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井伊直弼の政治はまさに独裁と言って良いものだった。
阿部らが作り上げた雄藩譜代による合議制を否定し、自らがすべてを執り行う姿勢を見せ、条約の勅許を強要し、後嗣問題にも深く介入していった。
こうして開国派と攘夷派の対立、後嗣問題での一橋派と南紀派の対立が複雑に絡み合った状態だった。
ただ、勅許問題は当時の開国派と攘夷派で大きくその解釈が異なる部分があり、開国派は孝明天皇に言いより異人嫌悪を利用して公家や攘夷派が上手く操っているというものであり、攘夷派は天皇の真ある意志であるとしていた。
後嗣問題は阿部が老中在任中から一橋慶喜をもしもの時の後嗣とする旨を家慶から伝えられており、家定の後は慶喜が継ぐことが一橋派内では常識であった。
しかし、家慶は公式に家定後嗣として慶喜を指名することなく、阿部や斉昭らも書面等でその旨を遺す事を勧めてはいなかった。
こうした事から南紀派は斉昭や一橋派の勝手な言いがかりであるとして慶福を後嗣にするよう主張していた。
後嗣問題は南紀派が井伊直弼を大老に据えて一橋派の追い落としを画策、家慶の名で慶福を後嗣にする事が発表されると井伊は不時途上などの理由で一橋派の主だった面々を蟄居、謹慎とし、政変の幕が開くこととなった。
こうして桜田門外の変までに多くの者が投獄や処罰を受け、それまでの殖産興業政策も停滞する事となる。
井伊は大老就任に際して開国を主張したものの、実際に彼が行ったのは産業振興の妨害に過ぎず、主に後嗣勅書という宮廷闘争として行われた朝廷工作を条約勅許という政治問題へのすり替えだった。
この騒動に際して井伊の行動に憤慨して兵を動かそうとした島津斉彬が出兵前に国元で倒れ、一時重体となる。しかしその後、病身をおして江戸へ療養のために赴き、薩摩藩邸ではなく水戸藩邸へと向かっていた。当時はなぜそのような事をしたのか分からなかったが、弟久光とのお家騒動による暗殺未遂であり、暗殺を逃れるために水戸藩邸へ庇護を求めたものであった。
そうした混乱の中で帰国した小栗だったが、井伊暗殺によって復権していた斉昭へと談判を試み、その後の進む道を定めていった。
小栗達使節団一行を左遷することなく平穏に受け入れた幕府の中で、まずは平静を装い、加増を受けて外国奉行の職に就いている。
外国奉行に就いた小栗は早々にポサドニック号事件の対応を担う事になる。
対馬に来航したロシア軍艦ポサドニック号は1861年2月、難破を理由に対馬藩に対して修理に必要な資材を要求し、要求を拒否されると3月には無断で上陸して修理設備の建設を始めている。更に占拠した土地の租借を対馬藩に要求し、4月には不法に動き回り制止する対馬藩の警備兵を射殺、拉致してさらには村を襲って略奪まで行っている。
こうした事態の報を受けた幕府はすぐさまロシア総領事にポサトニック号の退去を要求するが、外国奉行となった小栗はその指示に不満を覚え、対馬へ有力な艦隊の派遣と自身が全権をもってロシア総領事と外交交渉を行う事を進言した。
幕府内において斉昭の後ろ盾がある事は知られており、斉昭の介入を恐れた老中は進言を容れて事態の解決を小栗に任せることとした。
ロシア総領事館がある函館へと向かった小栗は事前に斉昭に会い、樺太義兵団の兵の助力を依頼し、義兵団300人と共に総領事館へと赴いている。
軍艦で乗り付けた上にロシアにとっては良く見知った難敵まで従えた小栗の示威行動に対してはじめは気丈に振舞った総領事ではあったが、対馬での損害の弁済として賠償金だけでなく千島の島々を求められ、樺太が今後永続的に日本領である旨の最終的な確認を要求され、受け入れない場合は開戦已む無しと伝えられては拒否することは出来なかった。
この時、小栗自身にその意図は無かったが、ロシア総領事は後ろにイギリスが居るものと固く信じて疑わず、開戦となった場合はイギリス軍が参戦してきて北京条約で得た沿海州が危険にさらされてしまうと考えた。
客観的に見ると一笑に付すような妄想に過ぎないのだが、当時の情勢やイギリスの力を考えれば、笑いごとではなく、十分あり得る話であった。そこにカムチャツカで活躍した日本軍が加わってしまえば、未だ脆弱な沿海州のロシア軍が持つとはとても楽観できるものでは無かった。
こうして半年に及んだ対馬での占拠事件は外交的に解決を見、小栗の譲歩によって賠償金の減額や千島の割譲は取り下げられたが樺太の領有は最終的な確認がなされることとなった。
この成果によって小栗は加増される事となる。
さらに小栗はアメリカ南北戦争に目を付け、国友閂筒への移行で生産余剰となっていた久米筒の輸出も画策、一丁でも武器が欲しい南軍に対してすでに旧式化していた先込め式パーカッション銃である国友筒ともども輸出する事に成功している。
この輸出契約を機にそれまでの家内制の延長であった製鉄事業の統合し、石川島や浦賀の造船所の合理化や更なる近代化、平賀塾を直轄官営として蒸気機関や内燃機関の開発製造専業とする事などを提案、平賀塾から分離した製鉄、鋳造部門は湯島大砲製造所と統合した新たな造兵廠の建設にも着手する事になる。直轄官営とされたは発動機部門は後に民営化されて平賀発動機となる。
さらに南北戦争で綿花が不足する事を見込んでイギリスと協力して国内に本格的な工場である製糸場建設も始めることになった。
阿部らが作り上げた雄藩譜代による合議制を否定し、自らがすべてを執り行う姿勢を見せ、条約の勅許を強要し、後嗣問題にも深く介入していった。
こうして開国派と攘夷派の対立、後嗣問題での一橋派と南紀派の対立が複雑に絡み合った状態だった。
ただ、勅許問題は当時の開国派と攘夷派で大きくその解釈が異なる部分があり、開国派は孝明天皇に言いより異人嫌悪を利用して公家や攘夷派が上手く操っているというものであり、攘夷派は天皇の真ある意志であるとしていた。
後嗣問題は阿部が老中在任中から一橋慶喜をもしもの時の後嗣とする旨を家慶から伝えられており、家定の後は慶喜が継ぐことが一橋派内では常識であった。
しかし、家慶は公式に家定後嗣として慶喜を指名することなく、阿部や斉昭らも書面等でその旨を遺す事を勧めてはいなかった。
こうした事から南紀派は斉昭や一橋派の勝手な言いがかりであるとして慶福を後嗣にするよう主張していた。
後嗣問題は南紀派が井伊直弼を大老に据えて一橋派の追い落としを画策、家慶の名で慶福を後嗣にする事が発表されると井伊は不時途上などの理由で一橋派の主だった面々を蟄居、謹慎とし、政変の幕が開くこととなった。
こうして桜田門外の変までに多くの者が投獄や処罰を受け、それまでの殖産興業政策も停滞する事となる。
井伊は大老就任に際して開国を主張したものの、実際に彼が行ったのは産業振興の妨害に過ぎず、主に後嗣勅書という宮廷闘争として行われた朝廷工作を条約勅許という政治問題へのすり替えだった。
この騒動に際して井伊の行動に憤慨して兵を動かそうとした島津斉彬が出兵前に国元で倒れ、一時重体となる。しかしその後、病身をおして江戸へ療養のために赴き、薩摩藩邸ではなく水戸藩邸へと向かっていた。当時はなぜそのような事をしたのか分からなかったが、弟久光とのお家騒動による暗殺未遂であり、暗殺を逃れるために水戸藩邸へ庇護を求めたものであった。
そうした混乱の中で帰国した小栗だったが、井伊暗殺によって復権していた斉昭へと談判を試み、その後の進む道を定めていった。
小栗達使節団一行を左遷することなく平穏に受け入れた幕府の中で、まずは平静を装い、加増を受けて外国奉行の職に就いている。
外国奉行に就いた小栗は早々にポサドニック号事件の対応を担う事になる。
対馬に来航したロシア軍艦ポサドニック号は1861年2月、難破を理由に対馬藩に対して修理に必要な資材を要求し、要求を拒否されると3月には無断で上陸して修理設備の建設を始めている。更に占拠した土地の租借を対馬藩に要求し、4月には不法に動き回り制止する対馬藩の警備兵を射殺、拉致してさらには村を襲って略奪まで行っている。
こうした事態の報を受けた幕府はすぐさまロシア総領事にポサトニック号の退去を要求するが、外国奉行となった小栗はその指示に不満を覚え、対馬へ有力な艦隊の派遣と自身が全権をもってロシア総領事と外交交渉を行う事を進言した。
幕府内において斉昭の後ろ盾がある事は知られており、斉昭の介入を恐れた老中は進言を容れて事態の解決を小栗に任せることとした。
ロシア総領事館がある函館へと向かった小栗は事前に斉昭に会い、樺太義兵団の兵の助力を依頼し、義兵団300人と共に総領事館へと赴いている。
軍艦で乗り付けた上にロシアにとっては良く見知った難敵まで従えた小栗の示威行動に対してはじめは気丈に振舞った総領事ではあったが、対馬での損害の弁済として賠償金だけでなく千島の島々を求められ、樺太が今後永続的に日本領である旨の最終的な確認を要求され、受け入れない場合は開戦已む無しと伝えられては拒否することは出来なかった。
この時、小栗自身にその意図は無かったが、ロシア総領事は後ろにイギリスが居るものと固く信じて疑わず、開戦となった場合はイギリス軍が参戦してきて北京条約で得た沿海州が危険にさらされてしまうと考えた。
客観的に見ると一笑に付すような妄想に過ぎないのだが、当時の情勢やイギリスの力を考えれば、笑いごとではなく、十分あり得る話であった。そこにカムチャツカで活躍した日本軍が加わってしまえば、未だ脆弱な沿海州のロシア軍が持つとはとても楽観できるものでは無かった。
こうして半年に及んだ対馬での占拠事件は外交的に解決を見、小栗の譲歩によって賠償金の減額や千島の割譲は取り下げられたが樺太の領有は最終的な確認がなされることとなった。
この成果によって小栗は加増される事となる。
さらに小栗はアメリカ南北戦争に目を付け、国友閂筒への移行で生産余剰となっていた久米筒の輸出も画策、一丁でも武器が欲しい南軍に対してすでに旧式化していた先込め式パーカッション銃である国友筒ともども輸出する事に成功している。
この輸出契約を機にそれまでの家内制の延長であった製鉄事業の統合し、石川島や浦賀の造船所の合理化や更なる近代化、平賀塾を直轄官営として蒸気機関や内燃機関の開発製造専業とする事などを提案、平賀塾から分離した製鉄、鋳造部門は湯島大砲製造所と統合した新たな造兵廠の建設にも着手する事になる。直轄官営とされたは発動機部門は後に民営化されて平賀発動機となる。
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