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第一夜 Executive Player「律」
王者としょせんそれ以外
しおりを挟む律には指名客がひっきりなしに来る。指名のない日はあり得ない。歓楽街の高級ホストクラブでナンバーワンともなれば、それぐらい当然のことだった。
とはいえ、律目当てに来る女性のすべてが、高級シャンパンをおろすわけではない。不定期に来てポンと金を出す女性もいれば、ほぼ毎日ワンセットだけの女性もいる。
当然、高級なボトルをおろした席ほど、律がとなりにいる時間は長い。一つ二つ安いシャンパンを開けるより、飾りボトルや高級ボトルで卓を埋める席のほうが、より長く過ごせるというものだ。
ここはホストクラブ。どんなお客様にも平等、というわけにはいかない。律と一緒に過ごす時間を買うために、札束で殴り合う戦いが常に繰り広げられている。
「え~なんでよ~? 律のためにお金使うんだよ?」
追加でシャンパンを入れようとする女性に、律はやんわりと断っていた。
「何言ってんの。そこまでして俺をつぶしたいわけ?」
「だって! まだエンジェル一本だよ?」
「うんうん、ありがとうね。俺のためにね」
「これだけじゃすぐ離れてっちゃうでしょ? だいたいね、他のホストだったら普通逆だよ? もっともっと金使わせるんだから!」
「そんなことして嫌われたくないんだも~ん」
律はけっして、お客さまに売り掛けはさせなかった。どんなに女性がおろしたがっても、負担にならないまでの額で制限する。
「俺、酒弱いからさ。これ以上は記憶が飛んじゃうかも。今日なに話したか、とか、忘れたくないから。もう勘弁して」
そもそも律は酒が強いほうではない。女性の利用金額をおさえるのは、閉店まで意識を飛ばさないようにするためでもあった。
†
「もうやだ!」
女性の声が響き渡る。律は、先ほどとは別の女性を接客していた。
パンツスタイルで化粧をしっかりと決めた、キレイな女性だ。
「なんで? ついたらすぐ行っちゃうじゃん!」
となりに座る律は、申し訳なさげに眉尻を下げる。
「……ごめんね、海ちゃん」
「何回も通ってるのにデートもしてくれないし。……どうせさっきシャンパンいれたおばさんのところに行くんでしょ? 私だって金出せるのに」
「海ちゃんに無理してほしくないんだもん。一回無理していれたら大変なことになったでしょ?」
「他の人のところに行ってほしくないからじゃん。なんでわかってくれないの?」
「ごめんね。せっかく来てくれてるのに寂しい思いさせちゃって。でも海ちゃんの生活を犠牲にしてまでお金を出してほしくないんだ。会えるだけで俺はうれしいし」
女性は寂しさをこらえるような顔で、静かに返した。
「じゃあ、ここ出る前にチューして。それくらいはできるでしょ」
突拍子もない言葉だったが、律は動じない。
「だめだよ。海ちゃんみたいなきれいな女性が、そんな簡単にキスさせるなんて」
「他のホストだってしてるじゃん!」
「他のホストと同じようなことをしてほしいの?」
客をつなぎとめるために、キスをするホストもいる。だが、律は過度なスキンシップは絶対にしない。
「……でも、私は、こんなこと、律にしか言わないよ」
律は女性の手を取る。
「こっち向いて、海ちゃん」
不満げな女性の額に、自分の額を合わせた。
「海ちゃんのこと、大好きだよ。俺と会ってくれるだけでうれしい。海ちゃんも、俺と一緒にいたいって思ってくれてるからこそ、不安なんだよね?」
女性はぎこちなくうなずいた。律は女性の手を強く握る。
「ごめんね。いつも嫌な気持ちにさせちゃって。でも俺のために余計な苦労させたくないんだ。俺のせいで海ちゃんの首が回らないとか、絶対に嫌だから」
「私が、もっと稼げるようになったらいいってこと?」
「そういうこと考えるのやめて。今の仕事、好きなんでしょ? 変なこと考えちゃだめだよ」
「律さん」
抜けるのが遅い律にしびれを切らし、スタッフが催促する。律は顔をゆがませ、イラ立った姿を女性だけに見せた。握っていた手も強くなる。
律の態度に、女性は落ち着いた表情に変わった。
「わかった。とりあえず、行ってきて。待ってるから」
「ありがとう」
女性の手を握ったまま、顔を離す。
「じゃあ、頑張ってくるね!」
女性は薄い笑みを浮かべてうなずき、自分から手を離した。
律は交代で来たヘルプに顔を向ける。
「……この子にあんまり飲ませないでね。強くないから、俺と一緒で。今日話したこと、ちゃんと覚えててほしいし」
律は寂し気に手を振り、席を離れる。女性も同じような表情で、律の背中を見送った。
となりに座ったヘルプに、弱弱しい声を出す。
「やっぱり、そういう、お金がたくさんもらえるような仕事したほうがいいのかな。その、風俗、とか」
ヘルプは、律の指名客につくことが多い中堅ホストだ。律の言動をよく知っており、指名客の対応にも慣れている。
「あ~……それ律さんに聞いてみました?」
「聞いてない、けど。絶対ダメって言いそう」
「じゃあしないほうがいいでしょ。律さんに大事にされてる証拠ですよ。もっと自分のこと、大事にしてくださいね」
†
「やっぱり、今日も歌わないんだ?」
閉店間際、目つきの鋭い強めの美女が、となりに座る律に言う。律は苦笑した。
「いやぁ……俺、歌下手だから」
「それはそれでいつか聞いてみたいけどね。ってことは、今日もあの子が歌うの? 万年二位のあの子」
「その言い方やめてあげてよ。本人の地雷なんだから」
女性はおかしそうに喉を鳴らす。
店内のBGMが止まり、男性アイドルグループの人気曲が流れ始めた。
「あら?」
店内を見渡す女性が思わず声を出す。マイクを持っている人物が、予想していた人物と違っていたからだ。
女性を抱き寄せながら歌いだしたのは、拓海だ。露出の多い派手な女性は、うっとりとした顔で拓海を見つめていた。
曲が終われば、今日の営業は終了だ。全員で、残っていたお客さまをお見送りする。
終礼も済み、掃除やミーティングにおのおの向かい始めたそのとき。
「なんか、すみません。今日、ラスソン奪っちゃって」
拓海の声が、律の耳に入り込んできた。
顔を向けると、拓海は笑顔で、あるホストを見下ろしている。見下ろされているホスト、志乃は目を見開いていた。
ホストの中では身長が低く、女の子のようなかわいらしい顔立ち。律に次いで二位を毎回キープしているホストだ。役職は部長であり、拓海よりも上の立場にいる。
拓海の一言に悪意を感じ取ったのだろう。目を丸くしていたかわいらしい顔は、じょじょに怒りでゆがむ。
「はあ? おまえ調子乗んなよ」
見た目にそぐわない、ドスの利いた声だ。
「あ、気に障ったならすみません。明日も頑張りましょうね、お互いに」
「てめえ、女みたいなねちっこい言い方してくんなコラ」
ガンを飛ばしながら拓海に近づく志乃を、駆け寄った律が手で制した。志乃も拓海も、いぶかしげに律を見る。
「ちげえだろ」
律は、拓海に顔を向け、にっこりと笑う。女性はまだしも、ホストにはめったに向けない笑みだ。
「拓海がラスソンを奪ったんじゃない。俺が、歌わせてやったんだよ」
笑みは消え、鋭い眼光が拓海を突き刺した。
「いつも、俺が、志乃に歌わせてあげてんの。今日は拓海に歌わせてやっただけ。たまたま今日志乃に勝てただけで、俺の売上を越えたわけじゃねえから」
拓海はぐうの音も出ない。顔を赤くさせ、歯ぎしりの音を立てる。
「だから、拓海が本来言うべき相手は俺で、本来言うべきことは」
律は手を組み、上目遣いで、少しトーンを上げた声で続ける。
「『今日は歌わせてくれてありがとうございます。おかげで今日は僕が主役になれましたぁ』……だろ?」
いつもどおりの冷ややかな顔に戻る律。
拓海は目をつり上げ、にらみつけた。しかしなんの反論もなく背を向け、逃げるように離れていく。遠のく後ろ姿に、志乃が声を放った。
「おーい。まだ役職の仕事残ってるからな」
振り向くことすらしなかった。志乃は短く息をつき、律に顔を向ける。
「めずらしいじゃん。おまえ、こういうことに首つっこんでこないタイプなのに。なんかあったのか?」
「別に、なにも」
「ていうか、あれで俺のこと助けたつもりかぁ? なんか微妙にディスってなかった?」
「そう思うんなら一度でも売り上げ勝ってみるんだな」
律の態度はいつもどおり素っ気ない。志乃は腰に手を当て、あきれた声を出す。
「まあ、確かに。あいつの言動、最近目に余るよな。売り上げ出してるからだろうけど。他のホストも、ちょっとずつあいつのこと避けてるし。接客のやり方が、なんかな……。俺は抵抗あるんだよな」
「別に興味ねえよ。これ以上手を出すつもりないし」
律はそっぽを向いて、店の出入口へと向かう。後ろに向けて手をあげながら、声を張った。
「あとは役職同士でなんとかしろ。俺はもう出るから」
「あいよ、おつかれさん」
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