76 / 81
本編
今日、嫁ぐ日に ~母と娘~ 2
しおりを挟む「え?! 初耳だわ」
イルムヒルデが恋愛推奨派だったとは思わなかった。何となく聞いてみたことを肯定されてアマーリエは驚いた。
「あら、言ってなかった? 大恋愛というわけではなかったのよ。年上の男性に片思いしてその方は他の方と結婚しただけだけれど、失恋は失恋よ。失恋してすぐに伯との見合いをしたの。……誠実に向き合ってくれた伯の為に頑張ろうと思ってこれまでやってきたのよ」
以前アンナに「辺境伯夫人のために辺境伯はヴォルティエとの交易を積極的に行って、刺繍の図録とかレースとか取り寄せてきたんだって。辺境伯閣下のおかげで図録とか手に入れられたって、刺繍好きの私の母が教えてくれたの。ご両親、仲いいのね」と最初に雑談した時に話してくれた。
社交界では仲の良い夫婦として有名なのだと言う。社交界のうわさなど知らなかったが、娘の眼から見ても確かに仲のいい夫婦で、アマーリエだけでなく子供たちの理想の夫婦だったと思う。
「だから、「辺境の熊」だのなんだのと揶揄してくる連中を叩きのめしてやりたくて社交には念を入れてきたのです。伯は貴様ら如きとは格が違うんだよ! ……とずっと思ってきたわ。だから、お前も旦那さま――フリードリッヒさまのために胸を張って戦いなさい。嫁いでもヴェッケンベルグの心を忘れてはなりません。いいですかお前は社交に関して経験が足りなさすぎです。嫁いで数年はお姑さまについて修行なさい」
「わかったわ、お母さま」
青筋を立てて強い眼差しで訓告する母に、アマーリエも力強くうなづいた。
夜会に何度も参加したけど、本格参加ではない。本格的なお茶会もアンナや先輩たちと身内だけの気楽なお茶会を開いただけだ。
慣れるまで時間はかかるかもしれないが、ちゃんとものにしなければいけない。
「愛がなくても結婚できるけど、やっぱり愛がないと身が入らないし、続かないのだと思うのよ」
「じゃあ、大丈夫。私はフリードリッヒさまを愛しているもの」
にこりと笑うと母も口元をほころばせた。「もう……そういうやたらと前向きなところはお爺さまに似たのね」と呟いて続ける。
「もし既婚者を好きになって苦しい思いをさせたくないとかなんとか騒いでいたのはギイたちだけなのよ。……まったく大きな図体して情けない。そんなの若手部隊でもあるでしょうに……と思ったのだけど、最終的には直前まで在籍していた三人の意見を尊重しました」
面接の前にどこの部隊に希望を出すか家族で話したときに
『強い人のいる部隊がいいわ! 一から六までどこでもいいの。……おじさまばっかりでもいいもん。強いおじさまならいいの』
そのようなことを言って兄たちに困惑され、説得にかかられた。ただ、母親からは特に反対されなかったなと思い出す。
「じゃあ私が二十歳くらい年上の男性と結婚したいと言っても許してくれたの?」
「きちんとした方ならよろしい。ルートヴィッヒの末の姫君も年上の方と結婚なさったでしょう? あのくらい離れていても私は気にしませんよ。伯はどうだかわからないけれど」
エリーゼの結婚式には両親とギルベルトが参加していた。ギルベルトはエリーゼの同期で仲が良かったので、入団前に妹をよろしくとエリーゼに頼み込んでくれた。
イルムヒルデは気を取り直したようにアマーリエを見てきっぱりと言い切る。
「アマーリエ、まずお父さまをお呼びしますから、感謝でも文句でも言いなさい。すでに泣いていらっしゃるから、何を言おうが言うまいが構いません」
あまりのいいようにアマーリエの口の端に苦笑が浮かぶ。
「文句はないわ。……というかお父さま、もう泣いてらっしゃるのね」
「ええ。フリードリッヒさまには「嫁に出す覚悟をする時間をいただきたい」とか言っていたのに、いざとなったら寂しくてたまらないのですって。もう三日も神経質になってるのよ」
「お父さま……」
溺愛と言っていいほど可愛がってくれたカルーフの切ない気持ちを想像すると胸が痛む。
フリードリッヒと結婚の許しを得るためにヴェッケンベルグの本城へ行ったときに「すぐに結婚したい。一カ月あれば式もドレスもバルツァーの名誉にかけて完璧に整えられる」というフリードリッヒと「ヴェッケンベルグ辺境伯家の娘を一カ月で嫁に出すなどもってのほか。アマーリエへの教育を含めて最低一年は準備にかける」というイルムヒルデと意見が真っ向から対立した。
兄たちとヴェローニカはどちらにも味方はしていなかった。とくにヴェローニカはどちらの意見にもうんうんと頷いてからカルーフに意見を求めた。
『私に、アマーリエを嫁に出す覚悟をするための時間をいただきたい』
カルーフのまっすぐにフリードリッヒを見据えての言葉は、迸る鬼気迫る迫力に溢れていた。戦に臨むような鬼気迫るカルーフの勢いにフリードリッヒも折れざるを得なかった。
しかし、カルーフは折衷案として十月の国王陛下の誕生日パーティーの前か後にする意向を示した。
フリードリッヒとイルムヒルデがこんこんと話し合い、国王陛下の誕生日パーティーの前に結婚式をし、新婚旅行はパーティーが終わってから一カ月という結論に至った。
社交界デビューのエスコートをカルーフに譲ってまで国王陛下の誕生日パーティーの前に結婚式を勝ち取ってくれたのは「結婚するギリギリまで騎士でいたい」というアマーリエの気持ちを優先してくれたからだ。
(ああもう、フリードリッヒさまのそういうところが好き)
ずっとアマーリエの気持ちを優先してくれていた。ずっと守ってくれていたフリードリッヒのことをますます好きになってしまった。
「先方もすでに泣いていらっしゃると聞き及んでいます。こちらが泣いていても許していただけると思うけど、一泣きして落ち着いてから式になるようにとりはからっているわ」
「そうなの? 侯爵夫人もお寂しいのね」
「王大后陛下もだそうよ。最愛の息子、最愛の孫ですからね。泣き崩れていらっしゃるそうなのよ」
(泣き崩れるとはまたすごいわ……愛の深さがすごい)
愛ゆえに、嬉しさと寂しさで感情が高ぶっているのだろうと結論付けた。
「ねえ、お母さまもお兄さまが結婚したとき寂しかったの?」
この母も泣いたのだろうかと気になった。イルムヒルデにとってギュンターは大切な長男である。何かとギュンターを立ててきた。
「私は……準備に遺漏ないかとそればかり気にしてたわ。式の片付けが終わってしばらくしてから、あなたたちが赤ん坊の頃使っていたベッドが出てきて……ああ、お嫁さんもらうような年になったのねと思うとほっとするというか寂しいというか……複雑な気持ちになったのよ。多分、今回もしばらくしてしんみりするのでしょうね」
「お母さま……」
イルムヒルデは小さくため息をついて、柔らかな苦笑を浮かべて懐かし気に呟く。
「お前が生まれた時に、伯があまりに頬ずりするから、首がもげないか心配したものです。それが……」
アマーリエの頬に手を伸ばして触れるか触れないかの位置で微笑む。
「大きくなったわね」
「お母さま……」
母を呼ぶ声が上ずる。イルムヒルデの目に僅か涙が浮かぶ。
「女が人前で簡単に涙をみせてはいけません。泣くのなら戦略的視点をもち、戦術の一つとして行いなさい」
「うーん。どうしてもの時は、どうしたらいいのかしら?」
「旦那さまの前で泣きなさい」
「うん。ありがとうございます、お母さま」
イルムヒルデは小さく頷いてくれて、控えている侍女に声をかける。
「辺境伯をお呼びしてちょうだい」
*******************
イルムヒルデはアマーリエの母親ですので……。
0
お気に入りに追加
364
あなたにおすすめの小説

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非!
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!

はずれのわたしで、ごめんなさい。
ふまさ
恋愛
姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。
婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。
こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。
そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる