運命の堕とし方

うしお

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蛇足の蛇足編

13(蛇足の蛇足3)

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ルイが連れてきたのは、マーサという女の使用人だった。
マーサは暗いじめじめとした日陰の土のようなブルネットの髪を、白いシニヨンでまとめた少し陰鬱そうな女だった。
ルイがカミルに紹介している間、ずっと唇をきつく閉ざしていた。
使用人としては正しいのだろうが、もう少しにこやかな顔はできないのだろうか、と思ってしまう。
マーサはくすんだ緑色の瞳で、カミルのことをじっと見据えてくる。
まるで、カミルを叱る前のお母様のような目だ。

「な、なんだ。何か言いたいことがあるなら言ってみろ」

「わたくしが、お世話をするべき方は、どちらにいらっしゃいますか」

「と、隣の部屋だ」

「かしこまりました。それでは、お世話をさせていただきます」

礼儀正しく、すっと頭を下げたマーサが寝室に消える。
途端に、部屋の中からばたばたと騒がしい音が聞こえはじめた。

「マーサ、どうした? 何があった」

ルイが何事かと、カミルを庇いながら寝室のドアをノックする。
しばらくばたばたとしていたが、ドアの向こうがしんと静まりかえると僅かな隙間からマーサがちらりと顔を見せた。

「殿方は、くれぐれも中に入られませんようお願い申し上げます。ルイ様、何か女性でも羽織れるものをお持ちいただけますでしょうか」

「彼女に着せるのか? それなら、僕のガウンを使えばいいよ! その部屋にあるものは、なんでも好きに使っていい!」

「かしこまりました。そうさせていただきます」

再び、寝室のドアが閉ざされると、カミルは彼女のためにできることを考えはじめた。
彼女を領都にある本邸へ連れていくには、まず誰よりも領主であるお父様から許しをもらわなくてはいけない。
それに、何も持たない彼女のために、着るものや身に着けるものなども、すべて用意しなければいけないだろう。
それを同時に済ますためには、カミルが急いで領都へと帰り、お父様から許しを得た上で、彼女に相応しいドレスや装飾品を持って帰ってくるのが一番だ。
カミルは、とても悩んだ。
急いで戻るのだとしても、彼女のために別荘には人を残していく必要がある。
だが、別荘にくるのに、カミルは最低限の護衛と使用人しか連れてこなかった。
カミルは自分だけでなく彼女を護るために、苦渋の決断を迫られた。

結局、カミルは最低限しかいない護衛と使用人の中から、少女のためにルイとマーサを残していくことを決めた。
ただひとり残していくならルイ以外の騎士では心許ないし、移動するカミルの護衛は、ルイひとりだけでは務まらないからだ。
それに、カミルはこれ以上、誰かに彼女の存在を知らせたくなかった。
せめて、お父様から婚約の許可をもらうまでは。

「僕が戻るまで、あの子のことを頼む。誰がきても、この邸から出さないで欲しい。必ずここで護ってくれ」

「かしこまりました。この命に代えましても必ずお護りいたします」

カミルは、ルイだけに聞こえるよう小さな声で命令した。
予定よりも早い領都への帰還に誰もが首を傾げたが、カミルは異論を挟ませなかった。
ふたりの人間を置いていくことも、カミルが急いで帰ることにも、もちろん。
だが、カミルはこの日の選択を、生涯悔やみ続けることになる。

領主である父親の説得には、少なくない時間を要した。
貴族であるカミルが、いきなりどこの誰かもわからない少女を妻にしたいと言ったところで、すんなり受け入れてもらえるとは思っていなかったが、それでもカミルは諦めなかった。
早く彼女を迎えに行きたいと願いながら、出される課題に真摯に取り組んだ。
少女と夫婦になるためなら、と苦手な武術や馬術にも挑んだのだ。
領地に戻ってからのカミルは、それまでの怠惰が嘘であるかのように、あらゆる努力をし続けた。
その甲斐もあって、ようやくお父様からの許可が降りた時、カミルは喜びのあまり、少女のための美しい純白のワンピースとそれに相応しい靴などが入った箱を馬にくくりつけ、たったひとりで出立していた。
元より優秀な領主の子であるカミルは、きちんと学べばそのあたりに出没する山賊などの手合いなど容易く退けるだけの実力があった。
ただ、それらのことに興味を持てないだけだったのだ。
カミルは、少女に逢うために、ひたすら馬を走らせた。
最低限の休養と睡眠で、一刻も早くあの美しい少女に告白するために。

そして、カミルは見てしまう。
たどり着いた別荘で、裸体のままの美しい少女を、恋人のように優しく抱き上げるルイの姿を。
カミルにとってそれは、許しがたい光景だった。
護りを任せた騎士が、少女の肌に触れている。
それは、カミルのものなのに。
カミルだけが、手に入れるものなのに、と。
怒りで目の奥が燃え上がるようだった。
それから、カミルは自分が何をしたのか覚えていない。
少女の姿を見た瞬間から、カミルは怒りに飲み込まれ、何もかもがわからなくなってしまった。
ひたすら、少女を求めて彷徨った。

気が付いた時、カミルは崖の上にいた。
遠くへのばした手の中には、何ひとつ残っていない。
代わりに心にぽかりと穴があいたような心地だった。

「……逝ってしまわれたのですね」

いまにも風の音にかき消されそうなその声が、確かに聞こえたのは何故なのか。
動けなくなっているカミルの横を通り抜け、崖へと向かうその背中は、迷いも何も背負っておらず、ただ淡々とするままで。

「永らくお世話になりました。わたくしも、お暇させていただきます」

頭を下げたマーサの風をはらんで膨らむスカートの影から、朝日がすっと射し込んだ。
カミルが、その眩しさに手をかざし、下ろした時にはすべて終わりを迎えていた。
初めて恋心を抱いた少女も、いずれ領地の守りの要になるはずだった優秀な騎士も、誰よりも真面目で領主から信頼されていた使用人も、すべて消えて。

すべてを失ったカミルは、残された地でひとり生きた。
ただひとつ胸にあいた穴だけを手にして。
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