星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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二年目

きみが傷つくのは悲しい

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「ほら星乃! 散らかしたもん片づけ……」

「もう終わってます」

 熊沢のことだ。帰り際に難癖をつけてくることは目に見えていた。

 楽屋はすでに、イスが全部テーブルに入った状態で、ゴミも散らかっていない。忘れ物もない。

 先ほど純が一人で片づけを始めると、他の三人もおのずと手伝ってくれた。

「……ま、ようやく自分から動けるようになったってわけだな。行くぞ」

 熊沢が背を向け、舌打ちする。爽太と歩夢が純を見て、してやったりと笑っていた。

 廊下に出てしばらく、みんなの後ろを歩いていた純は、足を止めた。視線の先にあるのは、廊下の端に並ぶゴミ箱だ。

 燃えるゴミのゴミ箱は、ポストのようにゴミを差し込む形状になっている。ごみの量が多いのか、冊子が入り口でつっかかっていた。

 純はゴミ箱に近づき、冊子を抜きとった。表紙を見つめていると、先を進んでいた爽太が振り返る。

「星乃くん!」

 純は冊子を背中に隠し、ほほ笑んだ。

「ごめん。先に行ってて。忘れ物しちゃって」

「あ、じゃあ俺も」

「いいよ、迷惑かけちゃうから。すぐに戻るし」

 爽太たちに背を向け、冊子を胸に抱えながら来た道を戻る。

 歩きながら、冊子に視線を落とした。表紙には題名がでかでかと印刷されている。ドラマの台本だ。

『クソビッチ』

『でか女』

『死ね』

『七光り女優』

『きもいんだよブス』

 それはそれは汚い言葉が、マジックペンでこれでもかと書かれている。下品なマークや落書きも目立っていた。

 台本を持つ純の指が震えながら食い込み、ミシミシと音を立てる。

 自身を落ち着かせるように深呼吸をし、中を開いた。中にも同じようなことが書きなぐられ、ある役柄のセリフが意図的に塗りつぶされている。

 台本を閉じた純の顔は冷血で、その目は赤々とした憤怒に満ちていた。

 ふと、前方に人の気配を感じ取る。数メートル先で、私服姿の月子がきょろきょろとあたりを見渡している。少しずつ純のほうへ近づいてきていた。

 純は精いっぱい、優しい声を放つ。

「月子ちゃん」

 気付いた月子の視線が、純の持っている台本に向かう。月子は感情のない顔で近づき、手を差し出した。

「ありがとう。拾ってくれたのね。見つけてくれたのが純ちゃんでよかった」

「あ……月子ちゃ……」

 月子の顔つきや目ヂカラは相変わらず強いのに、その手は震えている。純は台本を抱きしめた。

「これ、汚れてるから、マネージャーさんに頼んで変えてもらったほうが」

「いいの。大丈夫だから」

「でも」

「いいから」

 月子の真剣な声と表情に、ゆっくりと台本を渡す。

 表紙を見た月子はため息をついた。ぱらぱらとページをめくっていくものの、表情は何も変わらない。

「……月子ちゃん」

 台本を閉じた月子は、純に背を向け、歩き出す。

「待って、月子ちゃん」

 思わず、腕をつかんだ。月子は抵抗こそしなかったが、純を見上げる顔は不機嫌にゆがむ。その瞳はどす黒く、不信感に満ちていた。

 わかっている。純がなにを言おうと月子には響かない。プライドの高い月子に、後輩である純の同情や慰めは効かない。

 ただ、月子を傷つけるだけだ。

「あ、あのね」

 それでも、ここで見捨てるようなマネはしたくなかった。月子に、悲惨な未来は味わってほしくない。

 純は決意し、息を吸う。

「学校でも仕事でも、嫌いな人たちと、わざわざ一緒にいる必要はないよ」

 月子は眉をひそめる。

「仕事が、月子ちゃんにとって逃げる場所なら、そこに居続けて、いいよ。普通を捨てて仕事を選ぶのは、悪いことじゃない。月子ちゃんが傷つくくらいなら、そのほうがいい」

 その瞬間、純の頭に、月子のこれからのビジョンが流れてくる。

 以前視たものと同じだ。陰鬱で、衝動的で、胸が痛くなる未来。

 ――ああ。俺がそばにいてあげられたなら。絶対に止めることができるのに。――

 どうしてもこの未来は、訪れてほしくない。腕をつかむ力が強くなる。

「変なところで、意地にならないで。嫌なら嫌って、言って。月子ちゃんは、仕事を選べる立場なんだから。嫌な人と無理やり戦おうとしなくていい」

「やめて」

「勉強なら俺も得意だもん。教えてあげられる。嫌な人と一緒にいたくないなら、俺が一緒にいてあげる。俺は別に、月子ちゃんと一緒にいて減るものなんてない……だから」

「やめてよ!」

 月子は純の手を振りほどく。その顔には、自嘲気味な笑みが浮かんでいた。

「さっきは私に仕事するなって言ってたじゃない。これ見て私のことかわいそうだとでも思った? さぞ惨めに見えたことでしょうね!」

 今までで一番、とげとげしい声だった。感情的になるのは、純を否定するのは、それだけ余裕がないからだ。気を抜けば、すぐにでも泣いてしまうからだ。

 後輩の前で、泣くわけにはいかないと、力んでいるからだ。

「違うよ。そうじゃない。……ごめん」

 純の目から、涙が一筋こぼれ落ちる。先ほど頭に流れた月子の未来が、悲しくてしょうがない。

「俺はただ、月子ちゃんを心配しただけで……。月子ちゃんが、元気でいてくれたらそれでよくて……」

 泣いた純に、月子は面食らっていた。急いで涙を拭きとり、続ける。

「俺は、どんなことがあっても、月子ちゃんの味方だからね。それだけは忘れないで。月子ちゃんが傷つくのは嫌だし、悲しいよ」

 頭に浮かぶ未来は、消えてくれない。未来を変えることはできない。純がなにを言っても、月子は決して受け入れない。

 純とは違い、強く、真面目で、悪意に一人きりで戦おうとする性格だから。

「お願い。月子ちゃん。月子ちゃん自身が、月子ちゃんのことを傷つけるようなことはしないで」

 この言葉すらも、月子は聞き入れない。しかしこれ以上、純ができることもない。

 月子は顔をしかめたまま返事をせず、静かに背を向けて去っていった。

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