破天荒な貯金

神崎翼

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破天荒な貯金

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 真面目になるのが遅すぎたと思う。その自覚があった。
 五つ年の離れた姉が優秀だったのが発端だったとは思う。姉にしてみたら言いがかりだろう。裕福とは言い難い家のためにコツコツ勉強をして学費のかからない国立大学へと進学した姉は、決して天才肌ではない。姉は家にいるとき、いつも部屋に引き籠っていた。ある日、たまたま姉の部屋の扉が少し開いていたのでそっとのぞくと、机に齧り付くような勢いで何かを書き付けている姉に出くわしたことがあった。その傍らには大判の本が詰まれて、それを代わる代わる開いてはまた手元の何かにペンを走らせていた。背中しか見えなかったが、相当切羽詰まっているようだった。俺に気付く様子など微塵もない。結局俺は声をかけることも出来ずに後ずさり、その場を後にした。その後もたまに部屋を覗くことはあったけれど、姉の背中はいつも机の前にペンや積まれた本と共に鎮座していた。そうやって姉は努力を重ねて進学したのだ。でも、俺にはその「努力をする才能」すら備わっていなかった。飽きっぽくて、姉がそれだけ頑張っている姿にも辟易して、馬鹿にして関わらないようにした。努力なんてかっこ悪いなんて見栄を張って、本当にかっこ悪いのは俺だと知っている。
 だからこれは罰なのだろう。高校三年生に上がって、雑誌でたまたま出会ったファッションに雷を打たれたような衝撃を受けた。気付いたら夢中でそのブランドについて調べていて、デザイナーが登場するイベントにも足を向ける有り様だった。何にも興味を持てない人間だと思い込んでいたけれど、興味のあることに出会っていなかっただけだったのだと思い知った。億劫だった進路相談を積極的に行うようになり、「ファッションについて学べる場所」をともかく調べまくった。幸い担任は喜んでくれて、専門学校や大学など様々調べてくれた。積み重ねた学力がなかったけど、AO入試など、学力が足らなくても入学できる方法や学校も見つけた。オープンキャンパスにも行った。
「本当に進学するの?」
「すぐにやめるとか言うんじゃないか?」
 今までの愚行が跳ね返ってきたのは、それを親に告げたときだった。親はもうすっかりやる気のない俺は進学しないものだと考えていたらしい。確かに、「卒業したらどうするの?」と何回か聞かれたときの適当な返事の中に「就職」とも言ったかもしれない。本当に耳半分だったから、自分の返した言葉すら覚えてなかったけど。飽きっぽい俺がファッションに興味を持ったのも一過性ではないか、本当に進学して続くのか……。今までの素行のせいで親からの信頼はだだ下がりで、俺は信用を無くしていた。更に親は専門学校の学費にも難色を示した。親からの信頼が厚い姉は本当に出来た娘で、国立大学に進学しただけでなく、給付型の学内奨学金も獲得していたらしい。その姉を基準にした親からすれば、俺に金を出すのは博打のようなものだと考えているのだ。
 本当に身から出た錆だ。姉を馬鹿にしてきた当時の俺の行いが俺の首を絞めている。姉のせいでという理不尽な考えも一瞬沸いたけれど、怒り以上に惨めさに打ちのめされる。それでも、ここまで強く願ったものを投げたしたくない。今からバイトして間に合うだろうか、でも本当にそれで暮らして行けるのか。

 自宅のリビング。テーブルを挟んで対面する俺と両親。
 逡巡する俺と困惑する両親の間の停滞した空気を、スパンッとリビングの扉を開ける音が切り裂く。
 姉だった。

 基本は家では部屋に引き籠りがちな、それでも優秀な姉かつ娘の唐突な登場に呆気にとられる俺と両親の間のテーブルに、前髪が風圧で浮く程度の速度で叩きつけれた冊子。俺と両親がそろって目を向ける。通帳だった。
「私が同人活動で貯めたお金。貸すから好きになさい」
 それだけ告げて、姉は身体を反転させてさっさとリビングから去っていった。その手はいつものように黒くすすけている。その潔い去り際を三人で見送って、再び通帳に目を落とす。おそるおそる、手を出したのは俺だった。
 そっと、テーブルの真ん中で通帳を開く。
「うっわ」
 思わずそんな声が出て来るほどには、ゼロが多い通帳だった。いつの間にこんな貯金をしたんだ、姉よ。そもそも同人とは何だ。その場にいる全員の疑問だったけど、それに加えて俺はそっと手を合わせた。無論、感謝でだ。

 次の春、俺は姉の『同人活動』とやらで貯めたお金で、無事に専門学校に進学することが出来たのだった。
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