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下 ①
しおりを挟む二人は、同じモール内のカフェに移動していた。高級志向で、レトロな雰囲気が魅力のチェーン店だ。
まばらに座る客は年齢層が高く、店全体が静かで落ち着いている。全席半個室ということもあり、二人に向けられる視線や話し声を気にしなくて済んだ。
「好きなだけ食べろよ。腹減ってるだろ。俺のおごりだから気にするな」
大丈夫。まだ巻き返せる。幸人は確信していた。映画がだめならおいしいもので桜空の胃袋をつかめばいい。
テーブルに置かれた皿には、積み重なるパンケーキがどんとのっている。
「この店、これが一番うまいから。めちゃくちゃ時間かけて一から作ってんだぜ」
桜空は返事をせず、ただ、ほほ笑むだけだ。自身の前にあるカフェラテに手を伸ばした。
「あ! おまえ、砂糖入れてないだろ。砂糖入れなきゃ飲めたもんじゃないからな」
幸人は返事も待たず、ポットの角砂糖を立て続けに入れていく。カップの中で、砂糖がどんどん溶けていく。
それを見下ろしていた桜空は、ソーサーに置かれたコーヒースプーンを手にし、かきまぜた。が、それだけだ。
スプーンをソーサーに戻し、カップをとろうとはしない。
「ほら、食べようぜ。俺が切り分けてやるよ」
四分の一に切ったパンケーキをとりわけ、桜空の前に置く。自身にも同じ量をとりわけた。
この程度の量、幸人にとっては朝飯前だ。
「えへへ、いただきま~す」
「……いただきます」
幸人は話をふることも盛り上げることもなく、大口を開けて頬に詰め込みながら食べる。こういった高カロリーなものは、今日のように特別な状況でしか食べられない。
桜空と一緒に、大好きなものを遠慮なく食べる。それは、幸人にとっては贅沢で、幸せな時間に違いなかった。桜空も同じはずだと、信じて疑わなかった。
「うまいな? うまいだろ?」
「あー……そうだね」
桜空は、一口食べてはフォークを置き、また一口食べては飲み込むのに時間をかける。あのちゃらけた輝かしい笑みを、見せることはない。
――見ず知らずの女性相手には、満面の笑みで、積極的に盛り上げようとするくせに。
「……どっちがタイプだったんだ? かわいかったもんな、そこそこ。ここにいてくれればよかったな」
「え?」
「まあ、俺の顔に比べたらたいしたことないけど」
どうしても、トゲのある声を放たずにはいられなかった。返ってくるのは、まじめな低い声だ。
「いや、顔がどうとかじゃなくて、困ってるみたいだから声をかけただけで」
「そうだろうな。おまえは優しいから。でも、今一緒にいるのは俺だろ? 俺がいるのに他のやつに話しかけたら失礼だなとか考えねえの? なんでそういうこともわかんねえかな。……ほんとイライラする」
こんなこと、言いたくない。まるで自分のほうが好いているかのようなこと。
「まあ、別に、もういいけど。俺はおまえには寛大だからな。これ以上、俺を振り回すようなことしなきゃそれでいいわ」
すでに食べ終えていた自分の皿に、大皿に残っている半分をよそう。
「ほら、おまえもちゃんと食えよ」
もう半分を桜空の取り皿へ。まだ残っている食べかけを押しのけつつのせた。
「あー……うん」
取り分けたとはいえボリュームがあるパンケーキ。幸人は平然と頬に詰め込んで、砂糖をふんだんに入れたカフェオレに口をつける。
喉を鳴らしながら飲みこんで、満足げに息をついた。やはり、桜空と一緒に食べるデザートは格別だ。
桜空を見れば、パンケーキにのっていたバターをぬり広げている。メープルシロップをこそぎ落とし、混ざらないように気を付けながら。
あいかわらず、砂糖が入ったカフェラテには、手を付けようとしない。
「おまえ、変な食い方してんじゃねえよ。こういうのはシロップがうまいんだろ~? バターだけなんて味気な……」
溶けたバターが広がるさまを、なんとなしに見つめていた幸人は、気づいた。
「……まさか、嫌いだった?」
バターを塗る、桜空の手が止まる。
「え?」
「甘いもの、嫌だった?」
「……いや」
「メロンソーダも俺が勝手に砂糖入れたのもパンケーキも全部嫌だった?」
「……別に。大丈夫」
好きか嫌いか、明確には答えない。
たったそれしきのことなのに、桜空は正直に答えようとしない。
「は? 苦手なんだろ? なんで」
そのあとは、続かなかった。眉尻を下げて幸人を見る桜空|《さく》の表情に、嫌でも気づいてしまった。
桜空は、幸人の顔色をうかがっている。言葉を選んでいる。幸人の機嫌を損ねればなにをしでかすかわからない、と思っている。
明るくてご機嫌な笑みを、見せる余裕もないほどに。
「……ふざけんなよ」
鼻先の痛みを自覚すれば、目がにじむ。涙が一粒零れ落ちたのをそのままに、震える声を張り上げた。
「食いたくなきゃ食うなよ! 食いたいもん頼めばよかっただろ!」
声が、店中に響き渡る。それに気づいて、唇をぐっと噛んだ。
桜空は、目を見張っている。幸人が声をあらげたからか、泣いているからか。どちらにせよ、幸人の声と涙はもう止まらない。
「俺は、嫌な思いさせてまで一緒にいたいわけじゃ……」
認めたくない。自分のしていたことが全部無駄だったかもしれないなんて。
でも認めざるを得ない。
かもしれない、ではなく、全部無駄だった。 ――桜空が、幸人を好きになってくれることなど、ありえなかったのだ。
「ふざけんな。俺が、どんな思いで……」
思えば、幸人は桜空のことをなにも知らない。なにもわかっていない。桜空の好きな食べ物も、好きな色も、今なにが欲しいのかも。
わかるのは、そんな幸人の誘いに応じるほど優しい、ということだけ。
でもその優しさは自分だけのものではない。
桜空は誰にでも笑顔で、誰かを傷つけようとはせず、困っていれば自分から助けに行こうとする。
その優しさが好きで。その優しさを自分だけのものにしたくて。
ただ、それだけだったのに。
「どうせ、俺と一緒にいても楽しくないんだろ、おまえ」
これ以上周りに迷惑をかけないよう、これ以上変に注目を浴びないよう、必死に声をおさえながら続ける。
「そりゃそうだろうな。おまえ、俺が何度誘っても適当な理由つけて断ってたもんな!」
自分で言いながら、むなしくなってくる。
「なんなんだよ、そんなに嫌ならなんで来たんだよ。来てんじゃねえよ」
涙がぼろぼろと頬を伝っていく。潤んだ瞳に濡れる長いまつ毛。
真っ白な顔に、赤くなったまぶたと鼻先が際立った。鼻水も出てきたが、ぬぐう余裕もない。
国宝級イケメンと呼び称えられる顔が、台無しだ。
「俺のことが嫌いなら。……嫌いならくんなよ。俺だって。俺のこと嫌いなやつ嫌いだわ」
悔しい。情けない。でも本当は好き。好きになって、ほしかった。
さまざまな感情がまざりあって、自分でもわけがわからない。
「……俺、姫小路のこと、好きだよ」
心に染み入る優しい声に、目を向ける。桜空はフォーク片手に頬づえをついて、笑っていた。細めた目が幸人にまっすぐ向いている。
「そうじゃなきゃ、わざわざ来ないし」
「ほんと?」
「ほんと」
涙にぬれたぐしゃぐしゃの顔で、幸人も笑う。
「そ、そーだよなぁ。この顔の俺を嫌いだなんて言うやつ、いるわけないし!」
「うん」
「金を払ってでも一緒にいたいっていうやつのほうがほとんどだし」
「そうだね」
「この俺が、おまえに嫌われてるはずねえよな! どうせ俺と一緒だと緊張するから反応薄いってだけなんだろ。ったく、ほんとしょうがねえな~」
桜空の笑みが、崩れることはない。それでも、幸人の不安はぬぐい切れなかった。涙も、なぜか止まらない。
「俺のこと、好きなんだろ? じゃあ、俺のどこが好きか言ってみろよ、顔以外で。もちろん言えるんだろうな?」
「顔でしかモテる要素ないくせに、そうやってめんどくさい質問してくるところ」
口元が引きつると同時に、鼻水がたれ落ちる。
「……え?」
「顔しかとりえがないからこそ、顔以外の誉め言葉を求めちゃうんだよね、わかるわかる」
みんなに向けるときの笑顔。みんなに向けるような明るい声。
目の前にいる桜空は、あくまでも幸人が大好きな桜空だ。
「姫小路の、言うとおりだよ。俺、甘いもの、そんなに得意じゃないんだ。パンケーキはもってのほか」
自身の取り皿に残るパンケーキを、フォークで突き刺す。
「ずっと前からそうなんだけどなぁ。気付くの遅くない?」
グニグニと揺らして、ようやく切れた分を口に入れた。
「飲み物もね、ああいうときは普通にお茶を買うほうが無難でいいよ。人に飲ませるのにメロンソーダ選ぶとかセンスなさすぎ」
「あ、だって、たまには甘いの、飲みたいかと思って」
「そりゃ、姫小路はね? でもさ、俺は姫小路じゃないから。それに、これ」
桜空は自身のカフェオレを、顎で指し示す。
「勝手に砂糖入れるのはナシじゃん? さすがにマナー違反でしょ」
いたたまれない幸人は、濡れた目を伏せる。
「でも……今まで、なにも言わなかったし……てっきり」
「それは、こっちが合わせなきゃすぐ不機嫌になるからだろ」
桜空は輝かしい笑みを浮かべたまま、声を一段と小さくして続ける。幸人以外に、誰にも届かない声量で。
「姫小路って全部仕切りたがってこっちのこと全然考えないよね? 出かける場所とか内容とか決めなくていいから楽っちゃ楽だけど。一緒にいてすんごい疲れるときがある」
「あ……だって……そんなつもりじゃ」
ふがいなさと、情けなさで、また涙が零れ落ちた。
「ごめん。ってか、それなら、言えよ。……言って、くれれば」
「いいんだよ、怒ってるわけじゃない。俺のこと、知ってほしいわけでもないし。……自分が好きなものなら俺も絶対に好きだろうっていう、身勝手で幼稚な行動する姫小路のことが好きなの、俺」
うれしい言葉のはずなのに、幸人の目には涙がたまる。流すまいと必死にこらえても、ぼろぼろと落ちていく。
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