97 / 99
二年目
暴君の降臨 1
しおりを挟むこの日、稽古場に集まっているのは、年下組だけだった。
ライブ開催に向けて、四人だけの楽曲が新たに発売される。覚えるべきダンスがとにかく多い。
「星乃! テンポが遅れてんぞ! 全然成長しねえなおまえは!」
「すみません!」
いつもどおりダメ出しを受けながら練習をして、休憩に入る。メンバーたちが水筒に口を付けているあいだ、純は講師とマンツーマンでダンスを教わっていた。
「ここは……こうな。で、ジャンプ」
「はい」
純のダンスを見て、講師は首をひねる。
「できてんじゃねえか。なんでみんなと一緒だとポンコツになるんだ、おめえは。わざとか?」
「すみません……」
「とりあえず水飲んで、もう一回やってみせろ。おまえ一つのこと覚えたら前のこと忘れてっから」
「はい……」
そのとき、稽古場のドアが開いた。
「おはよ~、元気? ダンスの練習がんばってる?」
人懐っこい間延びした声だったが、空気は引き締まる。
みなの視線の先にいたのは、背が高く、ガタイのいい中年男性だ。オレンジ色のシャツが印象的な軽装で、にっこりと笑いながら手を振っていた。
男性に対し、スタッフは次々と頭を下げる。千晶や歩夢、爽太も同じだ。
「おはようございます! 会長」
稽古場全体に緊張が走っていた。純もみんなに合わせて頭を下げる。
会長は社長の夫だ。経営や指導からは退いているものの、その影響力はいまだに残っている。下手すれば、社長の決定を気まぐれで取り消せるほどだ。
「あ! 純、いた。久しぶりだね」
会長はにこやかに近づいてくる。周囲からの視線が、純に切り替わった。
「パパと一緒にあいさつしてくれたとき以来? あれはもう……純がデビューする前だから二年前、かな?」
痛い視線を全身で感じ取りながらも、同じようににこやかな顔を向ける。
「そうですね」
「ずっと会いたかったんだけどさ~。僕も意外と忙しくって。現場からは退いてるっていうのに、やらなきゃいけないことがたくさんあってさ」
「お忙しいところ顔を出していただき、ありがとうございます」
「あはは、そんなかしこまらなくていいよ~」
純が知る会長は、冷酷な人だ。感情を隠すのがうまく、タレントや社員を駒のようにしか思っていない。笑みを一切崩すことなく、タレントや社員の一進一退を簡単に決められる。
純は、会長をまっすぐに見すえながら、内心困惑していた。
会長の目に浮かんでいるのは、友好だ。会長がそのような目を向けるのは、才能があると認めたタレントだけのはずだった。
「ていうか、まだアイドルやってんの? 純」
「はい」
「あっはっは! 最高だね!」
会長は手をたたきながら、大口を開けて笑う。低くゆったりとした笑い声は特徴的で、稽古場によく響いた。
「とっくに辞めてると思ってたよ。スカウトされたからって気にせず、いつでもやめて良いんだからね?」
稽古場内の雰囲気は徐々に軽やかになっていく。スタッフたちは会長の言葉に乗っかるよう嘲笑し、見下した視線を純に向けはじめた。
「ダンスもできないし歌もできないんだって? とっとと辞めて他のことに集中したほうがいいって」
その言葉に反し、会長から嫌な感情を受け取ることはない。真意をくみ取り、笑みを浮かべる。
「会長にそう言われれば辞めざるを得ませんが。……なにぶん、辞めないよう、社長にお願いされておりますので」
「ああ、そうだったね。義理堅いんだ? きみは」
スタッフの小さい笑い声が、純の耳に届く。
「会長がスカウトしたなんてほんとはウソなんじゃん?」
「むしろ見限られてるし」
気にしないよう努める純だったが、会長がスタッフに顔を向けた。
「あのさ。ちょっと黙っててくれるかな? 僕は今、純との会話に集中したいんだよね」
会長の顔から笑みが消えており、権威のある圧が全身から放たれる。純が知る、社員を駒として扱う会長の姿だ。
空気を張り詰めさせたところで、純に向かってにかっと笑ってみせる。
「純はほんとうに、不思議な子だからねぇ。集団行動も難しいんじゃない?」
会長はメンバーを見渡し、鼻を鳴らした。
「みんなとも仲良くやれてないでしょ? 純はイノギフには合わないと思うし」
メンバーは困惑した表情で顔を見合わせる。歩夢と爽太が口を開くものの、会長がさえぎった。
「まあ、だから僕がようすを見に来たんだけどね。ここにいても純はくすぶるだけだよ。辞めさせてもらったら?」
会長はやれやれ、と肩をすくめる。当の純は、笑みを浮かべたままだ。
「あの、会長」
「なあに? 純」
「会長は、イノセンスギフトの現状についてどう思いますか?」
稽古場の空気がさあっと凍り付いていく。この事務所でかなりの影響力を持つ会長に、何を気軽に聞いているのかとハラハラした空気だ。
「そんなの、きみはとっくにわかっているだろう?」
スタッフたちの空気に反し、会長は口角を上げる。
無論だ。純はこのあとに続く会長の言葉も知れている。会長の声に、自分の声を重ねた。
「別になんとも。純がいるから気になるくらいかな」
「別になんとも。俺がいるから気になりましたか」
会長は目を見開いた。しかしすぐに笑みを浮かべる。
「あっはっは! きみもなかなか意地が悪いねぇ。純はどう思う? イノセンスギフトは、楽しいかい?」
笑みを浮かべつつも真面目な声色で尋ねる。純も同じように真面目な声で返した。
「まだ、なんとも……」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
深海の星空
柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」
ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。
少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。
やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。
世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。

地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる