大酒飲みは虎になったことを忘れてしまう

うしお

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19、錯乱ビジター

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一口食べてみれば、ぼんやりしていた体が覚醒したようで猛烈な空腹感に襲われた。
ビニール袋をがさがさと漁り、手当たり次第に食べながら作業を進める。
担当していた業務資料を見直し、自分がいなくても問題ないレベルまで整えてから、気のきく後輩と頼りになる同級生に任せる仕事を割り振っていく。
幸いなことに、いまはこの担当でなければ嫌だ、というわがままを言うような面倒な客は引き受けていなかった。
すでに、日が暮れてしまっているので、客への説明は明日になってからにすると決め、今回の件について二人にお礼のメールを送る。
気のきく後輩には、差し入れの礼も。
一通り済ませたら、急に眠くなってきた。
到着時刻に合わせてアラームをかけ、大きな座席に背中を預けたら、夢の世界はすぐそこだった。
よく考えたら、徹夜とまではいかないが、ここ二日あまり睡眠時間が取れていなかったんだった。
大きな仕事が終わったばかりでよかった、と眠りに落ちる瞬間、そう思った。

到着したのは、深夜とまではいかないが、すでにそれなりにいい時間になっていた。
病院からの連絡はあの一度だけで、それ以降は音沙汰がない。
後輩から、無意識に取っていたというメモを渡されたが、そこにはオヤジの病室の番号と念のため検査、との文字があった。
このご時世、事故とはいえ念のため検査する程度の怪我であるなら、病院に押しかけるのは迷惑だろう。
もしかしたら、行けば病室にくらいは通してもらえるかもしれないが、余計な手間をかけるのはよくない、という自制心が働いた。
食欲と睡眠欲が満たされたおかげで、少しはまともな思考ができるようになったのかもしれない。
そうでなければ、ただの逃避だ。
いますぐにでも駆けつけたい気持ちはあるが、一度家に帰ってオヤジの着替えを用意しなければ、と帰宅することにする。
ちょっとだけ、オヤジに会うのが怖かった。
どんな怪我を負っているのかと、考えるだけで震えた。

家に帰れば、ポストに不在票が入っていた。
他の郵便物と一緒に回収して実家に入る。
どちらにせよ、再配達を頼める時間でもないし、と先に風呂に入ることにした。
主人であるオヤジのいない実家はやけに広く感じられ、その夜、おれはオヤジの布団に入って目を閉じた。
新幹線の車内で寝てしまったからか、眠気はなかなかやってこなかった。
いつ眠れたのか、自分でもわからない。
気がつけば、朝になっていた。

朝一番で病院に向かった。
オヤジの着替えが入った鞄を持って、車で行く。
昨日、しっかり食べてそれなりに眠ったからか、運転に支障はない。
安全運転で連絡をくれた病院に向かう。
幸いなことに、病室まで入れてもらえるという。
病室までの案内を申し出られたが、優しく微笑む看護師の背後があまりにも忙しそうだったので、丁重にお断りをした。
案内が必要なほど複雑な場所でもない。
フロア案内図の位置だけ教えてもらえば十分だった。
しっかりと消毒を行ってから、教えられた病室に向かう。
六人部屋のそこには二人分の名前しかなく、入口の名札プレートを確認すればオヤジは窓際のベッドにいるようだった。
入口を入ってすぐのベッドにいる患者は、テレビにイヤホンを繋いだまま寝ているようで、おれが病室に入ったことにも気づいていないだろう。
時間的に朝食を食べたあとだというから、昼寝というには早いが、うとうとしているのだろう。
オヤジも寝ているかもしれないと思いながら、カーテンを少し開けて声をかけた。

「…………オヤジ、起きて……る、か……?」

おれは、思わずカーテンの隙間からベッドの真横にまで移動していた。
この部屋にいる患者はたった二人で、入口を入ってすぐの一人目は知らない人だった。
だから、目の前にいる患者がオヤジであることは間違いない。
間違いない、はずだ。
それでもおれは、ベッドの枕元につけられたネームプレートの名前を何度も確認してしまう。
しかし、何度確認しても目の前の現実は変わらない。

「……なんで……?」

ベッドには、両腕を包帯でぐるぐる巻きにされ、右足にはギプスの嵌められている大きな体が横たわっていた。
がっしりとした体格のそれは、間違いなくオヤジのはずだ。
だが、わからない。
顔の部分に、白い布がかけられているから、誰だかわからない。
何度見ても、顔を隠すように白い布がかけられていることしかわからない。
どうして、顔に布なんて?
まるで、亡くなった人みたいじゃないか。

目の前が真っ暗になった。
連絡がないから、大丈夫?
誰がそんなことを言ったんだ。
いや、誰もそんなことは言わなかった。
最初の連絡の内容さえ覚えていないくせに、何の根拠もなく大丈夫だ、とおれが思い込もうとしただけだ。
どうして、こうなることを考えなかった?
交通事故だと聞いていた。
車が突っ込んできたと言わなかっただろうか。
人と車がぶつかったのなら、こうなる可能性だってあるということは、わかりきったことじゃないか。
どうして、おれはのんきにオヤジは大丈夫だ、なんて考えていたんだろうか。

「…………オヤ、ジ……っ」

目の前が一気に潤んで、崩壊した。
溢れた涙が、シーツの上にぼたぼたと落ちる音がする。
景色がぼんやりと曖昧になって、おれはふらふらとベッドに横たわる誰かに近づいていく。
震える手で、白い布の角をつまむ。
これをめくったら、知らない人の顔が出てくることを祈って。
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