壁穴屋

うしお

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番外・マルスケスの街

番外・マルスケスの街 15

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剣を習っているとはいえ、まだ成人前の子どもだったジョシュアは戦場に立ったことすらなかった。
それが剣を持ち、護衛という名の監視に囲まれながら旗頭として戦場に立っている。
こんなもの、笑い話にもならない。

「せいぜい、死なないことだな」

ぽつりと呟く声が聞こえてた。
それは、懐かしい声だった。
あの日から、ジョシュアのまわりは激変した。
子爵家から公爵家に引き取られ、生活のすべてが監視され、管理されるようになった。
あらゆる教育を受けさせられ、出来なければひどい罰をあたえられた。
それらには、すべて専用の使用人がいて、ジョシュアは家畜のように管理された。

父だった者と会うのは久しぶりで、父になった者にはあれから一度も会っていない。
かけられた声に優しさはなく、ただ淡々と告げるのみだ。

「いっそ、僕など死んだ方が嬉しいのでは?」

昔かけられた「私はお前を、自分の子だと思ったことも、愛したこともない」という言葉は間違いではなかった。
この男は、ジョシュアが自分の子ではないということを、初めから知って・・・・・・・いたのだから。

結婚式の夜、公爵は初夜立会人・・・・・という誰もが忘れていたカビ臭く醜悪な風習を持ち出した。
本来なら、初夜立会人の役目は、夫婦が行為を済ますまで隣室で待機し、最後にシーツに残る痕跡を確認するだけのものだが、公爵の目的は違った。
公爵という地位と多額の金品とで、妻となった女の処女を夫から無理矢理買い取り、凌辱した。
夫であるこの男を自分の代わりに寝室の続き間へと追いやり、確実に孕ませるためにずいぶんと励んだらしい。
翌朝、憔悴しきった子爵に対し、公爵は契約と称して、女が子どもを生むまで妻に触れないようにと命じた。
契約に違反すれば、妻は初夜に公爵を誘惑した淫売だと言いふらすとまで脅して。
ことあるごとに公爵は子爵家を訪れ、執拗なまでに女を抱いた。
そうして、生まれたのがジョシュアなのだと、公爵家でも古参の男が嘲笑いながら教えてくれた。

「公爵様が子種を授けるほど遊んでもらえたんだ。さそがし、たっぷりと稼げただろうよ」

公爵は祝儀や見舞金、手土産だといって多額の金品を与え、さらには卑劣な方法で脅して彼らの口を封じてきた。
だから、貧しい下級貴族ばかりが犠牲になった。
相手が公爵だったから、誰もが口を閉ざすしかなかった。
王族に連なる高貴な血を残す義務だのなんだのと理由を付け、弱い立場のものを食い物にする醜悪な男には、ひとつだけ瑕疵があった。
それは、嫡男の不在だ。
爵位は男児にのみ受け継がれる財産だ。
男児のいない家では、実子がいても親類から養子をとって継がせるほど、この国では男系の血筋が何よりも優先されている。
だが、正妻が生んだ子はもちろん、凌辱した女たちが生んだ子どもも、公爵の子どもはすべて女児ばかりだった。
公爵の親類といえば、間違いなく現王家なのだが、公爵は国王である従兄弟を誰よりもライバル視していたため、そこから養子を受け入れることはプライドが許さなかったのだろう。
国王夫妻は、国内でも有名なおしどり夫婦と言われていて、王太子を筆頭に三人の男児と二人の女児と子宝にもかなり恵まれていた。
冷めきった仮面夫婦で、女児が二人しか生まれなかった公爵とは何かもが違っていた。
もしかしたら、それも理由のひとつなのかもしれない。
公爵は、何より自分の血を引く男児を生ませることに固執していた。
間違いなく自分の子を孕ませるために、誰も触れていない処女を求め、純潔に厳しい貴族を狙い、責任をとる必要のない既婚者ばかりを選んだ。
実に卑劣で醜悪な犯罪者だ。
どれだけの人たちが犠牲になったか、わからない。
そして、本人が歳を取り子を成せなくなったいま、ジョシュアだけがあの男の血を引く男児だった。
公爵は役に立てば買い取ると言っていたが、本当はもうジョシュアを買う以外に自分の血を引く男児を手にいれる方法などなかったのだろう。
ジョシュアは、あれからすぐに公爵家に引き取られていた。

「……子どもの死を喜ぶほど、落ちぶれてはいない」

ふうっとため息のように告げられた言葉に、男の苦悩が少しだけ垣間見えたような気がした。

◆◆◆

ジョシュアの初陣は、敵に遇うこともなく終わった。
マルスケスの街から遠いところで戦闘が起き、双方にそれなりの犠牲を出して終わったのだという。
マルスケスの防衛戦初日は、ジョシュアたちの勝利で幕を閉じた。

寒くなり始めると、人恋しくなる。
きっと、とても寒かったあの日のことを思い出すせいだ。
誰かに傍にいて欲しくても、ジョシュアのまわりにいる人には頼めなかった。
こっそりと宿を抜け出して、明るく笑う人々の声に誘われて入ったのは、騒がしい酒場だった。
今回の防衛戦には、傭兵や冒険者も多く参加していると聞いていた。
騎士としての礼儀も知らない彼らは、くだらない冗談を言って笑い、無意味に騒いでいるような粗野な男たちだった。
だが、すまし顔で笑いもしない騎士たちと共にいるよりはずっと気持ちが楽になった。

ジョシュアが酒場に足を踏み入れると、何となく雰囲気が変わったような気がした。
それでも、ぬくもりを求めていたジョシュアは、空いている席に向かって歩いた。
直接、触れあうことはなくても、このあたたかな空間にいられるだけでいいと思えたからだ。

「ぼうや、誰かを探してんのかい? 飲みに来たなら、こっちに混ざるか?」

「あ、は……ぐッ」

げらげらと下品な笑い声をあげる男たちに誘われ、ふらりとそちらへ近付こうとしたジョシュアの肩に、どすっと腕が乗せられた。
あまりの衝撃に目を白黒させるジョシュアの耳元で、その人は優しく囁いた。

「あいつらより、俺と遊ぼうぜ。俺が、天国に連れていってやる」

ジョシュアは、ぞくぞくするような甘い声を聞いたのは初めてだった。

「悪いな、先約だ」

男たちに声をかけ、ジョシュアを連れてカウンターに戻ったその人は、にっこりと笑ってコップを傾けた。

「ようこそ、小鹿ちゃんルーキー。そんなに綺麗な顔して、油断してると頭からぺろりと喰われちまうぞ。ここは、狼の巣窟だからな。俺も含めて、気を付けろよ?」

そうして、ジョシュアは先生に出会った。
それは、きっと運命の出会いだった。
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