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清楚な義妹と はしたない誘惑

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「ねえ、そっちに行っても良いですか?」

 一通り食事を終えた頃、彼女は急にそんなコトを言い出した。

 戸惑う葵を他所に、すすすと移動し、葵の隣にちょこんと座る。

「私、実は隣り合って話す方が落ち着くんです。いい、ですよね?」

「あ、あぁ……。別に、大丈夫だけど」

「……やった……っ。……ねぇ、葵さん……。私、まだ飲み足りないです……。

 もう少し酔っても、構いませんよね?」

 そう言いながらメニューを開き、次のお酒を尋ねてくる。


 ──明らかに、距離が近い。


 柔らかな頬が肩に当たる。長い黒髪が葵の肩に注がれて、果汁と汗が混ざったのような、甘塩っぱい香りが鼻をくすぐる。

 豊かな胸の尖端が二の腕を掠めて、どきりと心臓が昂なった。

 胸部下着の独特の硬さが、葵の心をざらりと泡立たせる。

 たくさん中身が詰まっていそうだと、一瞬チラついた下心から目を逸らしながら、ついと紫苑に視線を送ると、無邪気に笑い掛けられた。


「どうか、しましたか?」


 ──なんなんだ、この娘は。



「……紫苑さん、もうかなり酔ってない?」

「?まだ三合だけですよ?」

 『酔ってる女ほど「酔ってない」と言い、酔ってない女ほど「酔うほど飲んでない」と応える』と説いていたのは、だれのエッセイだったか。

 いずれにせよ、葵が覚えているという事はそこそこ以上に面白かった論説で、印象深い言葉を持っている作家は大体信用出来る、と言うのが葵の信条だ。

「ほら、何にします?カクテルとか?」

 つまり紫苑は、酔っ払いもせずこの距離感でのコミュニケーションを求めてきている訳だ。

「……ブルームーン、かな」

 葵は思考停止を決め込むことにした。

 飲みの場で男女がくっつくのは、まぁ、おかしな事でもないだろう。

 そんなコトを考えながら、少しだけ紫苑に身を寄せると、少女もまた小さなカラダを寄ってきた。もはやふたりの距離には隙間もない。

 葵の太ももと、紫苑の太ももが触れ合って、じんわりと熱が伝わってくる。

 この少女は、何を考えているんだろう。なにを、期待しているんだろう。

「さっぱり系で、良いですね。じゃあ私は、……ふふっ、モスカテル」

「……モスカテル?……初めて聞くな」

「甘くて美味しいんですよ?」

 ほんのりと頬を染めた紫苑が、ほろりとした笑みを浮かべる。

 よっぽどお酒が好きなようだった。

「お酒の何が、そんなに好きなの?……そんなに酔わない、体質みたいだけど」

「そうですね……。酔ってストレスを発散したいとか、そんな理由ではないんです。独特の甘味も、風味も、良いですけど。……やっぱり、いけないコトしてるところ、ですかねぇ。」

 どこかぼんやりとした表情で答える紫苑の眼はひどく潤んでいて。

「……いけないコト、好きなんだ……」


「えぇ、そうなんです……。私、悪い子なので。

…………………だから、こんなコトも、しちゃいますよ……?」



 そう言って、少女は葵の手を取った。

 あまりに自然な動きで、取り払うことも出来ない。

 小さな掌と、骨張った掌が重なる。スラリと長く白い指は、ひんやりとして、それでいてしっとりと湿っていて、葵の手によく吸い付いた。

「こうすると……、ねえ……?判るでしょう?」

 白魚のような指がするりと葵の指を搦め、誘い、かっちりと組み合わさる。

 互いに握った手は、接点から火照るように熱を帯びていく。

 冷たいくらいだった紫苑の指先の温度が、じんわりと上昇していくのがわかる。

 手の繋がりから互いの体温が伝わって、渦巻いて、混ざり合って。


「悪いコトするのは。

こんな感じで、じっとりとした熱が広がるのが、いいんですよ。」


 紫苑の言うことが、よく分かった。

 そして、彼女が『分かっている』こともまた。

 あぁ。紫苑は、知っているんだ。

 カラダがジリジリと熱く昂る。

 紫苑が好む背徳の熱を、葵もよく知っていた。

「あぁ……。葵さん、とっても熱くて、素敵ですよ……?」

 真っ赤な顔でうっとりと微笑む紫苑の、どろりと蕩けた切れ長の眼と見つめ合って。小さく開いた、艶めく唇に視線が導かれて。

 




 そして。






 静かな部屋に、控えめなノックの音が響いた。

 注文したお酒が並び、かわりに机の上の空いた器が持っていかれる。

 沈黙したふたりは、机の下でしっかりと繋がりあったままだった。

 給仕が退いたのちの長い静寂。

 隣の個室の、男女の語らう声が微かに耳をくすぐって。

 互いにグラスを取り、ひとくち含む。カラリ、と氷が崩れる音が響く。

 わかり切ったことだったけれど、葵のブルームーンは、全く味がしなかった。

 先に沈黙を破ったのは、紫苑だった。

「……私、お酒を分け合うのが好きなんです。いろんな味を楽しめるから。」

 ブルームーン、頂いても良いですか?と確認して、危なっかしい手付きでグラスを持ち上げた。彼女の利き手は葵の指ときつく絡まっていて、そこが居場所になってしまったかのように、微かにも動かない。

「葵さんは、どうしてブルームーンを選んだんですか?」

 グラスを光に翳して、なにかを確かめるようにしながら、紫苑が尋ねてきた。

 カクテルを透過した光が、紫苑の顔を紫苑の顔を紫色に妖しく染める。

 紫苑の花も、たしかこんな色味だった。

 ちょっと悲しくなるような、儚く淡い紫。

「ん……。そう言う気分だったから、かな。」

「そうですか。……そう、ですか。」

 それだけ言うと、くいっ、と薄紫の露を口に含んだ。

 こんなもの、全て無くなってしまえばいいとでも、言うかのように。

「あぁ、ごめんなさい……。全部飲んでしまいました……。」

「いや、いい、けど……」

 カクテルグラスが返される。

 グラスの淵に残された、桃色の口紅跡が生々しい。

「さぁ……。葵さんも、いかがですか?」

 勧められるがままにワイングラスを手に取る。

 透き通るような白ワインだ。グラスの中で、黄金に煌く生命の濃縮液。

 酒精は微生物たちの痕跡だ。そしてワインは、葡萄の血で出来ている。

「これを飲んで熱くなるのは、たくさんの命を奪ってるから、なのかな」

 ぴくりと震えた紫苑が、葵の持つモスカテルをじっと見詰めた。

 紫苑がお酒を好む理由が、更に明瞭になった気がする。

 紫苑の熱のこもった視線を感じながら、白ワインを口に含む。



 紫苑がブルームーンのグラスにそうしたように。

 紫苑の口紅跡に唇を添わせて。



 アルコールが強い。果実や花のような、甘い香りが鼻を抜ける。

 何故だか、記憶に無い紫苑の花の香りを連想させた。

 そうか。



 これは、シェリーか。



「あぁ、ごめん……。全部飲んじゃった……。」

 ワイングラスを返すと、受け取った紫苑がそれを灯りに翳した。

 掠れて消えかかった口紅の跡が、ドロリと蕩けた黒い瞳に映る。

 にこり、と少女の唇が、小さく歪んで。


「いいえ、許しません。」


「私、もう少し味わいたかったのに。」


「残り香だけでも、愉しみたいわ……?」


「ねぇ、良いでしょう?葵さん……」


 紫苑の言葉を遮ったのは、葵の唇だった。

 少女は驚くこともせず、ただゆっくりと男の首に腕を回し、初めてのキスを受け入れる。

 綺麗な黒髪をかき分けるようにキスを深くすると、紫苑はあっさりと唇の奥を明け渡して。

 彼女の望み通りに、モスカテルの残り香の乗った舌で交わった。


 紫苑の唇は、蕩けて無くなりそうなくらいに柔らかで。

 紫苑の唾液は、ブルームーンとは違う、脳を痺れさせるような唯一無二の甘味に溢れていた。


 長い接吻を交え、唇を放した後にしめやかに垂れた銀の橋は、紫苑の挑発そのもののようにねっとりと妖しく輝く。


「あつい……」


 義兄を散々誘惑し、煽り立てた欲望を一身に受け入れた義妹は、ただひたすらに生命の熱を味わっていた。

 ぺろり、と唇を舐め取る肉食獣の様な所作は、どうしようもないほどにはしたない。清楚な少女の腹の中で渦巻く淀んだ欲情を思わせる真っ赤な舌が、ちろちろと唇から覗いては消える。

「どこで覚えてきたの?こんな、いやらしいの……。」

 ちょっと呆れた気持ちで問い掛けると、

「女の子の遺伝子には、男性の誘い方が刻まれているんですよ。たぶん。」


「……何の引用……?」


「今の私の、率直な感想です。……ねぇ、もう一回、教えて……?」

 紫苑が作家になったならきっと葵好みの作品を書いてくれるだろうなと、再び唇を交えながら、そう思った。

 印象深い言葉を秘めている女の子ほど、魅力的なものは無いのだから。

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