星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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一年目

聞こえてきた不穏な声

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 余計な陰口も聞こえず、視線も感じない。純以外にはだれもいない会議室。こぢんまりとした広さだが、一人で使うには十分だ。

 テーブルに参考書とノートを広げた純は、イヤホンをはめてスマホを見つめていた。画面にうつるのはドラマの一幕だ。

 母親である女優の美浜みはまきさきが、犯罪組織の一員である悪女を演じている。涼しげな目に、くっきりとしたボディラインを際立たせる衣装。最後の最後でどんでん返しを見せる、色っぽい詐欺師の役だ。

 純はドラマの途中でメッセージアプリに切り替えた。

『ママの演技、相変わらずすごいね。悪役のオファーが増えるよ、絶対に』

 すぐに既読がつき、返事が来る。

『え~、困る。これ以上忙しくなったら家に帰れないじゃない』

『俺はママがたくさん活躍するの、嬉しいよ? テレビでいつでもママを見られるし』

 父親も、母親も、この世界で成功し続ける。この仕事以外は考えられない。容姿も人柄も愛され、常にスポットライトが当たる人生だ。

『お仕事、がんばってね』

 スマホとイヤホンをカバンに入れ、目の前の教科書とノートに手を付ける。頭を勉強モードに切り替えて、ノートにペンを走らせていった。

 静かな部屋の中で響くのは、ペンが動く音と、教科書をめくる音だけだ。

 キリのいいところでペンを置き、背伸びをする。イスに背をもたれ、天井を見すえた。

 先ほど、「プラネット」と会話した内容を思い出す。

「……タレント、か。ないな」

 『才能』、『才能がある人』という意味を持つタレント。純には父親のように優れたセンスはなく、愛される才能はない。母親のような演技力や魅力もない。だからこそ、今は勉強が必要だ。

 少なくとも知識と学歴があれば、人生が苦しくなることはない。

 純は気合を入れるよう息をつき、再び教科書とノートに向き合う。

「勝手なことはおやめください!」

 部屋の外から聞こえてきた女性の声。純は動きを止め、そのまま聞き耳を立てる。

「この件は社長に任せられているはずです。手を出されたらこちらの立場が……」

「あのさあ、きみ、僕のことなんだと思ってるの?」

 ゆったりと、小ばかにする、低い声。聞き覚えのある声だった。この声は。

「会長! ですがこの件に関しましては……」

「僕は彼に会うことも許されないわけ? 彼に目を付けたのも僕。社長に彼を勧めたのも僕なのに?」

 声は、足音とともに、純がいる会議室にどんどん近づいてくる。純は物音を立てず、息をひそめていた。

「それは、そう、ですが……」

「彼が、社長の提案にのらないかもしれないじゃん。そのときは僕が彼をもらっても、いいんでしょ?」

 会話の内容からすると、会長は誰かをスカウトするためにここまで来ているようだ。

「大体、あの子の価値を社長はちゃんとわかってるのかな? どんなに才能を持ってる子でも、環境によっては腐らせるだけだよ?」

「そうおっしゃっても、この件は決定事項です。社長やスタッフが総力を挙げてデビューに関わるわけですから……」

「仕事を社長に譲った僕には、なんの権限もない、と?」

「……いえ、そういうことではなく」

 世間的にも顔が知られている会長は、才能のあるタレント以外には手厳しいことで有名だ。社員に対しては、タレントを際立たせるために動かす駒としか思っていない。

 純は、よく覚えている。以前、会長にあいさつした際、言葉を失うほどの圧と隠そうともしない自信が、経営者としての手腕を物語っていたことを。

「ですがこの件に関しましては」

 それまで続いていた足音が、ため息と同時に止まる。ドアのすぐ近くだ。

 二人の声が、はっきりと聞こえてきた。

「わかった。声はかけないでおくよ」

「え……?」

 安心した息をつく女性に反し、純は嫌な予感がしていた。

 会長のことだ。ここで簡単に引き下がるはずがない。

「ただし、条件がある」

 重々しい圧のある声だ。

「社長のスカウト、に加えて、会長のスカウトでデビューってことも付け加えること」

 会長はよっぽど、その相手に期待しているようだ。どうしても自分がかかわっている存在なのだと、誇示したがっている。

 そもそも、会長直々じきじきのスカウトという事例が珍しい。レッスン生やインディーズからデビューする者が多い中、会長からのスカウトはそれだけでハクがつく。

 これまでスカウトされた人物は、いずれもスターと呼ばれるような存在になっていた。

「しつこいくらいに強調してね。それが彼を守ることにもつながる。グループとして売り出すならなおさらね」

「それは、私だけではなんとも」

「そう。じゃあいいよ。……でもね。僕なら、彼らがデビューしたところで、それを取り消すこともできるんだよ?」

 女性の、生唾を飲み込む音が、純の耳にしっかりと届いていた。

「わかる? 僕が無理やり、彼を辞めさせることだってできるんだ。……それくらい僕は本気だよ」

 社長の言葉にウソはない。だからこそ強引で、タチが悪い。

「……承知しました。社長に申し伝えておきます」

「わかればいいんだよ、わかれば」

 足音が再び聞こえはじめ、だんだん遠ざかっていく。

「まあ、社長のことだから、これくらいの条件は飲むと思うけどね。結果残したい状況で、不安要素は取り除いておきたいだろうし」

 会長の話し声も遠くなり、人の気配はもう感じない。ようやく、純は疲れ切った息をつく。

 事務所に渦巻く黒い感情の出どころは、なにもタレントに限った話ではない。

 タレントという商品をいかに売り出すか。社員、役職の思惑もただよっている。タレントが売れれば売れるほど、かかわった社員の評価も上がるからだ。
 才能ある人材を奪い合うのも当然のことだった。

 自分には無理な世界だとひと事のように考えつつ、勉強中のノートに視線を落とす。

「……ほんと、すごい世界だな。俺には、絶対に無理だ」

 勉強を再開しようと、ノートにペンを付けるが、そこから文字が書き込まれることはない。

 純の中で、嫌な予感が消えなかった。これは杞憂で、考えすぎている可能性もある。しかし、先に手が動いていた。

 ペンをペンケースにしまいこみ、広げていた参考書やノートを閉じていく。本能が、ここから一刻いっこくも早く離れるべきだと告げていた。

「どこにいこう。パパには、あとで連絡するとして……」

 デスクに広げていたものを、通学カバンに押し込んでいく。

 純の耳は、固く高い足音を拾いはじめた。よりいっそう焦燥感をつのらせながら、カバンのファスナーを閉めて立ち上がる。

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