星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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一年目

やりたいことを選んでもいい

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 夏休みも終わり、九月に入った。仕事から制服姿で返ってきた純は、玄関で漂う香水の匂いに気づく。母親のパンプスが、玄関にそろえて置いてあった。

 靴を脱いで上がると、母親が優雅に出迎える。

「おかえり、純」

 テレビに出ているときとなんら変わりない、妖艶な笑みだ。

「ただいま。今日は早いんだね」

「だって、そろそろ志望校を決める時期でしょ? ちゃんと話を聞いておこうと思って」

「ああ……そうだね。ちょっと待ってて」

 急いで二階の自室に向かい、荷物をおろす。少しずつ集めていたパンフレットをもって一階におりた。

 リビングのテーブルに座り、一番気になっている高校のパンフレットを、正面に座る母親に渡す。

「今の時点ではここを考えてます……」

 純は緊張しながら妃を見つめる。どんな反応をされるのか、大体の予想はついていた。

 案の定、妃はパンフレットを見て眉をひそめる。

「え? ここ? 大丈夫、なの?」

 妃が心配するのも無理はない。

 パンフレットに載っている高校は、偏差値が異様に高く、全国から秀才が集まるようなところだ。

 卒業生には各分野の著名人が多く、国立大学や有名私大への進学率も高い。

「偏差値は高いけど、ある程度、自由みたいだから」

 純の言葉をよそに、妃は不安げにパンフレットを開く。

 確かに、その高校では芸能活動等で休みを取るのを認めており、場合によっては行事の参加も免除される。しかしあくまでも、学力の水準を満たせばの話だ。

「どうせ受験するならいいとこに行きたいんだ。勉強は好きだし、音楽や美術の授業も楽しそうだし」

 学年にあるのは普通コースのみ。進路に沿いながら自由に授業を選択できる単位制だ。

 必修科目や受験特化型の授業に限らず、芸術系の授業も充実していた。音楽や美術の授業ではプロによる指導も行われ、楽器演奏や制作の授業も多い。授業風景が載っている部分に、ふせんがついていた。

「そう。……でもここってすごい人気だし、頭もいいんでしょ? 大丈夫なの? 純が行けそうな学校なの?」

 純は自信満々にうなずく。

「今のところは、大丈夫。成績はオール5だし、内申点も問題ない。テストも九割は点数取れてたから。あとは、試験の点数次第、かな」

 優秀な部類に入る律の状況に、妃はポカンと口を開ける。

「ああ……そうだったの? 知らなかった……」

 通知表を見ていたらわかるはずだが、あいにく両親にそんな余裕はない。純もあえて、見せようとはしなかった。

 勉強で褒められたいとは思っていないし、両親に気を遣わせるようなことはしたくない。

「あ、もしここがだめだったら、ここよりも偏差値を落とした公立高校の普通科に行こうと思ってる。そっちが滑り止めって感じかな」 

 一人で考えて決めた純に、妃はほほ笑む。表情からにじみ出るのは、納得と喜びと、寂しさだ。

「でも仕事と勉強の両立って難しいんじゃない? そこはどう考えてるの?」

 いくら自由な校風だとは言え、学業と芸能界の仕事を完全に両立させるには無理がある。

「タレントコースのある高校じゃだめなの? そういう選択肢もあるわ。フローリアでもそこの卒業生は多いって聞くし。あなたの負担を考えれば」

「ママは、そうすべきだと思う? 俺は学業より、芸能界での仕事を優先するべきなのかな?」

 妃の口が閉じた。純のように先を視る能力など、妃は持っていない。

「正直、両立には自信ないよ。社長が約束してくれてるとはいえ、難しいと思う。でも俺は、勉強がしたい。少なくとも俺は、仕事だけじゃ嫌だ。俺は、今ここで、自分の人生を限定したくない」

 純の視線が、テーブルに広がるパンフレットに落ちた。

「高校までは最低限しっかり勉強していたいんだ。自分に自信が持てるものを見つけて、続けられるように……」

 声は冷静で落ち着き、堂々としている。が、その表情は自信のない心境を見せた。

「ごめん……。ママは高校生ですでに仕事してたから、俺の言いたいことがうまく伝わってないかもしれないけど」

 妃は首を振る。

「そんなことないわ。あなたがそう思うなら、そうなんでしょう。あなたはいつだって、正しかったんだから」

 純は穏やかな性格をしている反面、自身が思っている以上に頑固だ。妃がなんと言おうとつっぱねてきたことが何度もあった。純自身が決め、純自身に後悔がないなら、それでいいのだ。

「じゃあ、今後は勉強に集中しないとね。とっても賢い高校を目指すんだもの。仕事はお休みするようにして、塾だって通わないと……今からでも間に合うかしら」

「それもね、もう場所は決めてあって、個別指導してくれる大手の塾が……」

 妃が微妙な表情で見つめていることに気づき、口を閉じる。

「ほんと、純はしっかりものね。手のかからない、いい子だわ」

 大きなため息が続いた。

 決して褒められたわけではなく、喜んでいるわけでもない。

 返事の言葉が見つからない純に、妃は続ける。

「じゃあ、事務所への連絡はママがしましょうか。ママも保護者としてできることはしなくちゃね」

「あ、大丈夫だよ。自分でするから……」

 妃の眉間にしわが寄る。

「あ、別に、ママがどうって話じゃなくて。いくら社長に許可されても、自分の都合で長期間休むのって、やっぱり迷惑でしょ? ママがいろいろ、言われないかなって」

「変なこと言われるくらいなら辞めればいいのよ」

 妃は平然と返す。

「だってあなた、もとは頼まれて入ったんでしょ? 頼まれたあなたが遠慮する必要なんてないもの」

 いつものような優しさだけでなく、大人としての強さを感じさせる声だ。

「学業優先のためにアイドル辞めますなんてよくあることよ。ママの時代でもそうだったわ。いいんじゃない? このさい辞めちゃっても」

 妃は勝気に笑っている。ドラマで、悪女を演じていたときのように。

「でもママ、それは無理だよ。だって俺が辞めたらパパも辞めることになってるし」

「ああ……そうだったわね。あの人も余計なこと言ったわよね。でもパパが事務所を辞めたところでそんなに影響ないんじゃないの?」

「ん~……少なくともタイミングは今じゃないかな」

 妃はため息をつきながら笑い、「さすがね」とつぶやいた。

「別に気にしなくてもいいんじゃない? あなたが辞めたところでパパは自分でなんとかするわよ。それに、ママはまだパパのこと許したわけじゃないんだからね。痛い目見てもいいくらいよ」

「でも……」

「純、これだけは忘れないで。パパとママはね、デビューしたてのアイドルグループなんかより、あなたの人生のほうが大事なの」

 妃は茶目っ気たっぷりに笑う。

「ごちゃごちゃ言われるなら、こっちから辞めてやればいいのよ。純は普通の高校生として、時間があるときにパパとママのお手伝いをすればいいわ。……あら。苦手なダンスを練習するより、そっちの生活のほうがよさそうね」

 純に対する愛情と、決意と、信頼がこれでもかと伝わってくる。純は満面の笑みを浮かべ、うなずいた。

「ありがとう、ママ」

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