チトセティック・ヒロイズム

makase

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 それからの数週間は目まぐるしく過ぎていった。
 あの朝以来、あたしの頭から鹿の角が再度生えてくることは無かった。深雪ちゃんにはもうじきゆっくり話ができるから待っててくれと謝られた。
 あたしのここのところの毎日といえば、午前中に普通科目の授業を受けて、午後には図書館にこもって授業の復習や、それぞれの専科の授業を見学させてもらい、能力について学ぶ日々だった。
 ありがたいことに、クラスにはすぐ馴染めた。なんの能力も持っていないと信じているクラスメイトたちは、あたしのことを特に見下すわけでもなく、ただの友達として扱ってくれる。みんなよりできることが一つ少ない。それでも皆は別に気にしていないようだった。区別はあるけど差別はしない。クラスだけではなく、学院全体にそんな雰囲気があった。そもそもみんな、能力を引き出せる動物の種族がそれぞれ異なっているし、できることや得意なことが   違って当たり前、な共通認識がみんなの中で出来上がっているのかもしれない。
 特に深雪ちゃんとは一緒にいることが多いけれど、それ以外の子たちともお話しできるようになった。けれどやっぱりうまく話せない男の子が一人。言うまでもなく赤石くんだ。授業で一緒にワークをする時なんかに最低限会話はするけれど、それくらい。挨拶もまともに返してくれない。深雪ちゃんがあの時のことをきちんと説明するまで、信じないぞと言わんばかりだ。あたしは少ししょぼくれた気分だった。ちなみに深雪ちゃんとはお構いなしに相変わらず口論し合っていた。
 そうやって楽しい学院生活を送りながらも、心に重く一つ不安を抱えながら過ごしていたある日、やっとあたしが待ち焦がれた日がやってきた。

「今日、放課後。話したいんやけど」

 準備が整ったんやと、深雪ちゃんは遅くなってすまんともう一度謝った。そんなに謝り倒す必要はないのに。
 ドキドキソワソワしながら放課後まで過ごして、チャイムが鳴った途端、深雪ちゃんに指定されていた体育館倉庫裏に急いだ。
 駆けつけたその先には、すでに赤石くんが立っていた。もしかしたら翼で教室から一っ飛びだったのかも。人気のない体育館倉庫裏で、何か会話をすることもなく無言で立ち尽くしていると、当の深雪ちゃんは最後に遅れてやってきた。

「遅いぞ」
「うっさいわ。先生と一世巻くのにうちも色々大変やねん」
 
 ここなら見つからんからな。深雪ちゃんは体育館倉庫裏のさらにその裏の茂みをかき分け始めた。しばらくすると地面に真四角の蓋が顔を覗かせた。深雪ちゃんはポケットからヘアピンを取り出して、蓋の四隅をゴソゴソと弄ると、まるで手品みたいにパカっと蓋が開いた。あたしと赤石くんはその様子をぼけーっと見つめていた。手つきが鮮やかすぎて、隠し通路があっという間に現れたことに何も反応できなかった。
 深雪ちゃんがえいやとその穴に入ってしまったので、慌てて追いかける。入った途端、通路は緩やかな坂道みたいになっててたから、滑り台を下るみたいにあたしは滑り落ちていった。長い長い滑り台のあと、たどり着いたのは本棚がぎっしり詰め込まれた薄暗い部屋だった。

「すごい、ここ……どこですか」
「どっかのアジトみたいだな」

 あたしの後について滑り落ちてきた赤石くんも、表情には出していないけれど、どこかワクワクしているような気がする。オレンジ色の仄かな灯りが、より一層雰囲気を掻き立てた。古びた本の少しだけカビ臭い匂いと、湿気た空気もまさにそう、秘密基地みたいだ。

「書庫。うちの屋敷の地下書庫や。さっきのはどっちかって言うと脱出口として使われるんやけど」

 ここは普段そうそう人が立ち入らんから。深雪ちゃんは部屋の隅から埃の被った机と椅子を持ってきた。ふーっと息を吹きかけると埃が舞って、三人ともしばらくくしゃみをし続ける羽目になって、深雪ちゃんと赤石くんの喧嘩が始まるところだった。
 机を囲むように三人椅子に座ると、深雪ちゃんは神妙な顔で話し始めた。

「単刀直入にいうとな、ちとせにはスパイ疑惑がかかってんねん」
「――スパイ?」
「なんかな、学院を崩壊させようと企む悪い組織があるみたいやねん」

 悪の組織ってこと? とあたしが尋ねると、深雪ちゃんはこくりと頷いた。そんな、ミステリー小説みたいなことあるんだ。非現実的過ぎてあたしにはとても信じられない。赤石くんはいつもの調子で馬鹿にするのかなと思ったけれど、意外にも真剣に深雪ちゃんの話を聞いていた。

「それで、なんであたしがスパイってことになってるんですか」
「……おい待て。そもそもこいつが何者なのかを俺に説明しろ。秘密を黙っててやるんだから、最初から最後までちゃんと話せ」
「あ、そうですよね。すみません」

 あたしは傷だらけで学院内に倒れていたこと。実は記憶を失っていることを簡単に話した。赤石くんは時々驚いたように目を見開きながらも、あたしの拙い説明を淡々と受け入れていた。その間、深雪ちゃんは指を組んだり外したりして、どこかそわそわしていた。

「うちが倒れたちとせを見つけたのは、一番最初に言った通り、学院の中やねん。なあちとせ、前に結界の話はしたやろ」
「はい。入る方も出る方も、無理やり侵入なんてできなくて、突入する前に失神するって……あ」
「せやねん。でもちとせは敷地内で倒れとった。そんでな。監視カメラの一つにも侵入時の様子は映り込んでなかったんや。せやからちとせは正式な出入口以外から侵入して来たんや」
「……結界を踏み倒して入れたってことは、スパイの可能性があるってことか」

 赤石くんは頭を抱えた。正直、赤石くんはあの時あたしに鹿の頭が生えた時にたまたま立ち会ってしまっただけで当事者でもなんでもないのに、こんな大事に巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思う。

「記憶を失う前のあたしは、どこかの組織のスパイだった……ってこと?」
「分からん」

 あたしの頭の中に、いかにもスパイっぽい、真っ黒なスーツに身を包んだあたしの姿が思い浮かんだけれど、すぐにかき消えた。あまりにも似合わなかったからだ。トランシーバーでどこかと連絡を取るあたし。アタッシュケースを守り切ろうと全速力で走り出すあたし。

「けど、うちは違うとは思っとるよ。これは正直、勘でしかないんやけどな」
「つーか学院長はそれ、本気で言ってんのかよ。こいつなんて俺たちと同年代だろ。普通スパイならもっと大人を想像するだろ」
「あんたもお爺様と面談したことあるやろ。そういう人間なんや。ちゅうか、あんただってスパイかもしれんやん」
「お前だってスパイかもしれないだろ」
「は? なんで学院長の孫がスパイやらなあかんねん」
「定番だろ。真犯人を探してるやつが、正真正銘の犯人だったって展開が。あとお前見るからに胡散臭いし」
「はああああ!? この美少女深雪様を捕まえといてなにいうとんねん!」
「つうか、俺がスパイだったら、すでにこいつの存在をその組織とやらにバラすに決まってんだろ。何か怪しい奴が入ってきたんで、どう使います? とか」
「んなもんわかっとる! この数週間、あんたはちとせの能力のこと誰にもバラしとらん。学院は平和そのものや。
せやからあんたを信頼して話してるんやろ」

 ああ、なるほど。説明する準備期間とは、深雪ちゃんが状況を整理する以上に、赤石くんの調査も含まれていたのか。

「あの、あたしあんまりわかってないんですけど。あたしに能力が出たのは何がまずいんですか」
「国の技術をすべて注ぎ込んだ、出生時検査で見つからなかった能力者、だ。そしてそいつは監視結界を潜り抜けられるかも知れない可能性がある。そんなもん、学院からみてみれば、崩壊に繋がるキーパーソンみたいなもんじゃねえか。つまり、能力が出たってことは、スパイの可能性が高まったってことだ」
「そう……か。それも、そうですね」

 言われれば言われるほど、あたしがスパイのような気がしてくる。そして、学院が疑うのも無理はない。理論は通っている。あたしの歳が幼いことを盾にしても、この理論で武装されたらすべて押さえ込まれてしまいそうだ。

「うちは、絶対ちとせはスパイやないと思ってる。ちとせの疑いを晴らしたい。そんで、組織とやらもやっつけたい。それが目的や」
「深雪ちゃん」
「ちとせのため、だけちゃうで。お爺様からも、ちとせを預かるならちとせのことを一任する言われとる。つまり、暗に調査しろって言われとるもんや」

 学院長の孫ってだけで、それだけの大仕事を任されるの? 深雪ちゃんってあたしと同い年くらいなのに。
 なんだか深雪ちゃんの両肩に重く伸し掛かっているものの、その一片を垣間見た気がした。

「あんたはどうなん、赤石」
「俺は、興味ない。学院長が組織の謎を掴みたいだとか、こいつがスパイかも知れないとか、どうでもいい。ただ、俺は自分がこれから生きていく学院が信頼できるとこであってほしいってだけだ。自分の今後の将来に関わるわけだし、そんなとこが危険まみれで汚い大人の欲望まみれなんて、そんなのまっぴらだからな」

 なんとも合理的で、冷静な意見だ。でも、まともで嘘をついているようにも思えない、どこか達観した意見だった。

「あたしは当然、あたし自身のことですから。あたしの謎はあたしで解き明かしたいです」
「わかった。ここまで来たらもう、うちらは仲間や」

 深雪ちゃんは自分の右手を、手のひらを広げてドンと机の中央に置いた。

「うちらは組織のスパイを見つけて、組織が何やろうとしとるか探るためにお互いに協力する。ええな?」

 あたしはすぐに深雪ちゃんの手の甲に手のひらを重ねた。
 赤石くんは三秒くらい押し黙った後、あたしの手の甲の上に手のひらを乗っけて、ぎゅうと力を込めた。
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