星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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一年目

父親としての妥協

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「絶対だめだ」

 社長室に恵の声が響く。来客用の重厚なソファに座り、足を組んでふんぞり返っていた。

 正面のソファに座る社長は、恵を見つめたまま笑みを崩さない。

「なに考えてんだあんた。会長でもここまで強引には動かねえぞ」

 みんなにあいさつをされていたときとは違い、恵の声は荒々しい。二人しかいない社長室は、険悪な空気に満ちていた。

 余裕たっぷりに口角を上げる社長は、喉を鳴らす。

「その会長の指示でもあるのよ」

 背筋を伸ばして恵を見すえるその姿は、あまりにも堂々としていた。

「私がグループにいれなくても、いずれ会長がスカウトしてたわよ。私よりも甘い飴をちらつかせてね。現実的な条件で契約しようとする私のほうが、良心的だと思わない?」

「良心的? どこが?」

 恵は舌打ちし、ローテーブルに視線を落とした。

 そこには、クリップで止められた書類が複数置かれている。どの書類も、すでに純の名前が記入されていた。

「親がいないところで先に書かせるのは違うだろ」

 手をのばし、それぞれめくっていく。

「それに、ほら。能力に関する金額の発生についてなにも書かれてない! あいつから搾取しようって魂胆が見え見えなんだよ!」

「そこは結果に応じて上乗せするつもりよ。純ちゃん本人が活躍しなくても、グループが売れれば報酬はあがるわ」

 恵は書類をとじて指をさし、不機嫌に言い返した。

「なんと言おうと俺はサインしないからな。絶対しない。俺が純をここに連れてきたのは芸能界にいれるためじゃねえんだよ!」

「知ってるわ。あなたの仕事のためでしょ? これまでさんざん、息子の能力を使ってきたんだもの。純ちゃんの能力を他人に使われるのが嫌なのよね?」

「はあ? ちが」

「大丈夫よ、安心して。あなたに純ちゃんを使、なんて言わないから」

 社長は笑う。わざとらしくおちょくっている。

「……こんの……っ」

 恵の頬には、青筋が浮かんでいた。声を荒らげそうになるのを必死にこらえている。

「ふざけんなよ。なにが『使わせない』だ。こっちはあいつがこの世界に耐えられると思えねえから反対してんだよ」

「大丈夫よ。この私がついてるわ」

「あんたが実権握ったから好き勝手できるって? 調子のるのも大概にしとけよ」

  自身を落ち着かせるようついたため息は、怒りに震えていた。

「あいつ今年受験生なんだぞ? 今からダンスと歌を覚えて、グループのために能力を使えって? あと一年くらい待てねえのか?」

「そうよ。今からじゃないと間に合わないの。イノセンスギフトのデビュー会見にね。それに、あなたたち親子にとってもこのほうがいいと思うけど?」

 恵は不快気に眉をひそめた。

 社長の表情は神妙なものに変わっている。

「あなた、さっき言ったわね。会長でもここまで強引には動かないって。でもね、あの人。……名前を書かせた私より先に、純ちゃんに接触しようとしたみたいよ?」

 恵はなにも返さなかったが、その眉はぴくりと動く。

「あなたは、純ちゃんをたくさんの人の目にさらすことはしたくないんでしょ?」

 大きく舌打ちした恵は、社長から顔をそらした。追い打ちをかけるよう、社長は続ける。

「もし、純ちゃんが会長に捕まったら大変よ。ここぞとばかりに露出させまくって、事務所に貢献させようとするでしょうね。でも私はそうじゃない」

 社長は自身の胸に宝石だらけの手を当て、勝気に笑う。

「私は、あなたと純ちゃんを守るわ。あなたたちが望むような形でね」

 恵には響かない。納得することはない。

 目の前に置かれた書類に視線を落とし、腕を組んだ。腕にかかる指でとんとんとリズムを刻み、口を開く。

「あんた、まさか俺の名前出してねえだろうな」

「なに?」

「あいつがこの書類を確認せず名前を書くとは思えねえから」

 恵の指は、まだリズムを取っている。その姿に、社長はからかうような笑みで返した。

「ああ……名前を書かなきゃ、父親の仕事をなくすぞ、って?」

 指の動きが止まった。顔をゆがませ言い返そうとする恵を、社長がさえぎる。

「中学生相手にそんなことするわけないでしょ。でも、あなたにもしない、とは言い切れないわね」

「そんな脅し……」

「そりゃ、あなたは気にしないでしょう。でもあなたの仕事が減っていけば、純ちゃんはどう思うかしら」

 恵はにらみつけるが、言い返そうとはしない。組んだ腕を握りしめながら、これ見よがしにため息をつく。

 その姿に、社長は高慢な笑みを浮かべた。口元に、指輪で光り輝く手をあてる。

「自分のせいで仕事が減らされたのかもって、悲しむんじゃない? そうなったら今度は、あなたのために会長の言いなりになる道を選ぶかも」

 恵は神妙な顔で、口元にこぶしをあてる。その動きだけは、純が考えごとをするときとそっくりだ。

 しばらく無言でい続けた恵は、書類の横に置いてあったペンを手に取る。

「確かに、あいつが責任を感じるようなことはさせたくないわな」

 ペン先を出し、書類にペンを近づけた。

 社長が安堵あんどの息をつくと、恵は書類に手を置いたまま顔を向ける。署名欄にペン先を付けることはない。

「でも、俺に名前を書かせたいなら、条件がある」

 瞬時にこわばる社長の顔を、恵はペンで指し示した。

「もし、純がつぶれるようなことがあれば辞めさせる。無理やりにでも辞めさせる」

 そんなこと? と聞き返さんばかりの顔で、社長はうなずいた。

「構わないわ。もともとそうならないようにするつもりだったし」

「もし純が辞めたときは、俺もこの事務所を辞める」

 社長の眉が、寄った。その姿を、恵は意志の強い瞳で見つめる。

 決して、衝動的に言っているわけではなかった。そもそも、純には芸能界に入るメリットがない。

 アイドルになりたいわけではないうえに、能力に関する報酬も未確定。周囲の感情や思考を読み取り、疲弊を重ねていくデメリットしかない。

 そんな状況であるにもかかわらず、社長は純と恵を守ると豪語している。守れなかったときに信頼を損なう可能性も、当然予測できるはずだ。

 純の人生の責任を取る覚悟が事務所にあるのか、その保証が欲しかった。

「二人を失うことになれば、ウチとしては大打撃ね」

 もし、会長が実権を握っていたときから活躍する恵が辞めれば、社長の威信が問われる事態になる。事務所の影響力も極端に下がっていくだろう。

「いいわ。その条件で」

 社長の顔に、笑みが浮かんだ。

「なんなら、契約書の中にその項目をくわえましょう。改めて作り直して、二人にサインさせるわ。……どう? わたしがどれだけ本気か、わかってくれた?」

 恵は返事をせず、契約書にペンを放り捨てた。社長が条件をのんだ以上、反論はない。

「こんなことあまり言いたくはないけど、これはこれでまだ有効なんだからね。私が、ちゃんと破棄しない限りは」

 契約書をまとめて手に取った社長は、見せつけるように、テーブルでとんとんとそろえる。

「明日かあさって、二人にまた来てもらうから。……逃げられるとは思わないで」

 恵は無言のまま立ち上がる。社長を見下ろすその顔は、感情がない。

「あんたはあいつの能力を期待しないほうがいい」

「なに?」

「せいぜい、あいつに見捨てられないようにするんだな」

 顔をしかめる社長に背を向け、恵はその場をあとにした。
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