三賢人の日本史

高鉢 健太

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 内戦とならずに事を収めた長州征伐であったが、下関襲撃によって合意された領土割譲を幕府に否定され、賠償金すら得る手立てを無くしたロシアは、長州征伐が平和裏に終結するとすぐさま長州へと交渉団を派遣した。

 徹底抗戦を叫ぶ者たちを鎮圧した長州藩庁は、ロシア交渉団を拒否や攻撃する事なく迎え入れて席に着いたのだが、交渉団の口から飛び出した話に飛び上がる事となる。

 交渉団曰く、交渉を引き取った幕府が事もあろうに全てを拒否して長州藩へと丸投げしたというのである。
 交渉団の言が確かなら、先の降伏内容は反故にされており、ロシアとしては長州と再戦ないしは再交渉が必要だとし、再度彦島の割譲や多額の賠償金を提示し、藩内で意見集約してくれと迫る。帰り際、「幕府は宛にならん、どうせ全てを拒否するだろう」と添え、この件が幕府に伝わることを避けている。

 この行動はフランスと結託して行われており、長州が混乱している最中へと、今度はフランス交渉団がやって来てロシア交渉団と同じ様な話を突き付ける。
 ただし、ロシアほど強硬な姿勢は見せず、下関租借は取り下げるし、賠償金の金額如何では、ロシアとの交渉も介入して長州に有益な条件を整えると言い添える事を忘れなかった。
 もちろん、「もはや幕府は宛にならん」と吐き捨てて帰ったのは当然である。

 こうして再び国難を抱えた長州は幕府への怨嗟を強め、口先で長州の重臣を処断させた態度を憎むようになる。
 この頃には多くの有能な人士を攘夷失敗や内乱により失っていた長州では、ロシアやフランスの来訪で冷静に状況分析する者が居なくなり、極端な反幕府路線へと急旋回していく事になった。

 その原因は三カ国艦隊の襲来や幕府による長州征伐だけではなく、もっと根本的な尊皇攘夷思想にもあった。

 この頃の長州では、もはや幕府への忠義は消え失せ、忠義を示すべき対象は天皇であるという考えが席巻する状況だったが、これは何も長州に限った話ではない。
 そもそも、禁門の乱に際して長州排除を孝明天皇が命じたとする話を信じておらず、幕府側に脅されていたというのが長州での認識となっていた。

 そうなった理由は徳川斉昭にある。

 斉昭は1860年、小栗との会談後、その主張を攘夷から大攘夷へと大きく変えた。
 大攘夷とは、簡単に言えば殖産興業による富国強兵路線であり、とりも直さす異国との通商を認めるものとなっていた。

 斉昭は柔軟な思考の持ち主で、攘夷を訴えながらもその実行に必要な技術は異国からも採り入れる事を否定しておらず、洋式船建造を行い、洋式兵法をも採り入れていた。
 そんな斉昭は小栗との会談により、自らが攘夷に抱いていた違和感が何かを突き止め、その解決方法にたどり着く事となった、

 水戸藩、かの水戸光圀公が編纂を指揮した大日本史は有名であり、もちろん斉昭も触れている。
 大日本史編纂に際して様々な文献が水戸藩に積み上げられており、その史料を紐解けば、家康が海外交易を行い、家臣に異人が存在した事も記されていた。

 こうした事が斉昭に対して攘夷への違和感を持たせる事に繋がっていた訳だが、小栗との会談でこの違和感と史料が繫がり、富国強兵という考えへと傾倒させる事となる。

 ここまでであれば多くの大名や武士、学者なども到達しているのだが、斉昭は更に踏み込んだ考えを持つようになる。

 そう、天皇神化論である。

 斉昭がまず注目したのは、昨今広まる尊皇運動と禁中並公家諸法度の在り方であった。

 尊皇ならばどうして神君家康公は禁裏を縛る様な法度を定めたのか?

 そこには明確な史料は存在せず、大凡推測と想像で補うしかなかった。
 困り果てた斉昭は欧州の歴史も探り、参考になるものは無いか調べている。

 そこである事実に気付く。

 欧州諸侯も戦国日本の様に各々が領地を巡る争いを行っているが、キリスト教についてはローマに座す教皇を崇めているではないかと。

 確かにいくつかの宗派に分かれて全てが全てではなかったが、現在(1860年代)に至っても教皇打倒や排除などの姿勢を示す者は居ない。

 日本に視点を移して考えると、源氏や平氏が実権を握る様になった鎌倉以降、特に徳川の世においては、皇室に実権などなく、勅許問題の様にワザワザ朝廷に判断を委ねる行為が幕府を揺るがしている様に、それこそ神君家康公の「祖法」に背く行為であると思い至る。

 それらを論理的に組み上げた斉昭は、先ずは側にいる島津斉彬の説得を試み賛同を得ると、諸大名や旗本に対してもその考えを説いて回る様になった。

 多くの者ははじめは驚くが、「通商による殖産興業こそ『祖法』である」との考えを受け入れ、法度や歴史から、天皇は神にして崇め奉る存在であると同時に、常世の雑事に御心を煩わせてはならないという考えにも頷く者が増えていく。

 斉昭からこの話を聞かされた小栗は、政策としてその考えを実現させる事を約している。

 もちろん、これは幕府ありきの考え方であり、将軍家茂上洛に際しても、朝廷に対し同じような説法を行い、次第に孝明天皇もその考えに賛同するようになっていた。孝明天皇自身、戦国期の京に南蛮寺教会が置かれた事など知らなかったのだから。しかし、反幕府の姿勢を鮮明にしだした長州には受け入れられず、逆に激高して幕府こそ朝敵と叫ぶ始末であった。

 もう一国、完全に藩内分裂の事態が進行していた薩摩においても、斉彬の支持する天皇神化論など久光にとっては論外であり、事あるごとに批判している。
 ただ、暗殺を恐れて京から帯同している大久保利通など僅かな手勢以外と親しく接しようとしない久光の態度は、いくら否定しても斉彬暗殺未遂の主犯が自分だと言っているようなモノなのだから、有能な藩士が離反するのも仕方がない。更に反幕府の姿勢を鮮明にしだすと藩主である息子を家茂の偏諱である茂の字を改めさせ、武勇名高い祖先の名前である豊久へと変えさせる。この事で九州諸藩は薩摩に九州制覇の野望アリと警戒感を持たれ、孤立の道へと突き落とすことになってしまった。

 そんな久光にもフランスは近付き、長州と組んではどうかと囁いた。
 孤立化しつつあった久光も渡りに船と話に乗って薩長は手を結ぶ道へと踏み出していった。
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