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100、初めての人
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「では、行ってくるよ。後のことは、よろしく頼む」
「はい、おまかせください。いってらっしゃいませ」
「ああ、任せたよ」
有休を取り、一日休んだところで、俺のやるべき仕事は変わらない。
今日は出張手配などのイレギュラーもなかったため、授業へと出かけていく教授を見送る。
去り際に、ぽんぽんと肩を叩かれたが、嫌な気持ちにはならなかった。
ただただ任せてもらえた、という充足感に満たされる。
「任されて嬉しいなんて、初めてだな」
なんだか、ものすごくいい職場になった気がする。
まさかここまで、きちんと心からいってらっしゃいと御前崎教授を送り出せる日がくるとは思わなかった。
俺は、俺に与えられた仕事をこなしていく。
いつもの通り、画像を加工し、データベースに登録していく作業だ。
だが、ひとつだけ、いつもと違うことがある。
【ふむふむ、これがユウが仕事をしているという職場か】
床の上でぽよぽよと跳ねているのは、俺についてきたスライムの教授だ。
大学のキャンパスに入る際は、誰かに見つからないよう念のためと以前候補に上がっていた俺のパンツに擬態するという手段を使って、文字通り俺に付いてきた。
御前崎教授から言われた通り、ドアに鍵をかけたあと、声をかけて離れてもらったが、研究室という限られた区間であっても初めて見る部屋だからなのか、興味深く観察しているようだ。
スライムには、明確な目というものがないから、あくまでも見ているような気がする程度の雰囲気的なものでしかないが。
「そのへんのものに、勝手に触らないでくれよ」
【わかっているよ。ユウの邪魔をするつもりはないからね。大人しく見学をしているだけさ】
職場見学といっても、大学の職員ではあるものの本館での勤務は全くしていない俺の職場と言えば、御前崎教授の研究室ということになる。
そういう意味では、ここから出ない限り安全だと言えるだろう。
外に出なければ、誰かに見つかることもないだろうからな。
御前崎教授に用事がある人間は、基本的にきちんとアポイントメントを取ってからくるので、突撃される心配もしなくていい。
御前崎教授の研究対象が異世界由来の言葉なので、何かと出張が多いから自然とそういう形になっているのだ。
嫌みな性格のせいで、人が寄りつかないというわけではない。
たぶん。
【それにしても、ここは何をする部屋なのかね? ユウは、どんな仕事をしているのだろうか】
異世界の文字を収集しているとはいえ、そのほとんどは画像データでしかないから、研究室の中にはそれほど重要なものは置かれていない。
むしろ、そのへんのダンジョンから拾われてきたものだとか、読めない異世界の本が少し置かれているくらいだから、ガラクタにしか見えないだろう。
そう考えると、たぶん一番価値があるように見えるのは、御前崎教授の席の隣に置かれた飾り棚の中の石像のようなものだろうか。
悪魔のような見た目の小さな生き物を模したような石像で、犬のようにおすわりポーズをしているのだが、両手で水晶玉のようなものを押さえつけている。
水晶玉には亀裂のようなひびが入っているし少し濁って見えるからか、骨董市の隅の方で五千円で売られているのを見つけたのだ。
その水晶玉の中に文字のようなものが見えると言い出した御前崎教授が、この石像を購入すると決めたときは、こんなものを買うなんて趣味が悪いと思ってしまったものだ。
「あっちの世界の文字を集める仕事だよ」
【ふぅん……文字を、ね】
「そうだ。教授も向こうの世界の出身だろ? 文字とか見たら読めるのか? 例えばこれとか、読めたりするのか?」
ぽよぽよと跳ねていた教授を掬い上げて、パソコンのモニターが見えるように差し出してみる。
いま切り取り作業をしている石板のものだが、一文だけでも読めたら結構な進展になるのではないか、と思ってのことだ。
【ユウ、残念だけれど、この文字は私には読めそうにないよ。私は、これまでダンジョンの中で暮らしていただけだからね。文字はまったく必要がなかったんだ】
「え、でも、いまは文字が読めるだろ?」
俺が仕事に行っている間、教授はうちに置いてあった雑誌やらチラシやらを見ていたはずだ。
文字が読めないはずはない、と思う。
【それは、ユウと契約しているからだよ。契約をした主人と使い魔は、ある程度記憶や知識の共有が行われるんだ】
「……ってことは俺も、教授から記憶とか知識とか、もらってるってことか?」
まったく心当たりのない話だ。
別に異世界の記憶なんて見たことはないし、知識についても同じようなものだ。
【いや、残念だけれど、たぶんそれはないだろうね。スライムとしての私には、ユウに共有してあげられるほどたいした記憶も知識もなかっただろうからね。おそらく、一方的に私が共有してもらっていると思うよ】
「なんか、ズルいな、それ」
【仕方がないよ。私は、ただのスライムだからね】
「でも、色付きだろ? いままで、誰とも契約したことがなかったのか?」
【色が付こうと何をしようと、スライムはスライムなんだよ。ダンジョンの中で見かけたら、倒すだけのモンスターなんだ。向こうではそれが常識だからね。それなのに、こちらの世界の人間は、スライムと契約したいなんていうのだものね。本当に不思議な話だよ】
「ふーん、それじゃあ俺が初めての契約者ってことか」
【そうだね。ユウは、私にとって初めての契約者だよ】
教授にとって俺が初めての契約者であると聞いて、なんとなく心が弾むのがわかった。
「そっか、俺が初めてなのか」
「はい、おまかせください。いってらっしゃいませ」
「ああ、任せたよ」
有休を取り、一日休んだところで、俺のやるべき仕事は変わらない。
今日は出張手配などのイレギュラーもなかったため、授業へと出かけていく教授を見送る。
去り際に、ぽんぽんと肩を叩かれたが、嫌な気持ちにはならなかった。
ただただ任せてもらえた、という充足感に満たされる。
「任されて嬉しいなんて、初めてだな」
なんだか、ものすごくいい職場になった気がする。
まさかここまで、きちんと心からいってらっしゃいと御前崎教授を送り出せる日がくるとは思わなかった。
俺は、俺に与えられた仕事をこなしていく。
いつもの通り、画像を加工し、データベースに登録していく作業だ。
だが、ひとつだけ、いつもと違うことがある。
【ふむふむ、これがユウが仕事をしているという職場か】
床の上でぽよぽよと跳ねているのは、俺についてきたスライムの教授だ。
大学のキャンパスに入る際は、誰かに見つからないよう念のためと以前候補に上がっていた俺のパンツに擬態するという手段を使って、文字通り俺に付いてきた。
御前崎教授から言われた通り、ドアに鍵をかけたあと、声をかけて離れてもらったが、研究室という限られた区間であっても初めて見る部屋だからなのか、興味深く観察しているようだ。
スライムには、明確な目というものがないから、あくまでも見ているような気がする程度の雰囲気的なものでしかないが。
「そのへんのものに、勝手に触らないでくれよ」
【わかっているよ。ユウの邪魔をするつもりはないからね。大人しく見学をしているだけさ】
職場見学といっても、大学の職員ではあるものの本館での勤務は全くしていない俺の職場と言えば、御前崎教授の研究室ということになる。
そういう意味では、ここから出ない限り安全だと言えるだろう。
外に出なければ、誰かに見つかることもないだろうからな。
御前崎教授に用事がある人間は、基本的にきちんとアポイントメントを取ってからくるので、突撃される心配もしなくていい。
御前崎教授の研究対象が異世界由来の言葉なので、何かと出張が多いから自然とそういう形になっているのだ。
嫌みな性格のせいで、人が寄りつかないというわけではない。
たぶん。
【それにしても、ここは何をする部屋なのかね? ユウは、どんな仕事をしているのだろうか】
異世界の文字を収集しているとはいえ、そのほとんどは画像データでしかないから、研究室の中にはそれほど重要なものは置かれていない。
むしろ、そのへんのダンジョンから拾われてきたものだとか、読めない異世界の本が少し置かれているくらいだから、ガラクタにしか見えないだろう。
そう考えると、たぶん一番価値があるように見えるのは、御前崎教授の席の隣に置かれた飾り棚の中の石像のようなものだろうか。
悪魔のような見た目の小さな生き物を模したような石像で、犬のようにおすわりポーズをしているのだが、両手で水晶玉のようなものを押さえつけている。
水晶玉には亀裂のようなひびが入っているし少し濁って見えるからか、骨董市の隅の方で五千円で売られているのを見つけたのだ。
その水晶玉の中に文字のようなものが見えると言い出した御前崎教授が、この石像を購入すると決めたときは、こんなものを買うなんて趣味が悪いと思ってしまったものだ。
「あっちの世界の文字を集める仕事だよ」
【ふぅん……文字を、ね】
「そうだ。教授も向こうの世界の出身だろ? 文字とか見たら読めるのか? 例えばこれとか、読めたりするのか?」
ぽよぽよと跳ねていた教授を掬い上げて、パソコンのモニターが見えるように差し出してみる。
いま切り取り作業をしている石板のものだが、一文だけでも読めたら結構な進展になるのではないか、と思ってのことだ。
【ユウ、残念だけれど、この文字は私には読めそうにないよ。私は、これまでダンジョンの中で暮らしていただけだからね。文字はまったく必要がなかったんだ】
「え、でも、いまは文字が読めるだろ?」
俺が仕事に行っている間、教授はうちに置いてあった雑誌やらチラシやらを見ていたはずだ。
文字が読めないはずはない、と思う。
【それは、ユウと契約しているからだよ。契約をした主人と使い魔は、ある程度記憶や知識の共有が行われるんだ】
「……ってことは俺も、教授から記憶とか知識とか、もらってるってことか?」
まったく心当たりのない話だ。
別に異世界の記憶なんて見たことはないし、知識についても同じようなものだ。
【いや、残念だけれど、たぶんそれはないだろうね。スライムとしての私には、ユウに共有してあげられるほどたいした記憶も知識もなかっただろうからね。おそらく、一方的に私が共有してもらっていると思うよ】
「なんか、ズルいな、それ」
【仕方がないよ。私は、ただのスライムだからね】
「でも、色付きだろ? いままで、誰とも契約したことがなかったのか?」
【色が付こうと何をしようと、スライムはスライムなんだよ。ダンジョンの中で見かけたら、倒すだけのモンスターなんだ。向こうではそれが常識だからね。それなのに、こちらの世界の人間は、スライムと契約したいなんていうのだものね。本当に不思議な話だよ】
「ふーん、それじゃあ俺が初めての契約者ってことか」
【そうだね。ユウは、私にとって初めての契約者だよ】
教授にとって俺が初めての契約者であると聞いて、なんとなく心が弾むのがわかった。
「そっか、俺が初めてなのか」
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