星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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一年目

弱い僕と強いきみ

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 階段で一階に降りて来た純は、エントランスに足を踏み入れる。

 隅のテーブルに座っている月子と、目が合った。

「あ、純くん」

 宿題を閉じて月子は立ち上がる。こちらにこようとする月子より先に、純が駆け寄った。

「月子ちゃん、久しぶり。元気だった?」

「うん。それなりに」

 純はキツネ目を細め、柔らかな空気を全身から放出する。月子に会えたことがうれしくてしょうがない。

 が、周囲から『おまえごときが渡辺月子と話すなよ』といった視線を感じ取る。

 あいさつだけして帰ろうと考えた矢先、月子が真剣に尋ねてきた。

「どうだった? 試験の結果はもうわかってるんでしょ?」

 純はうなずく。

「合格、してたよ」

「……そう。おめでとう、純くん」

 興奮を抑えた大人っぽい声だ。

 月子は猫目を少し細めている。言葉は素っ気なくても、自分のことのように、心の底から喜んでくれていた。

「休んで勉強に集中したかいが、あったね」

 その一言に、月子の優しさが詰まっていた。さきほどまで痛みを引きずっていた純の心は、温められていく。

 ふと、純の鼻が鳴る。かすかなにおいを嗅ぎ取った。

「……もしかして、さっきまで、誰かと一緒だった?」

「え?」

 月子はさきほど会長が座っていたイスに視線を向け、純に戻す。

「どうして?」

「いや、なんか……」

 純はためらいながら小声で伝える。

「コーヒーと……加齢臭が混ざったにおいがするから」

「ふっ」

 瞬間、月子はふき出した。純から顔をそらし、口元に手を当て、体を震わせながら耐えている。

「ふふっ……加齢臭って……」

「その、相手が誰かまではわかんないんだけどね」

「じゃあ、教えてあげない……」

 ツボに入った月子の姿は、普通の女子中学生のようだ。普段クールな月子にしては珍しい。月子は肩で呼吸しながら、必死に自分を落ち着かせようとしていた。

「純くん、それ、本人の前で言ったらだめだからね、絶対」

 テーブルの宿題とペンケースを、通学カバンに入れていく。が、やはり急に思い出しては、こらえきれずに笑っていた。

「ははっ……加齢臭か……全然気づかなかったな」

「あ、俺、そういうの人より敏感だから」

「そうなの? じゃあ汗かいたあとは会うの控えなきゃね」

 カバンを閉じて背負った月子に、純はおそるおそる声を出す。

「あのね、月子ちゃん。その、よかったらなんだけど、連絡先、交換しない?」

 この機会を逃せば、月子と次に会うのはずっと先だ。今しかチャンスはない。

 自身のカバンを漁り、スマホを探す。

「俺、月子ちゃんと友達になりたいなって思ってるから……」

 そのとき、純の背後から、多くの視線が突き刺さる。嘲笑に、軽蔑、嫌悪……とにかく黒々とした視線が向けられていた。

 毒のある声が、純の耳に届く。

「するわけないじゃん」

「親が有名だからって調子乗りすぎじゃね?」

 周囲から見れば、純のような売れてもいないアイドルが、華々しく活躍する月子といることがすでに異常事態なのだ。連絡先の交換を提案する姿は滑稽でしかない。

 純に視線を向ける誰もが、月子に断られる姿を想像している。その姿こそ純にふさわしいとばかりに。

「あ、ごめん、やっぱり無理だよね」

 スマホを取りだすのを、やめた。

 自身が笑われる分には別にいい。月子に気を遣わせたくなかった。

「どうして?」

 月子は静かにカバンを開け、中をまさぐる。スマホを取りだし、振って見せた。

 強気に声を張る。

「ちょうどよかった。私も同じこと言おうとしてたの!」

「あ、でも」

「なに? 嫌なの?」

 純をまっすぐ見据える、大きくて力強い瞳。とにかく華々しく、自信に満ちていた。

「わたしがするって言ってるんだからするの。誰と連絡先を交換するかは私が決める」

 月子はやはり、月子だった。いつだって、純の味方でいてくれる。

 純はうなずき、スマホを取りだした。月子と連絡先を交換し、スマホに登録された連絡先を見つめる。

「俺、月子ちゃんが出てる番組、絶対見るね。感想も送る。……俺の感想なんてたいしたことないかもしれないけど」

「そんなムチャなことしなくていいよ。自分の生活があるんだから」

 月子も連絡先を確認し、スマホをカバンの中に放った。カバンを背負いなおす。

「実は、もう来なくなるかもって思ってたんだけどね。そういう人、珍しくないし」

「あ、それ、さっき社長にも言われた」

 とたんに月子の眉が寄る。本気で嫌がっているときの顔だ。

「ご、ごめん……」

 委縮する純の姿に、月子は短く息をついた。

「私も、純くんとはいい友達になれると思ってたの。だから、戻ってきてくれて、嬉しい」

 月子の顔に、薄い笑みが浮かぶ。穏やかで、柔らかくて、邪気のない笑みだ。

 月子は誰よりも強くて、誰よりも優しくて、誰よりも堂々としている。やはり彼女は、純を傷つけることはしない。そんな人物ではない。

「うん。ありがとう、月子ちゃん」

 純は細めたキツネ目で、月子を見すえる。

「あのね、これは、別に、覚えててくれなくてもいいんだけどね」

 月子の思考も、予想される言動も、純の頭に滞りなく流れこんでくる。頭の中で、これから先の月子の姿が、鮮明に視えていた。

「月子ちゃんはこれから、もっともっと忙しくなる。他のことなんて考えられなくなるし、学校にも行けなくなる」

 その声は、月子にしか聞こえないほどに小さく、落ち着き、機械的な印象を与えていた。

 月子はいぶかしげに純を見るが、純の言葉を否定することはない。

「仕事が増えたら、嫌に思うことも増えてくる。そのときは、自分の気持ちを優先してね。月子ちゃんは強いから、大丈夫。なにがあっても、絶対に、のりこえられる」

 落ち着いた口調なのに、力強さも感じさせる。妙に、耳に残る声だ。純の言葉は、月子の頭にすんなりと入っていく。

「それでも月子ちゃんがくじけてしまったときは、俺が助けるよ、絶対」

「純くんが?」

 月子は鼻を鳴らす。

「……大丈夫よ。そんなことにはならないから。何が起こっても自分で解決できるもん」

 堂々と背筋を伸ばして見せる態度に、それでこそ月子だと、純は笑みを浮かべた。

 エレベーターのほうから男性の声が響く。

「月子ちゃん!準備はもうできてる?」

 スーツ姿の若い男性が駆け寄ってくる。

 月子のマネージャーだ。大きいバッグを肩にかけていた。

「台本は覚えてる? 共演者の名前は覚えてる? このあとのスケジュールは伝えてなかったよね?」

 マネージャーは焦燥感にかられた顔で、バッグの中をあさる。必死なマネージャーに比べ、月子は冷静だ。腕を組んで静かに答える。

「台本は自分で持ってきてるし演者さんの名前も覚えてる。あなたが来て報告するのを待ってたんだけど?」

「じゃあすぐ行こう。詳しいことは車のなかで」

 裏口へ移動するよううながすマネージャーに、月子はついていく。

 遠くなっていく二人の後ろ姿を、純は見つめていた。ふと、月子が立ち止まる。振り返り、純に指をさした。

「いい? 何かあったら気を遣わないで絶対連絡してね! と、私は友達! でしょ!」

 純は目を見開く。月子の思考と感情を瞬時に読み取った。

 月子は、あえて、この場で、声を張ったのだ。職員もレッスン生もいるこの場で、声高に純の味方だと宣言したのだ。人の目を気にすることなく、恥ずかしげもなく。

 呼び方を変えてきたことで、友達であることを強調している。

 純は満面の笑みで、うなずいた。

「うん……!」

 やはり月子は正直で、高潔だ。

 今まで助けてもらった分、今度は純が、月子を守る。どんなことがあっても、たとえ純が苦しくなっても、月子だったら何度でも助けてみせる――。



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