上 下
4 / 9

清楚な義妹 / 悪い子な義妹

しおりを挟む
 結局五回キスを重ねた後、店を出た。

「お酒言葉って、ご存知ですか?」

 くすくす笑う紫苑は、変わらず葵の手を握っていて、時折、鍵盤を爪弾くようにして葵の手の甲を弄ぶ。

 残念ながらピアノには疎かったから、彼女が弾いているのが『愛の夢』なのか、『ねこふんじゃった』なのかも判らない。

「……知ってるけど、気にしない。

……意味を気にしていたら、美味しいお酒は飲めないからね。」

「気にしないと言いながら、ブルームーンを頼むなんて、いぢわる、ですね?」

「……寮まで送るよ。明日、学校あるだろう?」

「ふぅん、そういうこと、言うんですね?

……まぁ、外泊なんてしたら怪しまれるでしょうし、仕方ありませんね。

キスしてくれたから、今日は許してあげますよ」

 シェリーの酒言葉『今夜の私を貴方にあげる』を見なかったことにする葵を嬲るあたり、彼女も大概いぢわるだ。

 ブルームーンの酒言葉『考え直した方がいい』ルビを見なかったことにして、飲み干してしまう自分自身を棚に上げるなんて、本当に悪い子だ。

 イケナイ女が好きな葵は、紫苑のことが異性として気に入り始めていた。

「しかし、困りました。

私が欲しくなるものは、いつも誰かの所有物なんです。私、悪い子なので。」


「……所有物、とまでは言わないけれど。」


「あぁ、すみません。……異性を好きになったのは、貴方が初めてなものですから」

 彼女は気づいていただろうか。

 紫苑のさり気ない宣告に、葵が心臓を跳ね上げさせていることを。

 紫苑は小さく笑って、『紫苑が欲しいモノ』を指折り数える。


「紺碧色の大きな石の付いたネックレスに、翠玉色の艶々した万年筆。紅葉色のかわいい軽自動車。そう、この深雪みたいに真っ白なコートも。」


 本来の持ち主より紫苑の方が小柄なために、ちょっと余った袖を手元できゅっと摘んだ萌え袖で、コートを見せびらかす紫苑。


「いつも、貸してもらうばっかり。

今日も、絶対に汚さないって約束して、借りたんです。」


 そうだろう。きっとかなり渋ったはずだ。

 今日会った時から気づいていた。

 そのシロウサギの毛皮のような純白のコートは、葵が好意を寄せている人の持ちものだ。

 去年の冬、葵と一緒に選んで、散々悩んで購入した高級品。

 大切にしすぎて、去年は二回くらいしか着ているのを見なかった。

 正月と、温泉旅行のときだけ。


 ふたりで会うときは、絶対はしゃいで汚すから、と言って、結局一度も着てこなかった真冬色のコート。

 それを妹に貸したのは、『ハメを外してバレないように』、という、持ち主なりの戒めだったのだろうか。

 残念ながら入店の時に預けてしまったせいで、コートはなんの抑止力にもならなかった訳だけれど。

「自分でも、拗らせてる自覚はあるんです。

私はいつも、お姉ちゃんが持っている素敵なモノが、欲しくて欲しくて仕方がないの。……だから貴方も、欲しくなっちゃった。」

「……僕は、素敵なものってわけでも、ないと思うけどね?」

 彼女はどこまで把握しているのだろう?葵と茉莉花の関係を。

 そのドロリと潤んだ黒目がちな眼には、何が見えているんだろう。

 本当に底が知れない。


「……そんなこと、ないですよ……?」


 街路灯の瞬きが、紫苑の表情に影を落とす。

 泣いているようにも、怒っているようにも、喜んでいるようにも見えた。


「真面目なお姉ちゃんが不倫に走るくらいには、貴方は魅力的なひとです」


 葵が付いた諦めのため息は、白い靄になって夜の闇に消えた。


「……いつ知ったの?ぼくらの関係。」

「お姉ちゃんは私の憧れですから。ずっと見てました。だからわかったんです。

最初におかしいなと思ったのは、お姉ちゃんが旦那さんと不仲になって一時期荒れていたのに、それがお兄ちゃんの結婚式以降ぱったり落ち着いたこと。

───そう。貴方と初めて会った日から。」

 そうだ。

 あの日、茉莉花に一夜の関係を求められ、応えてしまったのが始まりだった。

「……確信を持ったのは温泉旅行のとき。……みんなが見てないところで、キス、してたでしょう?」

「……言い逃れもできないな。」

「……アレを見てから、ずっと私も、貴方にシてほしいって思ってた。

───お姉ちゃんにしたみたいに、シてほしいって。」

 前開きのコートの間から覗く、葡萄酒色のセーターの、腹の上をくしゃり、と強く握って。


「ねぇ、葵さん?さっきのキスの熱が、まだ私の中で疼いてるの」


「お酒よりもずっと熱い。私の心に焼け付いてしまいそうなくらい、熱いの」


「ねぇ、葵さん?お姉ちゃんとは、キスよりも、もっと悪いこと、シてるんでしょう?」


「お姉ちゃんとシてること、私にも教えて。」







────私のコト、もっと悪い子に、してくれませんか?








 それは実質、脅迫だった。

 自分の姉を、茉莉花の家庭を人質に取り、秘密の関係への契約を迫る確信犯。

 合理的で、効率的で、廃退的な計算高さ。

 目的のためならどんな手段を使ってでも成し遂げようとする、その冷徹。





 実に葵好みのやり方だ。





 紫苑は、美しい食虫植物のような女だった。

 その可憐さに、知れば知るほど好きになり、もっと知りたいと手を伸ばしたその時には、内に潜んだ触手に絡め取られ、最早逃げられない。逃してくれない。

 美しい花には棘があるが、紫苑の棘には媚毒が仕込まれていた。

 紫苑を、抱きかかえる様にして包み込む。

 抵抗もしない。むしろ自分からおっきな胸を押し付けるくらい。

 ただじっと、情欲に蕩けた眼で、葵を見上げる。


「酔った勢いでこんなことして、後悔しない?」


 それは葵なりの誠意だった。

 ここから先は後戻りできないのだと、示すように。


 それを聞いた少女は。

 くすり、と笑って。




「酔っているか、酔っていないかは、明日の私が決めることです。」




 そう宣言した唇で、次は自分から葵を求めた。


 あぁ。この子は、本当に。


 ──これから、楽しくなりそうだ。



△▼△▼△

 次の日の朝。

 紫苑からメッセージが入っていた。

 会食のお礼と、次の逢瀬の日取り決め。

 昨日の紫苑は、無事、酔っていなかったことにされたらしかった。

△▼△▼△


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...