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第二夜 酒も女も金も男も
経営者としてわからんでもない
しおりを挟む忙しい律に、五分ほどの休憩が与えられる。厨房の奥で水を飲みながら、スマホで客にメッセージを送っていた。
客の入りが落ち着いてきたからか、厨房でのスタッフの動きも落ち着いている。
律が必死に打ち込んでいるところに、店長が声をかけた。
「よお、律」
その瞬間、律はスマホをジャケットの内ポケットに入れて、水を飲み干した。グラスを流しに置いて、出入り口に向かう。
「いやいやいや、待てよ律。まだ休憩中だろ」
律は立ち止まる。これ見よがしにため息をつき、振り返った。
「どうせ千隼さんのことだろ」
「そうだよ、わかってんじゃねえか」
律は再び、これ見よがしなため息をつく。店長のもとに戻り、他のスタッフに聞こえないよう声をおさえた。
「しつこい。ちゃんと話はしたし、俺が言えることは言った。他になにをしてほしいってわけ?」
店長は今日も厳しい顔つきで、律と同じように声を潜める。
「おまえが声をかけてくれたことは知ってるよ。でも千隼が何に悩んでるのかは教えてくれてないだろ」
「いや、知りたいなら自分で聞けばいいじゃん。少なくとも仕事とは関係ないから知る必要はないと思うけど」
千隼は自身の悩みや不安を口に出すタイプではない。必死に耐えて、ためこむタイプだ。
あのとき律に頼みごとをしてきたのも、恥を忍んでのことだったのだろう。それも律が彼女の存在をつついたからこそだ。
「千隼さんのほうから言わないってことは、店長が信頼されてないってことなんじゃ?」
「そんな悲しいこと言うなよ……」
なにかを思い出したように、店長はハッとする。
「もしかして、あいつ辞めたがってるとかじゃないよな?」
「知らねえよ」
律は冷ややかな視線を向ける。
「っていうか、前も言ったけど心配しすぎだろ。千隼さんだってもう新人じゃないんだし、悩むことがあっても一人で解決できるわ」
とことん突き放す律に、店長は真面目に食い下がった。
「気遣ってやってくれよ。あいつはおまえと同じくらい、店にとって大事な存在だからよ」
「へえ、そうなんだ? 大事にしてもらってる自覚はないけど」
「そう思うんだったらまず協調性ってやつを持て」
腕組みをした店長は、真剣な声で続ける。
「あいつはな、会長のスカウトなんだよ、おまえと一緒でな」
「ふうん……」
「興味なさそうだな」
特に反応を返さない律に、店長は調子を狂わせる。
「会長は千隼の成長を喜んでるんだ。客も順調にとれてるし、役職の仕事もちゃんとやってくれてるからな。他のやつらとはそもそも畑が違うってのもある。出来がいいんだ」
「だからってヒイキはよくねえだろ。千隼以外にもホストはいるんだし、そっちの育成に力入れたら?」
「ヒイキじゃねえって。わかるだろ、経営者やってんなら」
店長の声に、イラ立ちがにじみ始める。
「有能な人間はなにがなんでも手放したくねえんだ、会社ってのは。辞められたら俺が会長にどやされる」
「だからって俺には関係ないだろ」
律は店長に負けず劣らず、心底冷え切った声で返した。
「従業員手放さないように頑張るのは従業員じゃねえ。経営者だろ。……役職でもない俺に頼るなよ」
店長をその場に残し、律は厨房を出ていく。店長以上に、ピリピリとした機嫌の悪さを放ちながら。
†
「ねえ、律は?」
中年女性がつぶやいた。
飾りボトルでひしめき合う卓に座った、律指名の女性だ。先ほどから延長を繰り返している。
となりにヘルプとして座る千隼が、笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ。もうすぐ戻ってきますから」
「あんたそればっかりじゃん。てかさ、ホストなんだからもっと話しなさいよ。テッパンの面白い話とかないの?」
酒の勢いもあってか、女性は声高に吐き捨てる。千隼は意に介さずほほ笑んだ。
「そうですねぇ、じゃあ」
「ああ、もういい、興味ないから。律をさっさと戻してよ、律を」
「もう少し待ってくださいね。律くん、ちょっと飲みすぎたみたいで」
「はあ? わたしが飲ませすぎたみたいな言い方じゃん? なんで私が待たされなきゃいけないわけ!」
「他の女性が、律くんに優しいとは限らないんです。律くんは真面目だし頑張り屋さんですから。いろんな席で飲みすぎちゃうんですよ」
「だったらはやくここに戻せっつーの。律だって戻りたがってるに決まってるわ」
女性はグラスに入ったワインを一気に飲み干す。
「はあ……。わたしがいくら使ったと思ってんの? わたしより酒いれてるやつがいるわけ?」
テーブルに広がる、きらびやかな飾りボトルを顎でしゃくる。飾りボトルとはいえ、この卓だけで値段は数百万円だ。
ここに座るホストは誰であろうと金銭感覚がおかしくなるに違いない。
「大丈夫ですよ。絶対戻ってきますから」
「そういう気休めはいらないから。ほら、とっとと注いで」
女性はグラスを千隼に向ける。
「お水をはさまなくても大丈夫ですか?」
「いるときはいるって言うから! 大丈夫だから注げって言ってんでしょ! ほんと気が利かないというか、ちゃんと読めないというか」
「すみません。そうですよね」
千隼がワインを注ぐと、女性はこれ見よがしにため息をつく。
「あのさぁ、ワインはもっと少なく注ぐもんでしょ」
「すみません、勉強不足で」
「ほんっと仕事できないね。ここは律以外みんなグズばっかりだよ」
何を言われようと笑顔で対応している千隼に、声がかかる。
「ありがとう、千隼さん」
千隼が顔を向けると、そこにいたのは律だった。休憩終わりの、余裕のある笑みを浮かべている。千隼は女性にお礼を言って、いそいそと席を外した。
「あ~ん、会いたかったぁ~律~!」
隣に座る律に、女性は見境なく抱き着いた。
「大丈夫なの、律。他の女からいじめられてたんでしょぉ?」
先ほどとは違う、甘えるような高い声だ。
「うん、大丈夫。ヘルプの千隼さんとはどうだった?」
律は、他の卓席に入る千隼をチラリとみる。
「う~ん、悪い子じゃなかったけど~やっぱり律が一番よぉ」
「嬉しい、そんなこと言われたらときめいちゃう」
「いいのよ、律だったら本気になってくれても。大体他のホストは……」
始まった女性の愚痴に、律はほほ笑みながらうんうんとうなずいていた。
ナンバーワンの律ですら、ヘルプにつくことがまれにある。幹部がヘルプにつくことは決して珍しくない。
千隼はたとえどんな相手だろうと、進んで接客を引き受けていた。他のホストがつきたがらないような女性にも積極的に。幹部だろうと周囲や客に驕ることなく、自分に来た雑用はちゃんとやる。
会社や店長が手放したがらないのは、そういった姿勢を評価してのことだった。
店長の言うとおりだ。経営者として、千隼のような人間を大事にしたいと思う心理が、決してわからないでもない。
だからこそ今、律の心が小さく揺らいでいるわけだ――。
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