鈍亀の軌跡

高鉢 健太

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5・鈍亀伝説の始まり

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 信濃防護を皮切りに、潜機型の活動が始まる事になったが、障害となったのはその航行能力であった。

 潜機型には2100馬力という大型電動機が搭載され、初期に建造された艦には2000個を超える蓄電池が搭載されていた。

 その扱いが難しいのは言うに及ばず、蓄電能力や寿命も思ったほどではない事が分かり、せっかくの高性能を生かす事が出来ずにいた。

 すでに開発が終了していた新型蓄電池はまずは潜水空母と言われる伊400型へ優先的に回されていたのでこの頃はまだ搭載できていなかった。

 そして、当初は主電動機のみで行動することとされていたが、実際に動かしてみると思いのほか航続距離が伸びず、巡航用電動機が必要であることが分かった。

 これは呂101型ではより顕著で、主電動機だけでの行動はより小型の波201型とさして変わらないとさえ言われるほどだった。

 さて、いきなり出て来た波201型だが、これは以前の第71号艦をプラッシュアップして440t型としてまとめ上げた潜機小型と呼ばれる潜水艦である。

 この潜水艦には旧型1200馬力電動機を改良した1500馬力電動機が搭載され、水中速力は14ノットであった。

 ここまで小型化してしまうと艦首がほぼ聴音機室となってしまうのだが、聴音機の下に45センチ魚雷発射管を4門並べることで攻撃力を確保している。

 45センチ魚雷は本来、航空魚雷として開発がスタートしたのだが、要求速力では音響装置が正常に作動しないことから開発は断念されたが、第71号艦クラスの小型潜水艦用として再スタートし、1944年に完成した。

 小型潜水艦用として開発されたので通常の魚雷が6~7mにも達するのに対し、全長は4mに抑えられ、炸薬量も150kgと非常に少なくなっている。重量も軽量で700kgしかない。

 小型潜水艦が装備して運用可能な作りであるため、威力は低く、大型艦を撃沈可能かどうかは疑わしかった。

 しかし、波201型には最適なサイズとあって発射菅4門と再装填装置まで開発され、8本の魚雷を搭載できるかなり強力な艦として仕上げる事が出来ている。

 呂101型についても波201型の運用実績を見て、1944年12月には45センチ魚雷6門、魚雷12本を搭載する乙型へと建造が移行した程だった。

 伊201型が主に太平洋へ乗り出すために10月以降、巡航用電動機を備え、蓄電池も伊400型と同じタイプへ移行し、電池数が約300個へと大幅に減少し、整備性が向上するとともに、懸案だった性能と寿命が大幅に引き上げられたことで、この改良型として完成した24隻の活躍が大いに期待されることになった。

 呂101型も改良型では伊201型同様の改正が行われ、航海能力が大幅に改善されたことで行動範囲が広がった。

 潜機大とも呼ばれる伊201型は1945年4月以降、太平洋で行動するようになるが、潜航中に捕捉、撃沈された艦はないと言われている。
 
 そして、信濃を防護して後は、艦の性能問題から行動が低調であったが、4月以後、改良型の完成後は次第に戦果を挙げる様になる。

 ただ、その戦果が大きく戦局に寄与するようなモノであったかと言うと、残念ながら、焼け石に水でしかなかった。

 そして、日本各地に機雷が投下されるようになると行動が著しく制限されるようになり、訓練部隊を中心に、その行動範囲が日本海に限られるようになっていく。

 そんな、1945年7月中旬、ソ連参戦と言う情報が伝わると、日本海にあった伊201型12隻、呂101型16隻、波201型28隻を中心とする80隻余りの潜水艦に対して沿海州やカムチャツカの監視という任務が与えられることになった。

 この時点でも大本営の多くの人員は懐疑的であったが、対ソ警戒を主張する面々によって半ば独断専行の形で潜水艦部隊へと発令されたものだった。

 そして、8月8日の宣戦布告を受けての行動は劇的なものだった。

 8月15日までにソ連潜水艦21隻を撃沈し、ウラジオストクとペトロパブロフスク・カムチャツキーは機雷封鎖されてしまっていた。

 ウラジオストクやペトロパブロフスクを出港しようとした艦隊や船団は触雷により港へと引き返し、掃海をしようにも、掃海に出向けば雷撃された。

 大本営は8月18日に戦闘停止命令を出し、ソ連軍は樺太、千島接収へと動き出したのだが、潜水艦による襲撃が止むことは無く、9月2日時点ですでに40隻ほどの潜水艦が消息不明であり、機雷封鎖を完全に打破すらできていなかった。当然だが、そんな状況で樺太や千島の接収など思うに任せず、降伏文書調印時点で千島には一歩たりとも踏み込めておらず、補給も増援も見込めない樺太でも一進一退の状態であった。

 8月18日以降も海上でのほぼ一方的な戦闘が続き、25日までに満州や樺太を占領しようとしていたソ連だが、樺太への増援も千島占領も目処が立たない状況の中で、朝鮮半島へと矛先を向け、米ソ合意とされた38度線を無視して南下を続ける。

 すぐに動けない米軍の体制から、米大統領は朝鮮半島のソ連占領を容認する代わりに、南樺太と千島の占領を拒否する姿勢を打ち出した。

 対岸でのその様な情勢をよそに、9月中に活動を停止した日本軍に代わって、南樺太や千島へも米軍が展開していく事になる。


 戦後、日本の兵器を調査した米国は潜機型の存在と音響誘導魚雷の存在に驚愕したのは言うまでもない。
 音響誘導魚雷に至っては、米国すらまだ少数しか生産されていなかったのだから尚更だろう。

 そして、調査を進める中で潜水艦によって40隻以上の潜水艦の撃沈、撃破の記録がある事にも驚いた。
 その頃、米英でようやく潜水艦による対潜戦という動きが始まったばかりだったからだ。

 当然の様に潜機型が大いに注目され、呂101型をモデルとする対潜潜水艦の計画すら行われている。

 そんな1950年6月。ソ連の指導の下で1948年に独立を宣言した朝鮮人民共和国であったが、民族派と共産派の対立が起り、とうとう内乱へと至ってしまう。

 さらに、米国側統治下にあった済州島に居を構えた大韓民国政府もそこへの参戦機会を窺い、翌年には南部島嶼への侵攻を開始して朝鮮動乱が本格化する。

 この朝鮮内戦を鎮圧しようとソ連が動き出したことで米国も俄かに警戒を強め、1953年には日本に新海軍発足を迫る事態となった。

 朝鮮内戦の平定には済州島勢力の遮断が必要な事は明白であり、そこには潜水艦が投入される可能性が高かった。

 それは、朝鮮軍による済州島封鎖に留まらず、ドイツの潜水艦技術を得たソ連が周辺で警戒する米軍の隙を突いて艦隊を攻撃してくる悪夢が付きまとっていた。

 その対処法は一つしかない。

 ドイツ潜水艦に伍する潜機型を有した日本海軍を復活させて対抗する。

 当時、日本では陸軍悪玉論が吹聴されていたのも好都合だった。

 こうして、日本の再軍備は海軍優先の歪な形での再出発となっていく。そこには軍嫌いの総理が地上で猛威を振るった憲兵を持たない海軍ならばと妥協したから成し得たという話もあったりするが、その話は多くの書籍が存在するので、そちらに譲るとしよう。

 この様にして、戦後の日本軍は海軍偏重と揶揄される形で発足し、今に至る事になる。
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