLIMEのアプリ。迷わず個別トークの画面を開いてみるが、やはり新着のメッセージは一つもない。
 それでもずらりと吹き出しが並んでいるのは、凛子が今も毎日メッセージを送り続けているからだ。しかしやはり、最近の投稿には〝既読〟の文字すらついていない。

「なんで……」

 笑いたくなるほど掠れた声で凛子はうめいた。途端にまた涙が溢れ、ぼろぼろと零れ落ちていく。
 頭を抱えて、崩れるように座り込んだ。先程玲海にぶつけてしまった怒声が耳の中で反響している。
 ――あんなつもりじゃなかった。ただ玲海たちに本当の自分を知られるのが怖かった。それだけだった。なのにあんな言い方をするなんて。
 これで自分はあの二人にも捨てられた。初めてできた、たった二人の親友にさえ。
 そう思うと、涙が溢れて止まらなかった。自分が憎くて仕方なかった。

「ほんとどうしようもないわ、あたし……」

 懺悔ざんげのような呟きが、タイル貼りの床に落ちて砕け散る。けれどもそれを聞いていたのは、目の前で間抜けに口を開けた洋式の便座だけだ。


          ●  ●  ●


【オカルト☆ナイツ(4)】  《7/2(木)》

 みっつん:『あの……すみません』2:11
 みっつん:『誰かいませんか?』2:19
 みっつん:『お願いレスして』2:26
 ハルマ :『みっつんさん、こんばんは。どうかしましたか?』2:38
 みっつん:『ハルマさん助けてください』2:39
 みっつん:『なんか変です』2:39
 みっつん:『怖い』2:40
 ハルマ :『みっつんさん、落ち着いて。何かあったんですか?』2:41
 みっつん:『何か見てる』2:41
 みっつん:『隙間からこっち見てるんです助けて』2:42
 ハルマ :『サイコさんですか?』2:44
 みっつん:『分からない』2:45
 みっつん:『怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い』2:46
 やっさん:『ちょ、どうしたの? 大丈夫?』2:51
 みっつん:『覗いてる覗いてる覗いてる』2:52
 みっつん:『どうしよう怖い助けて』2:53
 ハルマ :『みっつんさん今どこですか? 自分の部屋?』2:55
 みっつん:『そうです。でもドアの隙間、誰かいる。見てる……』2:56
 やっさん:『これ結構ヤバい感じ……? てか麦さん来ねえし』2:58
 ハルマ :『たぶん麦さんは寝てるんじゃないかと』3:00
 ハルマ :『みっつんさん、布団の中とかに潜れますか?
       もし本当にドアの外に何かいるなら絶対に目を合わせないで。
       気づいてないふりをしてください』3:03
 ハルマ :『大丈夫ですか?』3:13
 みっつん:『潜りました』3:17
 みっつん:『でも怖い。お願い助けて……』3:18
 やっさん:『いやいや、これシャレにならんて。何かの見間違いじゃ?』3:19
 みっつん:『本当に何かいるんですよ!! さっきもいきなり電話かかってきて……』3:21
 ハルマ :『電話? 誰から?』3:23
 みっつん:『わからない非通知で』3:23
 みっつん:『出たらかごめかごめの歌が聞こえて
       その後ろで女の人のうめき声みたいなのが』3:24
 みっつん:『ウチ呪われたんですか? 呪い?』3:27
 みっつん:『死ぬ。みんな死ぬ』3:31
 ハルマ :『みっつんさん、落ち着いて。
       自分の意思をしっかり持たないと持っていかれる』3:34
 ハルマ :『かごめかごめはまだ聞こえるんですか?』3:36
 みっつん:『聞こえる。ずっと』3:36
 みっつん:『消えない。なんで?』3:38
 ハルマ :『その歌を聞かないで、無理矢理でもいいから頭の中に自分の好きな歌を
       流してください。そのまま何も気づいてないふりをして眠れるならそのまま
       眠ってしまった方がいい』3:41
 みっつん:『無理。寝たらまた夢見る』3:42
 ハルマ :『この間言ってた井戸の夢ですか?』3:44
 みっつん:『そう。はじめは暗くて見えなかったけどだんだん明るくなってきて
      もうはっきり見えるんです。頭が潰れた男の人……』3:48
 みっつん:『目玉が飛び出してこっちみてる。もういやだ』3:49
 みっつん:『見たくない見たくない見たくない見たくない見たくない見たくない』3:50
 みっつん:『なんでころすの? どうしてころしたの?』3:51
 みっつん:『ゆるさない』3:54
 ハルマ :『みっつんさん、とにかく気を確かに』3:57
 ハルマ :『今夜無事に乗り切れたらすぐにおはらいに行ってください。
       できればお寺がいいですが近くになければ神社でも』3:59
 ハルマ :『とにかく近所で一番有名な寺社に行ってきちんと相談してください』4:01
 ハルマ :『できますか?』4:07
 みっつん:『みなごろしだ』4:44


          ●  ●  ●


「――ごめんくださーい」

 七月四日、土曜日。ジリジリと焼けつくような太陽の下、宙夜は玲海、燈の二人と共にとある民家の前にいた。見た目は古いがかなり立派な佇まいの、典型的な日本家屋。その玄関の横にはちょっと黒ずんだ木の表札が掲げられている――『森』と。
 テスト期間が明けて初めての休日。宙夜は蒼太を見舞いに行く、と言い出した玲海の付き添いとして、初めて訪れる森家の外観をしげしげと眺めていた。蒼太の家は周囲を田畑と空き地に囲まれた一軒家で、敷地を区切る塀はなく開放的な前庭が広がっている。
 庭と道路の境目には細い堀が設けられていて、さらさらと流れる水音が聞こえた。その堀と私道とをつなぐ石橋の向こうに一台のパトカーが停まっている。フロントガラスの向こうには制服姿の警官が二人。彼らは先程からじっとこちらの様子を窺っている。
 どうやら蒼太が5ちゃんねるで騒ぎを起こしてからというもの、森家には悪戯いたずら目的でやってくる悪質な訪問者があとを絶たないようだった。それを取り締まるために、数日前からああして警官が張り込んでいるらしい。
 当の蒼太はあの騒動以来、一度も学校に姿を見せていなかった。蒼太の名前や住所が晒された『サイコさんの噂』スレや『森蒼太をヲチするスレ』は誰かの通報によって削除されたものの、噂は今も一人歩きし、蒼太の個人情報と共にあちこちへ転載されて収拾がつかなくなっている。
 そんな状況を黙って見ていられなくなったのだろう、テスト期間中もずっと考え込んでいる様子だった玲海は昨日突然「蒼太の家に行ってくる」と言い出した。玲海と蒼太はいわゆる腐れ縁で、少し前まで互いの家にもよく出入りしていたために、彼の家の場所を知っていたのだ。

「ごめんください。苅野ですけど――」

 今日もセミロングの髪をポニーテールに結った玲海は、やや緊張した面持ちで目の前の引き戸を見つめていた。その手には白いビニール袋が下がっている。手ぶらで見舞いというのも何だからと、途中のコンビニで買った桃が二つ入ったものだ。
 そんな玲海の後ろでは、いつもの赤いカチューシャの代わりに麦わら帽子を被った燈がうつむいていた。つば広の帽子にはカチューシャのものとよく似た花飾りがついていて、それがいかにも燈らしい。夏色の半袖シャツにデニムのショートパンツ、という家着と大差ない格好の玲海とは対照的に、よそゆきの袖なしワンピースを身につけた燈の姿は、普段の制服姿しか知らない宙夜にとって新鮮だった。もっとも露出された細い肩やサンダルを履いた足の白さに、眩暈めまいのようなものを覚えはしたが。

「森くん、おうちにいないのかな……」
「いや、それはないと思うけど……一応そこに車もあるし」

 不安げに呟いた燈を振り向いて玲海が言う。そうして彼女が示した先には、蒼太の両親のものとおぼしい車が二台停まっていた。
 しかしそれを確認しても、燈はまだ落ち着かない様子でいる。彼女は、蒼太が学校へ来なくなったのは前日に平手を張った自分のせいではないか、と気にしてついてきたのだ。一方の宙夜は、

「それなら宙夜も一緒に行かない? あんたはほら、蒼太のこと、嫌いかもしんないけどさ……一応、あのとき燈があんなことしたのはあんたをかばうためだったわけだし」

 と、玲海から言われてついてきたのだが、実は誘われなくとも自分から同行を願い出るつもりでいた。何故なら宙夜には一つ、蒼太に確認したいことがある。

「――あっ……」

 と、そのとき玲海が何かに気づいた様子で一歩あとずさった。見れば縦格子たてごうしめられたりガラスの向こうに、ぼんやりと白い人影が見える。
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