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4.鈍亀の初戦果
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1942年夏に新たに音響追尾魚雷を運用可能な潜水艦として開発が始まった潜機型は比較的早い段階でその開発、設計が纏まっている。
と言うのも、第71号艦の試験中にはさらに実用的な中型、ないし大型潜水艦についての検討が始められており、750t型や1200t型という、我々の良く知る潜水艦がすでにそこで検討されていた。
ただ、それら潜水艦には足らないものがあった。
主機となるディーゼルエンジンの出力がまるで追い付いていない。
それ以上に深刻だったのは最低でも16ノットを発揮するのに必要な2000馬力近い電動機が無いのである。
ただ、この問題は解決の糸口があった。
潜水艦とは関係ないが、水雷艇や水上艦の動力、或いは輸入が叶わなかった航空機用ディーゼルエンジンに近い寸法、出力を目標に、国内で開発が行われていた。
電動機についても大型潜水艦に水上機を積むことでより大型化した事で水中速力の低下が著しかった事への対応として、急速に発展を遂げる電装機器の技術を生かして高出力電動機の開発が始まっていたのである。
こうした動きが一定の成果を見せだした1942年に正式に開発が開始できたのは幸運と言って良いだろう。
当時、日本では水上での高速力を重視して高出力なディーゼルエンジンが潜水艦に搭載されていたのだが、それは潜機型に向いた機関では無かった。
そのディーゼルエンジンは複動機関と言って、ピストンの上下に燃焼室が存在する複雑な構造をしたエンジンであり、製造や整備が難しく信頼性も一般的なエンジンに比して低い物であった。
さらに、2ストロークであるため排圧が低く、水中性能重視型で主用されるシュノーケル運転にも適していなかった。下手をすれば潜水中に運転すれば排気管が浸水する恐れさえあった。
その為、信頼性や整備性に優れた単動型エンジンであること、排圧の高い4ストローク型であることが望ましく、新たに開発されていた正立V型16気筒エンジンが完成した事で、このエンジンを主機とすることになった。
他にこのエンジンを搭載した船舶としては魚雷艇が存在するが、魚雷艇には出力がやや低く、あまり評価されてはいない。
そして、電動機については当時最大であった1200馬力電動機を大幅に超える2100馬力電動機が完成間近であった。
1200t型ではこれを2基搭載して18ノットを目指し、750t型では1基搭載して16ノットを計画した。
動力部の目途が立てば後は順調に設計が進んでいったのだが、従来型潜水艦とはあまりにもかけ離れたモノとなっていく。
最大の違いは音響誘導装置から派生した聴音機である。
これまでの聴音機に比して巨大で、これを艦首上部に据えた事で艦首がマッコウクジラのような形状となった。
1200t型では大型聴音機が搭載されているが、750t型には大き過ぎた為に小型化した簡易型が搭載されている。
聴音機が大型化した事から魚雷発射艦の配置が圧迫され、1200t型で4門、750t型では2門しか魚雷発射管を装備できなくなってしまったが、艦内容積に余裕がある事から、駆逐艦の次発装填装置にヒントを得て、魚雷発射管直後に魚雷装填台を設けてそこに次弾を搭載することで素早い再装填によって発射菅の減少による攻撃力低下を補う事とされた。
艦首形状の劇的な変化、魚雷再装填装置の導入、高性能聴音機の搭載、新型射撃方位盤の搭載。
さらに、新たに潜水艦にも利用可能な溶接用高張力鋼が量産を開始した事から、その鋼材を採用しての量産性向上にも配慮する事となった。
そのような新機軸満載な設計ではあるが、すでに第71号艦の建造以後に多くが研究されていた事でもあり、1943年5月に設計が完了した時点では大きな不具合も見当たらず、すぐに建造が開始されることになった。
この時点で溶接用高張力鋼については他の潜水艦で利用が始まっていたので全く問題が無く、聴音機も試験的に搭載する潜水艦が存在したので性能は確認されていた。
この様な事前の試験に加え、量産性の高い構造であったことから完成には1年を要することなく1944年8月には1200t型1番艦である伊201潜水艦が竣工する。
そして、遅れて起工した750t型はさらに建造期間が短く、7月には呂101潜水艦が竣工している。
この2隻を持ってまずは性能確認が行われたが、その性能は従来の潜水艦とは隔絶していた。
速力に関しては、伊201が計画水中速力18ノットであったところ、19.2ノットを発揮した。呂101でも16ノットであったところ、16.7ノットを記録している。
こうして満足の行く水中速力を持ち、期待通りに音響誘導魚雷の運用も行う事が出来るようになった。
ただ、潜水艦は完成したモノの、これまでとは運用が違う事もあってその練成には時間を要し、10月までに伊201型が4隻、呂101型が5隻完成していたものの、レイテ沖海戦やその周辺での作戦に投入されることは無かった。
また、水中航行を基本とするという運用を嫌う艦長も存在し、さらに運用を難しくすることになった。
水中航行を嫌う根源的な理由は、第6号潜水艇事故が起因しているのは間違いないが、機構や仕様が違うと説明しても簡単に受け入れられるものではなかった。
その反面、運用を受け入れ、更には自己の考えを転換した艦長の中には、目覚ましい戦果を挙げる人物も現れる。
特に有名な事例は空母信濃を雷撃しようとしていたアーチャーフィッシュの撃破だろう。
アーチャーフィッシュに気付かれることなく追尾し、これを撃破する事に成功している。
ただ、音響誘導装置は正常に機能したモノの信管の機能不全で推進器や舵を破壊するにとどまり、撃沈出来ず、行動不能に陥ったところを信濃を護衛していた駆逐艦に降伏、拿捕されている。
と言うのも、第71号艦の試験中にはさらに実用的な中型、ないし大型潜水艦についての検討が始められており、750t型や1200t型という、我々の良く知る潜水艦がすでにそこで検討されていた。
ただ、それら潜水艦には足らないものがあった。
主機となるディーゼルエンジンの出力がまるで追い付いていない。
それ以上に深刻だったのは最低でも16ノットを発揮するのに必要な2000馬力近い電動機が無いのである。
ただ、この問題は解決の糸口があった。
潜水艦とは関係ないが、水雷艇や水上艦の動力、或いは輸入が叶わなかった航空機用ディーゼルエンジンに近い寸法、出力を目標に、国内で開発が行われていた。
電動機についても大型潜水艦に水上機を積むことでより大型化した事で水中速力の低下が著しかった事への対応として、急速に発展を遂げる電装機器の技術を生かして高出力電動機の開発が始まっていたのである。
こうした動きが一定の成果を見せだした1942年に正式に開発が開始できたのは幸運と言って良いだろう。
当時、日本では水上での高速力を重視して高出力なディーゼルエンジンが潜水艦に搭載されていたのだが、それは潜機型に向いた機関では無かった。
そのディーゼルエンジンは複動機関と言って、ピストンの上下に燃焼室が存在する複雑な構造をしたエンジンであり、製造や整備が難しく信頼性も一般的なエンジンに比して低い物であった。
さらに、2ストロークであるため排圧が低く、水中性能重視型で主用されるシュノーケル運転にも適していなかった。下手をすれば潜水中に運転すれば排気管が浸水する恐れさえあった。
その為、信頼性や整備性に優れた単動型エンジンであること、排圧の高い4ストローク型であることが望ましく、新たに開発されていた正立V型16気筒エンジンが完成した事で、このエンジンを主機とすることになった。
他にこのエンジンを搭載した船舶としては魚雷艇が存在するが、魚雷艇には出力がやや低く、あまり評価されてはいない。
そして、電動機については当時最大であった1200馬力電動機を大幅に超える2100馬力電動機が完成間近であった。
1200t型ではこれを2基搭載して18ノットを目指し、750t型では1基搭載して16ノットを計画した。
動力部の目途が立てば後は順調に設計が進んでいったのだが、従来型潜水艦とはあまりにもかけ離れたモノとなっていく。
最大の違いは音響誘導装置から派生した聴音機である。
これまでの聴音機に比して巨大で、これを艦首上部に据えた事で艦首がマッコウクジラのような形状となった。
1200t型では大型聴音機が搭載されているが、750t型には大き過ぎた為に小型化した簡易型が搭載されている。
聴音機が大型化した事から魚雷発射艦の配置が圧迫され、1200t型で4門、750t型では2門しか魚雷発射管を装備できなくなってしまったが、艦内容積に余裕がある事から、駆逐艦の次発装填装置にヒントを得て、魚雷発射管直後に魚雷装填台を設けてそこに次弾を搭載することで素早い再装填によって発射菅の減少による攻撃力低下を補う事とされた。
艦首形状の劇的な変化、魚雷再装填装置の導入、高性能聴音機の搭載、新型射撃方位盤の搭載。
さらに、新たに潜水艦にも利用可能な溶接用高張力鋼が量産を開始した事から、その鋼材を採用しての量産性向上にも配慮する事となった。
そのような新機軸満載な設計ではあるが、すでに第71号艦の建造以後に多くが研究されていた事でもあり、1943年5月に設計が完了した時点では大きな不具合も見当たらず、すぐに建造が開始されることになった。
この時点で溶接用高張力鋼については他の潜水艦で利用が始まっていたので全く問題が無く、聴音機も試験的に搭載する潜水艦が存在したので性能は確認されていた。
この様な事前の試験に加え、量産性の高い構造であったことから完成には1年を要することなく1944年8月には1200t型1番艦である伊201潜水艦が竣工する。
そして、遅れて起工した750t型はさらに建造期間が短く、7月には呂101潜水艦が竣工している。
この2隻を持ってまずは性能確認が行われたが、その性能は従来の潜水艦とは隔絶していた。
速力に関しては、伊201が計画水中速力18ノットであったところ、19.2ノットを発揮した。呂101でも16ノットであったところ、16.7ノットを記録している。
こうして満足の行く水中速力を持ち、期待通りに音響誘導魚雷の運用も行う事が出来るようになった。
ただ、潜水艦は完成したモノの、これまでとは運用が違う事もあってその練成には時間を要し、10月までに伊201型が4隻、呂101型が5隻完成していたものの、レイテ沖海戦やその周辺での作戦に投入されることは無かった。
また、水中航行を基本とするという運用を嫌う艦長も存在し、さらに運用を難しくすることになった。
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その反面、運用を受け入れ、更には自己の考えを転換した艦長の中には、目覚ましい戦果を挙げる人物も現れる。
特に有名な事例は空母信濃を雷撃しようとしていたアーチャーフィッシュの撃破だろう。
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ただ、音響誘導装置は正常に機能したモノの信管の機能不全で推進器や舵を破壊するにとどまり、撃沈出来ず、行動不能に陥ったところを信濃を護衛していた駆逐艦に降伏、拿捕されている。
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