チトセティック・ヒロイズム

makase

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「あたし、この間試しに学院に張ってある監視結界に触れてみたんですけど」
「んなっ!」

 情報共有のために手を組んだあたしたちは、お屋敷の地下書庫を秘密基地とすることとして、放課後都合が合えば集まることになっている。あたしはそこで、今回の会議までに試したことを報告することにしたのだ。

「ほら。あたしが結界を潜り抜けれた謎がありますよね。じゃあ今の段階で、結界を潜り抜けれるのか気になりません?」
「き、気になるけども! なんでうちらに相談しなかったんや!」
「気絶するほど突っ込まなければ、体に影響がないって聞いたので……」
もしぬるりと抜けられれば、あたしの正体が掴めるきっかけになると思ったのだ。
「で、どうだったんだ?」
「ダメでした。指先で触れてみた途端、ピリってなりまして。それでも無理やり押してみたんですけど、押し返されて。ビビビって、電流が痛気持ちいくらいになったので……諦めました」

 多分あのまま無理やり突っ込んでも無理だったと思う。怖くて、限界になる寸前で手を引っ込めてしまった。

「多分、今のあたしには結界をすり抜けられるような力は無いみたいです」
「うーん……謎は深まるなあ」
「あたしがどこかから逃げるときに、手助けしてくれる人とか、手段とかがあったんだと、思うんですけど……」

 それはあたしの記憶が無い以上わからない。進展したのかしてないのかよくわからない。あたしは自分の両掌をきゅっと握りしめた。まあ、できへんものを気にしてもしゃあないわな、と深雪ちゃんは慰めてくれた。

「うちは、この間な、学院の運営委員会に出席してきたんやけど」
「深雪ちゃんってそんなものにも出席してるんですか」
「まあなあ。むずい話はちょいちょい一世に解説してもろてんけどな」

 あたしと同い年くらいの子が、大人に混じって学校の運営とか経営とか細かい話し合いのために出席するのって、一般的なんだろうか。この学院が特殊なだけ? 深雪ちゃんはなんでもない顔をしているし、赤石くんも平然としているから、学院としては普通なんだろうけど。

「組織の話とかは限られた人しか知らんみたいで、一切話題に出んからわからん。けどなあ、なんや国の派閥がどうのこうのっちゅう、むっずい話で盛り上がっとったわ」
「派閥?」
「ほら、うちの学校国からの保護を受けとるやろ。うちらを守るために、国ぐるみで秘密にしてくれてるやん。それは、それをよしとしてる国の中のお偉いさんの派閥が支持してくれてるからやねんけど。それにやいやい言う輩が居って……みたいな?」
「あからさまな政治の話だな」

 赤石くんはうんざりと首を横に振った。充実した設備、のびのびと学べる生徒たち、優しい先生。能力を持った子供達にとっては幸せな環境だと思っていたけれど、守る側の大人にはいろいろと難しい事象が絡んでくるのかも。
 でもその難しい事情が、スパイだの組織だのに絡んでくるのであれば、あたしたちはそれに踏み込む必要性がある。小難しい話だからといって避けるのは無しだ。ひとまず、専門科目の見学がない日には、学院図書館で学院の歴史について調べてみるのもいいかもしれない。
 案ずるより産むが易しだ。思い立ったあたしは、次の日の午後授業の時間を、図書館学習の時間に充てることにした。
 この学院の図書館は本当に学内の図書館かな、と疑うほど巨大だ。もし一般公開されていたりしたら、映画の撮影に引っ張りだこだったに違いない。それくらい古式ゆかしく美しい建造物だ。
 天高く円形に配置された図書棚を見上げる。一人この本棚を隅から隅まで漁っていたらきっと一生を懸けても終わりそうにない。レファレンスコーナーで、司書さんに学院の歴史について知りたいと尋ねれば、何冊か見繕ってくれた。それでも長い歴史のある学院だ。どの本から手を付けていいかはわからない。

「学院について勉強したいなら一世や。一世に手伝ってもらい」

 深雪ちゃんに事前に相談していたため、今日のあたしの背後には、そっと一世さんが控えてくれている。別に組織とか、スパイとかに言及しなければ、学院についての知見を広げるのは悪いことでもやましいことでもない。私でよろしければ、と一世さんも快く協力してくれた。
 学院の成り立ちや、創立したての頃の学院のモノクロ写真に目を通し、基礎的な知識を詰め込んでいく。時々一世さんが写真や文献を指さしながら、学院長の一族しか知らないような補足事項も入れてくれるので、案外するすると頭の中に入ってきた。
 整った顔立ちに、銀縁の眼鏡が光る一世さんの真剣な横顔を見ていたあたしは、つい気になっていたことが口からポロリとこぼれ落ちてしまった。

「一世さんは、いつ頃から深雪ちゃんにお仕えしているんですか?」

 すると一世さんは穏やかな笑みを一層深くして、まるで深雪ちゃんと出会った頃のことを想起しているかのような表情で語り始めた。

「深雪様がお生まれになった時からですよ。そもそも我が家は、代々木曽家に仕えている経ヶ岳の家系なので、深雪様がお生まれになった瞬間に、お嬢様にお仕えすることが決まっていたのです」
「す、すごいですね……」
「すごいことではないですよ。単に家業を継いだようなものですからね……深雪様と初めてお会いした時のことは今でもまなこの裏に浮かび上がってきますよ」

 やはりその時のことを思い出しているのだろうか、一世さんは肩の力を抜いて、いつもよりリラックスして腰掛けた。

「それからずっと、深雪様と共に歩んできました。木曽家に生まれれば、必然的に学院の経営に携わっていくことになります。幼い頃から学院の運営については詰め込み教育のごとく勉強に励まれておりまして」
「深雪ちゃん……」

 あんなにあっけらかんと、さっぱりしている女の子だけど、ちっちゃい頃からプレッシャーを受け続けてたんだ。

「私はそんな深雪様を、陰日向から支え、深雪様の幸せのために仕えさせて頂ければ、それだけで幸せです」

 一世さんはすごい人だと思う。それは、短期間関わっただけでもあたしなりに理解している。
 深雪ちゃんの学院長孫としての受けるべき教育と、本来の生徒として受けるべき教育を両立させるために、スケジュールを完璧に管理しているのは他でもない一世さんだ。それ以外でも、ちょっとでも深雪ちゃんが困った様子を見せれば、すぐさま駆けつけて解決し、サポートしてあげている。そのおかげで一世さんを抜きにして、あたしたちが作戦会議をするのが多少困難になったりするくらいだ。
 こんなことを言ってはなんだけど、一世さんは影に立たなくても、例えば表舞台に立ったとしてもとても優秀な仕事人として活躍できると思う。それでも嫌々ではなく、喜んで深雪ちゃんに仕えている、そして仕えることに喜びを感じている。
 それだけ深雪ちゃんと一世さんの絆の強さは強いってことだ。
 いいなあ。記憶を失うあたしにも、そんなに強く思ってくれる人とか、思える人っていたのかな。
遮光カーテンから覗く光が机に向かって射し込んで、本に手をかけたあたしの手のひらを、細い線のように照らしていた。
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