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「その顔で、空気を読めずに空回りしてるところ。その顔で、人の気持ちを理解しないで振り回すところ。その顔で、俺以外に友達がいないところ。その顔のくせに、俺に構ってほしくて周りをドン引きさせるところ」

 桜空さくの言葉ひとつひとつが、幸人に深く突き刺さる。

「その顔で、人づきあいに関してはポンコツ。そういう姫小路が好きなんだ」

 桜空さくは残っているパンケーキをフォークで刺し、雑に切り分けていった。

「もっと言えば、姫小路が、自信を持っているそのキレイなお顔は、好きじゃない」

 涙がとまらない幸人はしゃくりあげ、肩で呼吸する。

「うう、なんで、なんで」

「単純に好みの問題だよ。俺、目鼻立ちが丸っこいかわいい顔が好きなの。タヌキ顔ってやつ? 姫小路の顔って完璧すぎて……」

 桜空さくは細めた目で幸人を見つめ、首を振る。視線を落とし、パンケーキを細切れにするのに集中した。

「そんな、俺、俺、おまえに俺のこと見てほしくて……だから、いつも、完璧でいたくて」

「そもそも男女問わず、見た目とか容姿がよすぎる人、苦手なんだよね。たとえ努力で手に入れたものだとしてもね。俺とは違う世界に生きてるんだろうなって思うし」

「そんなこと……」

「姫小路がどう思うかじゃなくて、俺がどう思うかの話。別に嫉妬だと思ってもらって構わないよ。姫小路が思ってる以上にコンプレックスの塊だから、俺」

 小さく切り分けたパンケーキを、あえてシロップにからませて口に入れる。

 桜空さくが不快さを顔に出すことはない。幸人が大好きな笑みを、浮かべたままだ。

「高校生のころのこと、覚えてる? 三年間、芸能科の同じクラスだったね」

 幸人はうなずく。鼻をすすりながら、涙があふれるその目で見つめた。

「授業中も休み時間も、姫小路は俺のやること全部に首つっこんで否定してきたね」

「そんな、つもりは」

「他の子たちが引いてるのにやめてくれなかった。そんなに俺の言動が気に入らなかった?」

「ちが……。だって、おまえ」

「キレイな顔で笑ってれば、なんでも許されてきたんだろうなって思ってたよ。たぶんクラスの男子はほとんどそう思ったんじゃない? 俺にちょっかいかけてくる理由もわかんないし、明らかに俺のこと下に見てる発言が多いし」

「おまえ、みんなに好かれてたから、俺」

「ほんと、顔も性格も大嫌いだった」

 幸人の体が震える。

 面と向かって、嫌いだと言われたのは初めてのことだった。

「優しくすれば調子に乗るし、冷たくあしらえば逆切れする。でも女子にはずいぶんモテるよね、俺とは違って。俺と姫小路が仲いいって勘違いされてさ。連絡先聞いてきたり、代わりに渡してくれって俺にラブレター渡したりすんだよ? 今どき古風だよね」

「そんなの、だって、しらな」

「当然だろ、俺がどんなに迷惑してるか知ろうともしなかったんだから。あのときから世界が自分中心に回ってるみたいな振る舞いだったしね」

「ちが、違う……うぅ……ごめんなさ」

「姫小路の塩対応とかツンデレがどうこう言ってる女の子の気持ち、まじで理解できないんだけど。良いように言ってるだけで、実際それってコミュ障じゃん。顔がいいからいいように解釈されてんだよね」

 もう、なにも言い返せなかった。桜空さくが嫌いだという顔を見せないようふせて、流れるままの涙で頬を濡らす。

「でも、今はね、好き。そういうの全部ひっくるめてね」

「……ウソだ」

「ウソじゃないよ」

 おそるおそる顔を上げれば、桜空さくは幸人を見すえ、首をかしげていた。

「覚えてる? あ、もう思い出したくもないかな? ある日、姫小路が吐いちゃったこと、あったよね? みんなの前で、盛大に」

「あ……」

 再び、幸人の目に涙がたまる。

 思い出したくもない、嫌な記憶。フラッシュバックで頭の中を駆け巡る。

「う……」

 高校一年生の冬休み明けのこと。

 このころ、映画やドラマで激務だった幸人は体調を崩しやすかった。

 ただえさえ学校にいけない日が多く、同級生ともなじめない。できることなら桜空さくともっと仲良くなりたかった幸人は、不調を感じていても学校に行った。それが運の尽き。

 授業で当てられた幸人は、席を立った瞬間吐き出した。朝食に食べたパンも飲んだスープも全部出た。

 わけがわからなかった。いきなりのことで、幸人自身が困惑していた。教室の中で吐いた羞恥と、視線が集中する惨めな立場。脈を打つ強い頭痛に、膝から崩れ落ちることしかできなかった。

 その後、保健室のベッドで休んでいると、桜空さくがわざわざ顔を出してくれた。授業や課題の話をする桜空さくは終始笑顔で、吐いたことに一切触れようとしなかった。

 幸人が早退するために、荷物の準備までしてくれた。カバンを受け取る際、穏やかな笑顔で、「またね」と。

 そのときの桜空さくの顔は、幸人が見た中で一番好きな桜空さくの顔で。そんな桜空さくに、ずっと一緒にいてほしくて。桜空さくだけは、自分に触れてほしくて。自分だけを、見てほしくて。

「あのとき、はじめて、姫小路と一緒にいても悪くないって思えたんだ」

 桜空さくはカップを持ち上げる。中身は、幸人が勝手に砂糖を入れたカフェオレだ。

 幸人が止めようと手を伸ばしたが、桜空さくは口をつけた。

「吐いた姫小路を見て、はじめて、『俺と同じ生き物なんだな』って思えたから」

「……え?」

「姫小路はお人形みたいに完璧なやつなんかじゃない。俺や他の人たちと同じ、食べて吐いて、排泄す人間なんだって」

「そんなの、当たり前じゃ」

「どんなにかっこいい顔をしても俺の目の前で吐いた。どんなに女の子にモテたとしても俺の目の前で吐いた。どんなに自己中心で身勝手でも、俺の目の前で吐いたんだ、姫小路は」

 大好きな笑みで、大好きな声で流れていく言葉。

 涙が止まらない幸人の背筋は凍っていく。しかし同時に、胸が高鳴っているのも事実だった。

「あのころから俺は、姫小路のことが好きでしょうがないんだ。俺のために必死で、がんばって……がんばったのに惨めで。姫小路が無様にから回るほど、優しい……いや、いとおしい気持ちになれるんだ」

 その明るい笑みは、本物だ。細まった目には幸人への好意がありありと見て取れる。

「よく考えてみてよ。姫小路の顔見てきゃっきゃしてる女の子たちはさ、テレビに映る姿と、イメージと、自分の中にある幻想を好んでるだけなんだ。でも俺は、姫小路が吐いて汚くなってる姿も、周囲をドン引きさせる言動も、ちゃんと知ってる。受け入れてる」

 その声は相変わらず心地よくて。幸人のすべてを優しくつかんでくる。

 涙をこぼし続ける幸人は、口を開いた。詰まった鼻は、すするのも難しい。

「俺、は……俺のこと好きになってほしくて」

「うん」

「俺といて、喜んでほしくて……だから、がんばろうとして……」

 しかし桜空さくは絶対に、着飾った幸人は見てくれない。かっこつけた幸人は見てくれない。

 それでも大好きな輝かしい笑みは今。幸人にちゃんと向いている。

「うん。大好きだよ、姫小路」

「あ、あ……」

「だから、どうか、今のままいて。変わらないで。俺のこと知ろうとしなくていいし、性格をなおそうなんて、思わなくていいから」

 これ以上にない甘い声に、すべてをゆだねてしまいたくなる。

「姫小路の、キレイな皮も汚い中身も、幼稚なところも愚かなところも全部ひっくるめて大好きだよ。俺の目の前で吐いた、隠しきれない汚点もね。姫小路だからこそ、好きなんだ」

 幸人の情緒はもうぐちゃぐちゃだ。

 今の桜空さくに気味の悪さを抱く一方で、心臓はこれ以上にないほど高鳴っている。

 桜空さくは一口しか飲んでいないカフェオレを、ソーサーに置いた。頬づえをついて、いつもより熱のこもった目で幸人を見つめる。

「姫小路の、今の顔が一番好き、かも」

 白雪王子と呼ばれる凛々しさは、もうそこにはない。頬は涙が覆い、鼻水もひっついている。その肌に触れるのもためらうほど、べとべとして汚らしい。

 腫れた目をつり上げて、口で呼吸しながら、必死に言い返す。

「……くそ。さっきから散々、おちょくりやがって」

 わかっている。結局のところ幸人がなにを言おうと、桜空さくを喜ばせるだけなのだ。

「この、変態。悪趣味。性格、悪すぎるだろ、おまえ」

 桜空さくは否定せず、幸人が大好きな笑みを崩すこともない。悔しいのは、「これでいいのかも」と考えてしまう自分がいることだ。

 それを否定するように、幸人は首を振る。

「俺は、ただ、おまえに、好きになってもらえればそれで」

「うん。姫小路のこと、好きだよ」

「ちが……違う……。だって、おまえは……。俺の気持ちは……俺がお前のこと好きだって気持ちは……絶対に受け取らないんだろ。俺の好意なんて、ほんとうはどうでもいいんだろ……」

 笑ったまま返事をしない桜空《さく》に、とてつもない悲哀が襲い掛かる。それでもなお、桜空《さく》にすがりついていたい執着が、確かに存在していた。

 涙が止まる気配はない。

 ――どうしたら、好きになってくれる? どうしたら、愛してくれる? どうしたら――。

 うつむいた幸人に、桜空さくは緑色のタオルハンカチをそっと差し出した。あいかわらず笑みだけは優しくて、輝かしい。

 誰のせいで顔がぐちゃぐちゃになったと思っているのか。幸人はにらみつけながらハンカチを奪い取る。

 涙を拭き、思い切り鼻をかんでは丸めて投げ返した。

 桜空《さく》はなにも言わず受け取り、ハンカチをしまう。鼻をかんだことは一切怒らず、子どものいたずらを見守るように笑ったままだ。

 悲しくても、悔しくても、幸人の好きという気持ちは到底消えそうにない。

 むしろひどくなっていくばかりだ。

「……あ」

 ふと感じた尿意。

 もしここでもらしたら、桜空さくはもっと自分のことを好きになってくれるのではないか――。自分のことだけをずっと、見てくれるんじゃないだろうか。

 無謀にも、そんなことを考えた。

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