常闇の政略結婚

makase

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3 改めて対面

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 振舞われた晩飯は前菜にスープ、肉料理にデザートとちょっと贅沢なコース料理、といった風だった。古き西洋の世界観を持つこの世界で出された料理が西洋チックな料理というのは納得のいくものだったが、いきなり入れ替わった事実をすんなり受け入れ切れていない俺は、正直砂を噛んでいるかのように料理の味がしなかった。ただ、“呪術”だなんてものが存在する異世界にやってきて、日本に居たころとまるっきり異なる食文化だったとしたら、この先、生きていくのも難しかっただろう。葉物野菜や何の肉か分からないが動物肉のステーキは、日本で食したフレンチ料理と微妙に味が異なるものの、食べられないわけではなかったので、内心ほっとしつつ完食した。
 食事を持ってきてくれたのは相変わらず俺が初めてこの世界で対面した人間であるメイドさんで、というより俺はこの世界にやってきてからまともに会話したのはこのメイドさんしかいない。彼女は無難に対応してくれているが、心根は全く分からない。そもそも名前すら分からない。この人は自国からついてきてくれたメイドなのか? それともこの王宮に伝えているメイドで、俺がのこのこやってきたからお付きのメイドになったのか? 
 けど、俺がここで「貴方の名前はなんでしたっけ」なんて聞いてみろ。もし親しい相手だったとしたら、俺の頭がおかしくなったかと心配するだろう。対してもしも彼女とはこの国で初対面だった場合、名乗ったはずなのにもう忘れたのか、とただでさえ低いであろう好感度を駄々下がりにしてしまう可能性がある。つまり、リスクしかない質問だ。俺は名前を呼びたいのにやきもきした気持ちで、ちらちらとメイドさんに目をやる他なかった。
 食後、しばらく休憩した後に「湯殿へいきましょう」と促されて日本の大浴場のような巨大な湯舟があったことにも一安心した。石タイルで作られた浅めの湯舟に高い天井、湯煙がほかほかと天高く昇っている。やっぱり風呂は日本人として長年生活してきた以上、最重要だ。湯舟に浸かれるのであれば非常にありがたい。
 だが、それではお手伝いします、と服に手を掛けられた時には、慌ててその手から飛びのいて離れた。いえいえ自分でやります、というと怪訝な顔をされた。恐らくだが、仮にも王子という身分の人が一人で湯で身を清めるという観念がないのかもしれない。

「じ、実は人には見られたくないような傷跡が体にあって……着替えや風呂は一人で行いたいんです」

 咄嗟によくもまあこんな言い訳ができたもんだと思う。だがメイドさんは納得し、それどころか眉を下げて少し悲痛な表情を浮かべて脱衣所から外に出てくれた。嘘を吐くのは大変心苦しかったが、申し訳ないが立派な成人男性が女性に何から何まで世話をしてもらうというのは社会人としてあまりにも恥ずかしい。
 まどろっこしい服を悪戦苦闘しながら脱いで、体を洗い流し手足を存分に伸ばして湯舟に使った。丁度良い温度で体中に走っていた緊張がゆるゆると解けていく。この世界の俺と入れ替わり、ようやく心からひと段落つけた気がする。
 結婚はしたけれどあくまで契約上の、国同士の繋がりを強くするためだけのものだということが、手紙や宮中からの視線で感じる。ということはこの後相手の寝所に呼ばれることや、自室に旦那となった相手がやってくる可能性も限りなくゼロに近いのだろう。それは一安心だ。別に俺は同性愛に忌避があるわけじゃない。ただ、自分はあくまで異性愛者だったので、いきなり男と愛し合えと言われたらパニックに陥るのが目に見えている。
 さて、この国で俺は生きていく羽目になってしまった。正直元の世界に帰りたいか、と自分自身に問いかけても、はっきりと「はい」と回答できなかった。あの過労過労地獄の中で、友人もろくにおらず、身内とも縁は切れている。生きるために仕事をしていたような生活に、ものすごく未練があるかと言われればそうではないのだ。
 だからと言ってここで飼い殺しのような扱いを受け続けてどうすればいいんだろう。俺にできることはなにかあるのか。俺は湯水に浸かっていた腕を挙げた。するすると滑るような肌触りだ。きっと王子だったこの体の持ち主は、母国で多くの使用人に傅かれ、頭のてっぺんから足の指先まで丁寧に手入れされていたことだろう。



 湯から上がり、用意してもらった肌触りの良い、シルクのようなつるつるした寝間着に身を包んで、メイドさんの背を追いながら俺は自室へと戻るために廊下へ歩いていた。
 長い廊下を歩いていると、向かい側からぞろぞろと集団がこちらに向かってくるのが見えた。その先頭に立っているのは、先ほど自分の隣で名実ともに夫となった皇子その人だ。長い髪を揺らしながら、お付きの者を五人ほど引き連れて真っ直ぐに歩いている。
 テオ王子の存在に気付くと、メイドさんは素早く廊下の壁を背にして頭を下げた。俺もそれに倣うように慌ててメイドさんの隣に立ち、頭を下げる。
 多分、これが正しい対処法だと思う。契約結婚であるなら、新婚ほやほやとはいえ、俺たちが会話を交わす可能性は限りなく低い。それに俺はできるだけ目の前の相手との会話を避けたかった。なにより、中身が違うとバレたときにはどうなるのかたまったものではない。
 そのまま無事に通り過ぎてもらえるか、と思ったのに、黒いブーツは俺の視界に入った途端、突如として足を止めた。周囲のお付きの人たちが、皇子のその態度に困惑しているのがなんとなく分かる。

「……」

 彼は進行方向から俺のいる方向へ向き直ったのが、足の角度で分かった。頭を下げている俺のことを、その長躯から見下げている。俺のつむじは視線で焼け焦げそうだ。
 俺が硬直してただただ相手の、泥汚れひとつ付いていない靴のつま先だけを瞬きもせずに眺めていると、目の前の王子はふっと鼻で笑った。それはあからさまな嘲笑だった。

「国から聞いていた評判とは違うな。しおらしいじゃないか。お前のその正確なら正面から俺へ向かって頭突きでもしてくるかと思ったが」

 こっちの世界の俺、どんだけ悪行三昧だったんだよ! 俺は俯いたまま遠い異世界の俺に向かって怒鳴りつけたい気分だ。王子の笑い声に続いて、周りのお付きの人々もくすくすと笑い声を立てている。
 いや、俺じゃねえよ! 俺はそんなとんちきな真似しねえよ! と言い放ってやりたかった。けど、俺はこれ以上俺の立場を悪くするわけにはいかない。俺じゃない「俺」として冷やかしを受けたり、嘲られることがこれほどまでに屈辱的なことはない。俺はぐっと下唇を噛みしめて、きゅっとこぶしを握り締めた。
 俺が何も反論せず、反応すらしなかったことにつまらないと思ったのだろうか、皇子はくるりと靴の向きを変えるとさっさと俺の前を横切り去って行ってしまった。お付きの人々が全員通り過ぎ、足音が聞こえなくなるまで俺はずっと俯いたままだった。
 ようやく廊下がしんと静まり返ると、俺は顔を上げて肩をがっくりと落としながら息を大きく吐いた。隣に居るメイドさんは俺のことを心配そうに見つめている。そういえばこのメイドさんだって俺のことを蔑んでもいいはずなのに、極めて丁寧な態度で接してくれてくれている。なにか弱みでも握られているんだろうか。けどそれにしては何かに怯えている様子も見えない。

「部屋に戻りましょうか、殿下」
「はい……」

 馬鹿にされた俺を元気づけるかのように、何事もなかった風を装ってくれるメイドさんだけが、今の俺にとっての救いだった。
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