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一年目

尊大な優しさと輝き 1

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 いつもより、あまりにもはやく来てしまったと、純は後悔した。

 稽古場の前にたたずみ、ドアの窓から中をのぞく。

 中は軽快な音楽が流れ、澄んだ歌声が稽古場の外まで響き渡っていた。稽古場の中央で、月子がステップをきざんでいる。その姿を、壁際に待機するスタッフたちが、神妙な顔で見守っていた。

 月子はあいかわらず楽し気に、かわいらしく、感情の赴くままに体を動かしている――ように見える。その自然さに、天才と呼ばれる理由をこれでもかと理解させられた。

 純は月子の練習が終わるまで、その場にとどまることに決めた。今入れば、月子の集中をそいでしまうはずだ。

 稽古場をのぞきこみながら、昨日のことを思い出す。月子と話したことも、ダンスを教わったことも、ましてや助けてくれたことも現実味がない。

 あの月子に、劣等生の純を相手にするメリットはないはずだ。それなのに、彼女だけは純に興味を示している。

 純に対する本音や思考が、他の社員やスタッフとは全然違う。だからこそ純も、月子のことが気になっていた。月子の人柄を、もう少しだけ探ってみようと思った。

 曲は終盤に入った。壁際に並ぶスタッフたちの表情に、緊張感が増す。

 月子の動きがゆっくりと止まり、曲が終わった。スタッフはみな、安心したように息をつく。実際に完璧だった歌とダンスに、拍手を送りながらほめたたえた。

「昨日できなかったところ踊れてるじゃん、月子ちゃん!」

「音程もまーったくブレなかったわよ!」

 月子はほほ笑むものの、その眉尻は下がっている。

「ありがとうございます。でも、本番で完璧に踊れないと意味ないから。もっと、がんばって練習します」

 昨日とは違い、スタッフたちに対する腰が低い。

「この調子なら絶対大丈夫。本番もきっとうまくいくよ」

「そう、ですかね……? 役の性格がわたしと全然違うから、ちゃんとできてる実感がわかなくて……」

姿勢よく立っている月子だが、その声には自信のなさが読み取れる。

「大丈夫よ、月子ちゃん。歌もきれいだしダンスもエスペランサそのものでかわいらしかった。自分で自分の評価を、下げないで」

 稽古場の中は、温かい。

 渡辺月子という女優を、スタッフ一同が愛している。歌も演技もダンスも、月子が成長するたびに本気で喜んでいた。

「じゃあ、私たちは一度離れるわね。送迎の準備が出来たら呼びに来るわ」

「はい。ありがとうございます」

 まだ稽古時間は終わっていないはずなのに、スタッフたちはにこやかにドアへ向かう。純は邪魔にならないよう身を引いた。

「なにかあったら呼ぶのよ」

 ドアを開けたスタッフが、純に気づく。。

「あら、おはようございます」

 スタッフのほうから純にあいさつをしてくる。

「あ……おはようございます」

「入ってもいいけど、月子、集中したいだろうから邪魔しないであげてね」

「え? あ、はい……」

 去っていくスタッフたちの背を見つめる。純相手に蔑みの視線も嫌みな言葉もなかった。

 少しだけ、月子がうらやましくなった。

「いいよ、入って」

 月子がドアから顔をのぞかせ、中に入るよう促す。

「少し練習させてくれたら、あとは純くんが自由に使ってくれて構わないから」

 純は中に入り、後方で三角座りをする。月子の練習を邪魔しないよう、声も出さずにじっとしていた。

 月子は種類の違うダンスと歌を、繰り返し練習する。純には完璧に見えても、月子は途中で首をかしげながら何度も動きを止めていた。

 昨日のように高慢な態度をとっていても、自分の実力に驕るようなことはしない。常に自分の思う完璧を目指して、努力を続けている。

 渡辺月子は仕事に対して高潔で、強く、たくましかった。ダンスができず、逃げたいと考える純とは違う。

 それぞれの曲を最後まで踊り切った月子は、鏡を見ながら何度かうなずく。純のもとへ近づいてきた。

「夏休みに入ったら、舞台が開幕するの。だから、本番ぎりぎりまで、ここ借りて練習するつもり。自分のパートを集中して練習したくて」

 月子は腰に手を当てて、不愛想に純を見下ろしていた。

 その姿に、純の頭の中で、少し先の未来が浮かび上がる。

 舞台の内容まではわからない。しかし、先ほどの月子の演技であれば、かなりの評価が期待できるはずだ。

「昨日のこと、気にしてるの?」

 返事のない純を、月子なりに気遣っていた。

「え? ああ、えっと……」

「もっと堂々としなさいよ。あいつらが普通で、私たちが特別なの。純くん以外はみんなレッスン生あがり。ああいう指導で慣れてんの。素人の純くんが同じ指導でうまくいくわけがないでしょ」

 凛とした態度に、強い言葉。華やかな容姿も相まって、近寄りがたい雰囲気に拍車をかけている。

 月子なりの励ましだとわかっている純は、ほほ笑みながらも目を伏せた。

「でも、当然のこと、ですし」

「敬語いらない。私より年上でしょ」

「いや、でも、後輩、だから」

「私がいらないって言ってるんだからいらないの」

「あ、わか、った……」

「で? ……なにが当然なの?」

 純はほほ笑みながら返す。

「だって、俺が踊れないのは事実だし。さっきの月子ちゃん見てたらますます、俺なんかダメだなって思うし」

「そんなの、経験年数が違うんだから当然でしょ。私が何年この世界にいると思ってんの」

 月子は、幼少期からその大半を仕事にあてている。仕事に対する姿勢や実力が純とは違って当然だ。  

 それをわかっていながらも、焦燥や劣等感は抑えられない。

 純は眉尻を下げ、言葉を選びつつ返した。

「俺はレッスン生じゃなかったけど、レッスン生がどれだけ過酷かはわかってる。たくさん怒鳴られたり、大勢の中で優劣つけられたりするんだ。そうして勝ち上がった人がデビューする。でも俺は、ただスカウトされただけ……」

「でもそれは会長たちが」

「わかってる。わかってるよ」
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