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本編
説明と覚悟
しおりを挟むフリードリッヒの執務室の前にある、マティアスの執務室に手を引かれたまま連れていかれた。部屋に入るとフリードリッヒの執務室同様の応接用ソファーと執務机などがみえた。役職の執務室はどこも同じようなものだが、妻帯者は必ずと言っていいほど家族の絵を飾っている。マティアスも例にもれず、執務机の上に小ぶりではあるが妻子の絵を飾っている。
「とりあえず、座りなさい」
優しい言葉にアマーリエは水筒を抱いたままソファーに座る。マティアスは向かいに腰かけた。普段穏やかなマティアスだが、今は苦渋を滲ませた真剣な顔でアマーリエを見つめている。
「副長。これ、差し入れです。私の未熟でデビューが遅れたことで、ご迷惑をおかけしました。ですが、ご指導のおかげで無事務めを終えました。ありがとうございました」
「アマーリエ……そういって貰えると嬉しいよ」
アマーリエが礼を述べると、マティアスは厳しい表情を少しだけやわらげた。受け取った水筒を置いて「さて」と前置きして話し始めた。
「薔薇の雫のことは事前に聞いているね?」
意外な名前に驚きつつも、アマーリエは頷く。アンナの説明に出てきたいかがわしい薬だ。
「最近の婦女暴行事件にも使われているという薬で、市中に出回っている薔薇の香りのする……あの、媚薬と聞いています」
媚薬という単語は非常にむずがゆいような心地で言いよどむ。
「フリードリッヒは、その媚薬を飲まされたんだ」
「……っなぜ……」
息を飲んだ。信じがたい説明に、アマーリエは身を硬くして、絞り出すように問うた。
「誰が混入したかは不明だ。混入経路もね。目下調査中」
「そんな……」
事件当日だから詳細がわからないのは仕方がないが、団の関係者に出されるものは安全だと思っていただけに、アマーリエは衝撃を受けた。
「媚薬を飲んだ以上、熱をはらしてやらないといけない」
「熱をはらす……ですか?」
「……異性を相手にする……と言えばわかるかい?」
「……っ……はい」
『未婚の私たちは気をつけないといけないの。パートナーがいれば、パートナーが相手をすればいいから』
アンナが言っていたのを思い出す。
(え……だったら……)
心臓がひきつれたように打った。息が止まりそうな衝撃の余韻も消え去らぬうちに早鐘を打ちはじめた。
「だ、団長は……」
フリードリッヒが他の女性を抱くことになる。一瞬、見知らぬ女性を抱きしめて、先程アマーリエにしたように口付けるフリードリッヒを想像してしまい身を強張らせた。アマーリエの中の何かがそれらの行為を激しく拒否をする。胸が捩れるような痛みを、膝の上に置いた拳を握りしめて耐える。
「フリードリッヒは現段階で娼婦を呼ぶのを拒んでいる。交わらない場合は気休めにしかならないが、安定剤と睡眠薬で無理やり寝る……という方法もあるが……あまりお勧めできない」
「どうしてですか」
「効くまでに何錠も飲むわりに、持続時間が短い。性的な欲求が満たされない限り、焦燥感と倦怠感に苛まれる。媚薬の効果を乗り切っても、その後変調を――特に心に来す事例が報告されている」
震えるような無声音が唇からこぼれた。
(団長……)
性衝動を堪えることの辛さをアマーリエは想像ができないが、先程部屋に入った時、フリードリッヒは衝動を堪えていたのだろうと今はわかる。今もきっと耐えている。知らなかったとはいえ、不用意に近づいたせいでフリードリッヒを余計に苦しめてしまった。
(ごめんなさい、フリードリッヒさま)
「あとね、この媚薬が怖いのは一日じゃ終わらないこと。性衝動を二・三日堪えるのは難しいよ」
「そんな……」
「私は、誰か女性に相手をしてもらうべきだと思う。騎士としてのフリードリッヒの将来を損なうようなことにしたくない」
心に変調を来したら、今までと同じように騎士であり続けることができなくなるかもしれない。
マティアスはそういっている。
それは嫌だ。騎士として、男性として凛と誇りをもっているフリードリッヒが好きなのだから。
「だからね、アマーリエ。君に頼みたいんだ」
「え……」
マティアスの意外な提案にアマーリエは戸惑った。
(頼む? ……何……まさか……)
狼狽えるアマーリエをマティアスは表情をやわらげて見つめる。
「君の気持ちは、知っているつもりだよ」
どこまでも穏やかな声で告げられた。
いつから知っていたのだろう。どこで知ったのだろう。
疑問はあるが、上手く言葉にできない。言葉になる前に穏やかだが、真摯な態度で続けられる。
「だから、選んでほしい。君が相手をするか、しないか」
少し戸惑うような、言葉を選ぶような逡巡した間をおいてマティアスは続ける。
「本来なら、フリードリッヒは優しく抱くだろう。でも媚薬の薬効で乱暴な手つきになると思う。先程の……無理やり口づけられた時のような、乱暴な感じになると思う。それで君は嫌な思いをするかもしれない」
「嫌ではなかったです。……戸惑ってしまったけど、嫌ではなかったんです」
「アマーリエ……」
「副長。私、やります」
「ありがとう。……その……順番というか、一般的にどういう手順で、どうするかわかるかい?」
「……っだ、大丈夫です。エリーゼお姉さまに教わったことがあります」
エリーゼとお茶をしたときに、「一応、後学のため」として行為についての説明を受けていた。完全に理解しているとは言えないだろうが、全く未知のものではない。
(お姉さまは、基本的に男性がリードしてくれるって仰ってたもの。大丈夫。できるわ)
「わかった。落ち着くまで事後処理は私がやるし、食事も私が運ぶ。フリードリッヒが落ち着けば伝えてくれ」
マティアスの言伝を頭の中で繰り返して、アマーリエは頷いた。
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