星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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一年目

あくまでも大好きな親のため

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 吹き抜けの、広々としたエントランスホール。老舗の芸能事務所らしく、落ち着いた色味をしたシックな内装だ。自由に利用できるソファやテーブル、イスが並んでいる。

 その中でも、すみにあるテーブルに純は座っていた。一人で静かにしているキツネ目の純が、星乃恵の息子だとは誰も気づかない。

 純の視界に入るのは、ホール内を移動する社員やレッスン生。あいかわらず、誰もがせわしなく動いていた。

 ふと、耳に入る女性の声。エントランスを抜けた廊下の奥からだ。そこから空気の色が変わっているのを感じ取る。
 エレベーターから降りた恵に気付いた者たちが、驚きつつも歓喜の声であいさつしていた。

 エントランスに入ってすぐ近づいてきた恵に、純は笑みを浮かべて立ち上がる。対して恵は顔をゆがめ、ため息をついた。

「すまん、純。断れなかった」

 諦めと、悔しさが混ざる声だ。純はあっけらかんと笑った。

「そうだろうね。社長、本気みたいだし。俺やパパが何を言ったところで、押しとおすつもりだったと思うよ」 

 返事をせず目を伏せた恵に、さらに続ける。

「もしかして、社長に変なこと言っちゃった?」

 恵の視線が、純に向いた。

「変なこと?」

「うーん、パパのことだから」

 そばにいる恵にしか聞こえない声量で、告げる。

「俺が辞めたがるようなら、パパも一緒に事務所を辞めるって言っちゃった、とか」

 純相手ではごまかしようがない。

「あ~……すまない」

「それを社長が契約書に入れるって言いだして、また後日二人で来いって言われたとか」

「あ~……やっぱりあれはよくなかったかな~……」

 頭を抱える恵の姿に、純は明るく言い放つ。

「気にしないで、俺は大丈夫だから。パパが心配する必要はないよ。パパもママも、俺の影響を受けずに活躍し続けるんだから」

「俺たちのことはどうでもいいんだよ」

 恵の眉が寄り、声には不快な感情がにじむ。

「俺もママもアイドルができなかったクチなんだぞ。おまえにできるわけないだろ。……ったく、ほんとなに考えてんだあの人は」

 両親ともに、もとはグループ所属のアイドルだ。本人から詳細を聞いたわけではない。が、肌に合わず転向したことくらい純はわかっている。

「そうだね。俺はアイドルに向いてない。でももう、決まったことだよ。嫌がったところで撤回されるものじゃない」

 純は、自身に突き刺さる視線に気づいた。

 エントランスを見渡すと、通り抜けていく者たちがチラチラと目を向けている。

 大物芸能人である星乃恵の存在と、恵と話す純の正体が気になるのだ。

 その視線から、感情や思考が頭に流れ込んでくる。純の意思にかかわらず、それらは複雑に絡まり合い、粗い映像となって脳内に映し出された。

 あの人は、デビューする。あの人は、優秀で売れる。彼女はデビューできずに諦める。彼はあと数日もせずに来なくなる――。

 純が読み取れるのは、思考や感情、性格や本性だけではない。読み取った情報によって、これから訪れる未来を視ることができた。
 未来の期間やその内容に限度はあるものの、純の協力と助言があれば、より良い未来に導ける。この力こそ、社長が求めているものだった。

 純はこれから、大嫌いなこの事務所に、親のために使っていた能力を提供し続けなければならない。

「いつでも辞めていいんだぞ。おまえは好きで入るわけじゃないんだし」

 純は恵に顔を向けた。

 言葉にしがたい恐怖は、すでに純を襲っている。きりきりと痛み始めた腹をなでながら、笑顔で返した。

「そしたらパパも辞めるんでしょ? それは、まだダメだよ」

 純は視界に入る恵の情報をすべて読み取り、頭を高速で働かせる。

 恵の性格をもとに今後の行動パターンをたたき出した。今読み取れる感情や思考を重ね合わせると、より確実な未来が視えてくる。

「あのね、パパ……」

 やっと口を開いた純の声は、穏やかだが低い。

「パパもママも、お仕事はずっと大丈夫。問題ない。でも、事務所でもテレビ局でも、もう一緒にはいられない。テレビやラジオで、俺の話は絶対にしちゃだめだよ」

 それは、助言であり、予言だ。純の頭で導き出した、最良の未来へ向かうための言葉だ。

「アイドルをやっている俺は、きっと自慢の息子にはなれない。俺の話をしたところで、パパの評価を下げるだけだから。せめて俺が、アイドルを辞めるまでは……」

 恵を見つめるキツネ目は、何もかもを見透かす不思議な目だ。そんな目で見つめられれば、うなずくしかない。

「わかった。おまえが、そう言うなら」

 純に合わせるよう、恵は落ち着いた声で続ける。

「でも今は、自分のことを心配しろ。親のことなんか考えられないくらい忙しくなるぞ、きっと」

 純の肩を、軽くたたく。快活な笑みを浮かべ、話を変えた。

「腹減ったな。飯食いに行くか。なにが食べたい?」

「うーん……」

 純は腹をさすりながら、恵の顔を見て固まる。やがて、にっこりと笑った。

「焼き肉がいいな。駅前の、ビルのとこ」

「……そうか」

 恵の眉尻は、下がっていた。

「奇遇だな。俺も、そこがいいと思ってたんだ」
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