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3・思考の転換によって生まれた新たな鈍亀
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第71号艦は計画速力を達成できずに終わったものの、A標的から受け継がれた紡錘型船体と水中翼型潜舵は良好な性能を発揮する事となった。
船体が250tと大型化した事で53センチ魚雷の運用も可能となり、2門の発射管と4本の魚雷を搭載する事が可能となったが、あくまで試験艦にとどまり、艦籍に編入されることなく2年の試験を終えた後に解体されている。
この頃、戦争を見越して戦時建艦計画が模索されていたが、そこに水中機動性の高い潜水艦の計画は含まれていなかった。
当時の日本が建造、計画していた潜水艦は広大な太平洋を駆けまわれる長大な航続力を持った大型潜水艦が主体であった。
その為、水中性能に特化した水中機動型が顧みられることは無かった。
なにせ、水中性能を重視するあまり、水上航行能力は巡航速度が10ノット程度でしかなく、1000tクラスの大型潜水艦として計画した場合、その船体に見合う電動機も存在していなかった。
その為、開戦前の段階においては継続した研究のみが行われている状態だった。
それが戦時中に一転、重要艦型として浮上してくる経緯については、他の要素についても説明しなければならないだろう。
さて、水中機動潜水艇を共同開発していた魚雷部であったが、酸素魚雷開発という新たな目玉に集中するために潜水艇開発から離れていった。
この時、人間魚雷と共に出されていたアイデアに音響誘導というモノがあった。
それは潜水艦の装備品である聴音機の事と理解され、潜望鏡に頼らず聴音機の情報のみで射撃諸元を算出できる音響射撃方位盤開発というモノが潜水艦部で模索されていた。
しかし、ふとしたことから音響方向を特定して舵を操作できるならばこの機構を用いて魚雷を操縦して命中させられるのではないかという考えに至る事になった。
元からそのようなアイデアであったのだが、そのアイデアを再発見したのは1936年の事であった。
当時、酸素魚雷も一応形になり、その長大な射程に皆が満足したが、射程が伸びるという事は、普通に考えてそれだけ命中が難しくなることを意味していた。
もし、何らかの方法で魚雷を操縦出来るのであれば、より確実な命中が期待できるのは言うに及ばない。
そうして、音響誘導装置が魚雷部へと正式に提案されることになった。
しかし、魚雷部だけで開発できるわけではなく、電装部も加わっての新たな開発がスタートする。
そこへ横槍を入れたのは、当初、音響射撃方位盤という装置の開発を実際に行っていた潜水艦部であった。
彼らも未だ完成していない装置を何とかモノにしたかった。
そして、射撃方位盤と魚雷を上手く組み合わせることでより精度の高い命中が期待できると説いたのである。
こうして始まった共同開発は当初は何の成果も出すことは無かったが、音波探信儀の発想を電波に置き換えた電波探信儀の開発という横道に逸れた開発が新たに加わり、余計な混乱を招くのだが、音と潜望鏡しか目標を探す方法が無かった潜水艦にとって、電波という新たな手段は魅力的であった。
水上艦であれば四六時中電波を出すのは敵に位置を知らせることになるのだが、潜水艦において短時間、索敵や測的にのみ用いるのであれば問題は無いと考えられた。
このため、電装部でも潜水艦装備に特化した電波測的儀としてその開発をはじめ、1940年には精度の高い距離の測定を可能とする機器の開発に成功する。
この頃、海軍や陸軍ではいくつかの大きな技術的進展があり、溶接技術の飛躍的向上や電装機器の信頼性向上が見られた時期でもあった。
そうした事もあり、音響誘導装置も壁を乗り越え開発が前進するようになる。その成果は新たな射撃方位盤にも反映されていく。
こうして1941年には音響誘導魚雷の試作品が完成したのだが、大きな問題が発覚した。
なんと、音響誘導装置が魚雷の発する音によって正常に機能しなかったのである。
その為、エンジン航走魚雷ではなく、電動航走魚雷が急遽試作され、そこに音響誘導装置を設置したが、やはりうまく機能しなかった。
この間、音響誘導装置の技術を利用した新型聴音機が開発されたのだが、聴音能力が飛躍的に向上する半面、搭載艦の騒音もより拾いやすくなったために船体側の静穏化や低速航行が必要になってしまった。
つまりはそう言う事だった。
こうして、音響誘導装置を機能させるために魚雷の整流を徹底し、速度を落としてみたところ、23ノットでようやく機能させることに成功した。
そして、更なる問題が起こる。
そこまで雷速を落とすと今度は発射艦の放射音を追尾してしまう事になったのである。
このため、音響誘導装置の起動を十分発射艦から離れた位置で行うように設定する事となり、音響誘導魚雷を扱う潜水艦には新型聴音機や音響射撃方位盤の搭載も行うため徹底した静粛化までが求められることになった。
1942年当時建造されていた潜水艦は水上速力を重視する潜水艦であり、備砲を備え、水上航行に適した船形を施されていた。
水中航行においてはこの事が水中雑音を増大させている事は明白で、音響誘導魚雷を運用するために水中放射雑音の低い潜水艦の必要が生じるのは明白であった。
こうした検討が行われる頃になると、戦局の変化から長大な航続力と言う要求は低下し、太平洋中部の島嶼で防御戦闘に投入可能な潜水艦が求められるようになる。
その様な戦闘の場合、必ずしも水上を比較的高速で長距離進出するというこれまでの作戦要求を必要としない。
事前に島嶼部に展開し、島嶼近傍で敵を迎え撃つという戦法が前提とされた。
その様な作戦であれば水上航行能力が低い水中機動型でも能力の発揮が可能だった。艦首が従来艦のような水中雑音を盛大にまき散らす構造ではないし水中抵抗である備砲も搭載しない。
こうして1942年夏頃に潜水機動型、通称、潜機の開発が始まる。
船体が250tと大型化した事で53センチ魚雷の運用も可能となり、2門の発射管と4本の魚雷を搭載する事が可能となったが、あくまで試験艦にとどまり、艦籍に編入されることなく2年の試験を終えた後に解体されている。
この頃、戦争を見越して戦時建艦計画が模索されていたが、そこに水中機動性の高い潜水艦の計画は含まれていなかった。
当時の日本が建造、計画していた潜水艦は広大な太平洋を駆けまわれる長大な航続力を持った大型潜水艦が主体であった。
その為、水中性能に特化した水中機動型が顧みられることは無かった。
なにせ、水中性能を重視するあまり、水上航行能力は巡航速度が10ノット程度でしかなく、1000tクラスの大型潜水艦として計画した場合、その船体に見合う電動機も存在していなかった。
その為、開戦前の段階においては継続した研究のみが行われている状態だった。
それが戦時中に一転、重要艦型として浮上してくる経緯については、他の要素についても説明しなければならないだろう。
さて、水中機動潜水艇を共同開発していた魚雷部であったが、酸素魚雷開発という新たな目玉に集中するために潜水艇開発から離れていった。
この時、人間魚雷と共に出されていたアイデアに音響誘導というモノがあった。
それは潜水艦の装備品である聴音機の事と理解され、潜望鏡に頼らず聴音機の情報のみで射撃諸元を算出できる音響射撃方位盤開発というモノが潜水艦部で模索されていた。
しかし、ふとしたことから音響方向を特定して舵を操作できるならばこの機構を用いて魚雷を操縦して命中させられるのではないかという考えに至る事になった。
元からそのようなアイデアであったのだが、そのアイデアを再発見したのは1936年の事であった。
当時、酸素魚雷も一応形になり、その長大な射程に皆が満足したが、射程が伸びるという事は、普通に考えてそれだけ命中が難しくなることを意味していた。
もし、何らかの方法で魚雷を操縦出来るのであれば、より確実な命中が期待できるのは言うに及ばない。
そうして、音響誘導装置が魚雷部へと正式に提案されることになった。
しかし、魚雷部だけで開発できるわけではなく、電装部も加わっての新たな開発がスタートする。
そこへ横槍を入れたのは、当初、音響射撃方位盤という装置の開発を実際に行っていた潜水艦部であった。
彼らも未だ完成していない装置を何とかモノにしたかった。
そして、射撃方位盤と魚雷を上手く組み合わせることでより精度の高い命中が期待できると説いたのである。
こうして始まった共同開発は当初は何の成果も出すことは無かったが、音波探信儀の発想を電波に置き換えた電波探信儀の開発という横道に逸れた開発が新たに加わり、余計な混乱を招くのだが、音と潜望鏡しか目標を探す方法が無かった潜水艦にとって、電波という新たな手段は魅力的であった。
水上艦であれば四六時中電波を出すのは敵に位置を知らせることになるのだが、潜水艦において短時間、索敵や測的にのみ用いるのであれば問題は無いと考えられた。
このため、電装部でも潜水艦装備に特化した電波測的儀としてその開発をはじめ、1940年には精度の高い距離の測定を可能とする機器の開発に成功する。
この頃、海軍や陸軍ではいくつかの大きな技術的進展があり、溶接技術の飛躍的向上や電装機器の信頼性向上が見られた時期でもあった。
そうした事もあり、音響誘導装置も壁を乗り越え開発が前進するようになる。その成果は新たな射撃方位盤にも反映されていく。
こうして1941年には音響誘導魚雷の試作品が完成したのだが、大きな問題が発覚した。
なんと、音響誘導装置が魚雷の発する音によって正常に機能しなかったのである。
その為、エンジン航走魚雷ではなく、電動航走魚雷が急遽試作され、そこに音響誘導装置を設置したが、やはりうまく機能しなかった。
この間、音響誘導装置の技術を利用した新型聴音機が開発されたのだが、聴音能力が飛躍的に向上する半面、搭載艦の騒音もより拾いやすくなったために船体側の静穏化や低速航行が必要になってしまった。
つまりはそう言う事だった。
こうして、音響誘導装置を機能させるために魚雷の整流を徹底し、速度を落としてみたところ、23ノットでようやく機能させることに成功した。
そして、更なる問題が起こる。
そこまで雷速を落とすと今度は発射艦の放射音を追尾してしまう事になったのである。
このため、音響誘導装置の起動を十分発射艦から離れた位置で行うように設定する事となり、音響誘導魚雷を扱う潜水艦には新型聴音機や音響射撃方位盤の搭載も行うため徹底した静粛化までが求められることになった。
1942年当時建造されていた潜水艦は水上速力を重視する潜水艦であり、備砲を備え、水上航行に適した船形を施されていた。
水中航行においてはこの事が水中雑音を増大させている事は明白で、音響誘導魚雷を運用するために水中放射雑音の低い潜水艦の必要が生じるのは明白であった。
こうした検討が行われる頃になると、戦局の変化から長大な航続力と言う要求は低下し、太平洋中部の島嶼で防御戦闘に投入可能な潜水艦が求められるようになる。
その様な戦闘の場合、必ずしも水上を比較的高速で長距離進出するというこれまでの作戦要求を必要としない。
事前に島嶼部に展開し、島嶼近傍で敵を迎え撃つという戦法が前提とされた。
その様な作戦であれば水上航行能力が低い水中機動型でも能力の発揮が可能だった。艦首が従来艦のような水中雑音を盛大にまき散らす構造ではないし水中抵抗である備砲も搭載しない。
こうして1942年夏頃に潜水機動型、通称、潜機の開発が始まる。
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