律と欲望の夜

冷泉 伽夜

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第一夜 Executive Player「律」

締め日の優雅な攻防戦 2

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          †


「こんばんは。お席失礼します」

 シャンデリア下に並ぶカップル席。ヘルプ指名の律は、ソファ側ではなく対面の丸椅子に腰を下ろす。

 聞き覚えのある若い女性の声が、正面から突き刺さった。

「ねーえ。となりに座れよ。ヘルプとして指名してあげたんだから」

 そこに座るのは、いつの日か律を灰皿で殴った、あの女性だ。
 今日もお人形のような化粧にフリルがついたワンピースで、赤髪をツインテールにしている。殴ったことなどなかったかのように、高慢な笑みを浮かべていた。

 そのとなりに座るのは拓海だ。こちらも勝ち誇ったように笑っている。

 律も、対女性用の笑みを顔に張り付けた。

「いいんですか? では、ぜひ、となりに座らせてもらいますね」

 女性をはさむよう、拓海の反対隣りに座った律に、小ばかにする視線が刺さる。

 指名をもらったとはいえすることはヘルプ。雑用だ。テーブルの整理もヘルプが行い、指名ホストのフォローもしなければならない。かといって、でしゃばってはならない。

「なんかぁ、今指名ないんだって? 店長から聞いたけど? ナンバーワンも落ちたもんだね~」

 意地の悪い女性の言葉に、律はにっこりと返す。

「そうですね。来てませんね」

 ヘルプだからと敬語で話す律に、女性は満足げにふんぞり返って続ける。

「ヘルプで指名するの超簡単だったわ。締め日なのにこんなんでいいわけ?」

「よくないですよ~。だからすごく焦ってます」

 声は不安げだが、律の笑みが崩れることはない。女性の対応をそつなくこなしながら、わざわざヘルプ指名を許可した店長の言葉を思い出していた。

 店長が好きにしていいと言ったからには、好きにするつもりだ。律がなにをしようと、責任は店長に取ってもらう。店長もそのつもりで言ったはずだ。

 さて、一体どうしてやろうか。ひとまずはようす見だ。

「そういや聞いたよ。あんたって、デリヘルの経営者なんだってね~」

 笑みを浮かべたままの律は、視線を拓海に向ける。拓海は悪びれることなく鼻を鳴らした。

「別によくないですか? 今、律さんのお姫さまはいらしてないみたいですし」

 立て続けに女性が続ける。

「ホストやってるやつがそんなことしていいわけ? ああ、だから顔出しNGなんだ? こんなのネットで叩かれるに決まってるもんねぇ」

 律は否定しない。かといって、肯定もしなかった。

「なにが枕はやらない、だよ。女ひっかけて働かせてる最低野郎じゃん。ホストで金搾り取って、デリヘルでも金搾り取ってすごいね~。人間のクズだね~」

 ほほ笑んだままの律に、女性はさらにトゲのある声をぶつける。

「デリヘルやってる男なんて、女の子の金で食わせてもらってるようなもんじゃん。それなのによく酒たのむな、なんて言えたよね? どの口が言ってんの、マジで」

 女性の高い声は、フロアによく響く。他のソファ席にいる客やホストたちが、何ごとかと顔を向けていた。

 女性は、今までされたことの仕返しとばかりに、あざ笑う。

「どうせおまえのとこでもホストに貢ぐ女が働いてんだろ。そいつのおかげで稼いでんだから文句言うなよマジで。むしろもっと大事にするべきなんじゃない?」

「……そうですね」

「ってことで」

 女性は拓海に顔を向け、にやりと笑う。拓海が声を張り上げた。

「エンジェル・ホワイトお願いしま~す」

「ありがとうございま~す」

 スタッフが奥に引っ込むと店内アナウンスが入る。

「十二番テーブルからエンジェル・ホワイトいただきました~」

 マイクを通す声とともに、店中のホストたちがにぎやかしながら近づいてきた。律が席を離れようとすると、女性に引き戻される。

「どこいくんだよ」

「……こういうとき、ヘルプは席を外すものなんで」

「じゃあ、残って。売り上げは拓海に入るけど、あんたが全部飲むんだよ」

 笑みを浮かべたまま、律は固まる。そうこうしているうちに、卓席をホストたちが囲んでいた。

 BGMがかき消えるほどのコールの中、女性の声が律に刺さる。

「デリの経営者やってるってネットにさらされたくなかったら、ちゃんと飲み干せよ。飲めなかったらすぐに書き込んでやっから」

 コールは続き、運ばれたシャンパンの栓が開く。律の前にグラスが置かれたものの、注ごうとしているホストはどこかためらっていた。

「いいよ、いれて」

 グラスを持ち、注ぎやすいよう傾ける。注がれている最中、「お姫さまのひとこと」で女性にマイクがわたされた。

「女の子こきつかうクズ野郎を潰してやりますよいちょー!」

「よいしょー!」

 コールが、律をどんどん煽っていく。

「一杯目!」

「一杯目!」

「飲んじゃって!」

「飲んじゃって!」

 律は合わせるように笑顔で、グラスを口に近づける。唇に触れる前に、後ろから肩に手を置かれた。店長だ。すぐに離れていく。

 律はグラスをあおり、シャンパンを一気に飲み干した。途端に上がる歓声。

 グラスを持ったまま立ち上がる。

「記念すべき一杯目、ありがとうございましたー!」

 再び上がる歓声の中、グラスを拓海と女性の間に置く。その際、女性に耳打ちした。

「呼び出されちゃったから、俺はこのへんで」

「はあ~?」

 離れていく律の背中に、女性は吠える。

「そんなこと言っていいの? あんたがデリヘルやってること書き込むよ?」

 律は振り返り、満面の笑みを浮かべた。

「ごめんね? 指名が入ったから。拓海くんとごゆっくり」

 コールはまだ続く。みなが飲み干すまで、オールコールは終わらない。

 律が向かうのは、対角線上にあるカップル席だ。すでに女性がひとり、腕を組んで座っている。他に席は空いているはずなのに、近い席をあえて用意されていた。

「こんばんは。近澤ちかざわさん。すみません、わざわざ来ていただいて」

 立ったまま会釈する律に、近澤が顔を向けた。

 律より一回りは年上で、パンツスーツを着こなしている。おろした黒髪を後ろにはらい、足を組んだ。

「ほんとうよ。もっと場所考えなさいよね」

「はい。すみません」

 近澤のとなりに腰を下ろす。

 コールするホストたちの後ろ姿が、よく見えた。ホストたちがはければ、お互いに席のようすが丸見えになるはずだ。

 近澤に視線を戻し、眉尻を下げた。

「大丈夫ですか? 今からでも個室に」

「なに言ってんの? これを狙ってたんでしょ? あんたのことだから」

 近澤はテーブルに顎をしゃくる。そこに置いてあったものに、律は目を見張った。近澤に深々と頭を下げる。

「ご無理なさらず……」

「してない! むかつくから入れただけ!」

「そうですか。痛み入ります」

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