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19・私は帰って来た!

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 ふと気づくと懐かしい天井が見えた気がした。



 毎日見ているはずなのだが、ここ数十年見ていないような感覚があるから不思議だ。そんな変な感覚にとらわれながら起き上がり、ただ何となく、最近買ったばかりの軍事雑誌の表紙を眺め、驚くことになった。



 そんなはずはないのである。間違いなくあり得なかった。



 私の記憶が確かなら、そこにあるべき表紙は青と黄色の国旗を描いた装甲車であったハズだったが、まるで別の物へと様変わりしているではないか。中をめくってもあの国旗やあの紛争に関する記事が消え去っている。

 この事で、あれが夢ではないんだということを直感し、すぐさまPCを起動して海戦ゲームの母港画面を確認してみることにした。



 やはりである。



 そこにある艦艇群はまさに、あの夢の通りになっているではないか。



 戦艦大和は艦首が記憶のそれよりも長く、副砲は連装であり、重巡洋艦は足柄をタイプシップとする三連装3基が存在し、トップエンドの重巡洋艦は見せ札であった三連装4基のアレである。軽巡洋艦も仁淀が存在し、最上は三連装4基である。



 駆逐艦はもはやいうに及ばずだな。



 そして空母についてはとみてみると、満賢君が見せに来たあれ等が実現しており、隼鷹型はあの姿で誕生し、その運用実績から量産中型空母として隼鷹型をベースとする雲龍型が量産され、中期以降の中核を成しているとの解説がある。

 もちろん、大鳳もあの形であるし、信濃もあの設計で空母として完成しているのには驚きだ。

 

 さて、こうなると気になるのが、歴史がどう変わったかである。つか、全くこの世界の記憶がないってどうなってんだろうか?藤本氏であったときは全く違和感なく理解が出来ていたというのにね?



 そんな訳で、PCで歴史を調べてみることにした。おっと、まずは藤本喜久雄氏についてか。



 すると、彼は1939年秋に亡くなっていた。そうか、満賢君に空母の図面を見せてもらった辺でもうやる事は無いと考えた事で憑依が解除され、延命されていた彼も亡くなったのか。



 彼の亡くなった後の歴史はどうなのかとみると、政治に違いは無かったらしく、1941年12月には対米開戦である。



 その後の流れも大きな違いはないんじゃないかな。レーダーが配備されているのにドーリットル爆撃は防げていない。

 どうやらこの頃は未だ敵味方識別装置が配備されておらず、味方と誤認してしまっていたらしい。そりゃあ、陸海軍が相互に飛行計画を周知しても居ないだろうからそうもなるよね。レーダーの意味が無いな。



 そして、ミッドウェーでも歴史は変わらず。



 その後の南方においても作戦自体が変わった訳ではないので歴史の違いはないんじゃないかな?海戦での結果に変化はあるようだけど、だからと言って戦局全体に影響が出る様なものではないってことか。



 1943年になると敵味方識別装置が配備され出して日本側でも航空管制が常識化しているらしい。更に44年になるとレーダーの効果もあってトラック空襲でかなり効果的な迎撃をやっていたり、マリアナ沖海戦では迎撃に成功していたりと、色々違いはある。



 そういえば、健太郎氏が開発していた雷電はどうなっただろうか?



 ということで、その雷電について検索すると、紡錘形の機体ではなく、液冷機の様な細身の機体に火星エンジンを搭載した、まさにFw190のような機体に変貌している。

 あの話、本当に実現したんだ。

 紡錘形を捨て去り、側方推力排気管としたことで諸々の問題解決が図れたらしく、あっさりと時速600km近い速度を出し、採用が早まったようである。

 この設計で一躍その名を高めた健太郎氏は続く十六試艦戦の開発も行い、マリアナに満賢君設計の雲龍型や大鳳と共に新型艦烈風を送り出している。

 要求仕様が十七試艦戦では無かったこともあって、完成に扱ぎつけたと言って良いのかもしれない。

 エンジンは18気筒1900馬力の歳星というヤツらしいが、知らん。火星の18気筒版らしいので、ハ42か?たぶん。



 火星以上にデカいエンジンを使いながら、艦戦として適度なサイズにまとめ上げられたソレは、英国のシーフューリーを彷彿とさせるではないか。

 高空域は苦手らしいが、ヘルキャットを上回る性能を持つ機体だったらしく、一方的敗戦であるはずのマリアナ沖海戦を乗り切ることに成功している。



 とは言っても米国の勢いは止まらず押し負けているため流れ自体は変わることなく進み、台湾沖航空戦でも打撃を与えているようだが、フィリピン来襲を止める力はなく、結局フィリピン近海での大海戦が発生している。



 マリアナでもそうだったが、必ずしも米軍の戦い方が良かった訳ではない。フィリピンでも機動部隊は吊り上げに食いついて無駄に艦載機を消耗しているし、どうやら一方的に狩れるはずだったスリガオ海峡ですら、不幸姉妹の高速戦艦部隊に翻弄される醜態をさらしている。だが、栗田ターンという規定事項だけは変わらず、レイテ上陸そのものを止めるには至っていないらしいが、かなりの善戦である。



 が、そこには裏方の大事な仕事が隠れている。



 掃討艦の登場からこのかた、海賊退治や漁業権益保護などに使われる警備隊の数は史実とは桁違いで、戦前の段階で松型駆逐艦の計画がスタートしていた。



 さらに、10年早く溶接主体のブロック工法が確立されている世界。たしかに米国の週刊空母には見劣りするが、掃討艦や二等駆逐艦の週刊化は達成できているようだし、戦時標準船の建造数も文字通りに桁が違う状況になっている。

 さらに、護衛空母の量産も実行されて、史実以上の戦力が完成していたらしい。



 そんな事もあってフィリピン戦頃でさえ、まだまだ日本の海上護衛は有効で、多くの陸軍部隊を無事に送り込める状況にあったらしい。

 最初にデンケンを装備したのが掃討艦であり、電波で敵を呼び寄せるという迷信から早くに脱却できていたので、護衛艦隊はその運用にも手馴れていた。そして、九六式57ミリ自動速射砲とトレードで提供された迫撃砲をベースにスキッドモドキを開発、九九式対潜六連装臼砲として採用されたソレは掃討艦や松型駆逐艦の主要装備となって活躍している様だ。挙句、掃討艦隊旗艦として配備された護衛空母が戦時に数を増やしたのならば、そりゃあ、ね?

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