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毎週金曜日の常連客
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東京から鉄道で片道約四時間ほどの山際の町、森桜。その町を走る森桜鉄道のメイン駅、籾里。メイン駅と言えども、改札機という便利なものはなく、切符の販売を委託されている駅舎中の煙草屋の店員が、改札口に掛けられているチェーンを外す。それに合わせて待っていた二、三人の乗客が中へと入っていった。それが丁度発車十五分前。合わせるように列車のドアを開けるのは、車掌の染宮桜太郎。やって来た乗客の切符を再度確認しながら、中へと誘導していた彼は一人の乗客の姿に、あっ、と心の中で小さく声を漏らした。
紺色のジャケットにグレーのスラックス。短く刈り込まれた黒髪、銀縁のスクエア型眼鏡をかけた、廃れた町に似合わない男は、桜太郎と同い年ぐらいだろうか。男はこの一月、毎週金曜日、十一時二十五分発染宮行、進行左中ほどの席に座る。そうして森桜鉄道の丁度真ん中の駅、森桜駅で降りていく。あそこには、この辺り出身の文豪の記念館があるだけで、そこも毎週通うような場所ではないしなぁ、と少し考える。
桜太郎は、生まれも育ちもこの町だ。かつては養蚕と染物で栄えたという森桜は、今では限界集落一歩手前。養蚕はほぼ廃れ、染物も数軒残るのみでいずれ廃れてしまうだろう。そうならない様に、染物屋の若い衆があの手この手を考えているようだが、上手く行っていない。廃れてしまう、と言えば、この森桜鉄道もそうだ。元は町が栄えていた頃に作られた国鉄の一路線だったが、今は官民共同の第三セクターとなり、一日に上下合わせても二十八本程度の運行。なんとか観光路線として売り出そうとはしているが、観光地は春の桜と秋の紅葉、森桜駅から徒歩二十分のこの町出身文豪の記念館。うちの神社は何もないからなぁ、と神社の息子である桜太郎は自嘲する様に、小さく笑う。町興しと一緒になって何か、とも話は出ているが、具体的なことはまだ何も決まってすらいない。お前も何か案を出せ、と桜太郎に言ってきたのは、幼馴染である染物屋の若旦那だったか。桜太郎だって、町にも鉄道にも愛着があるからこそ町を出ることなく、森桜鉄道に勤めている。何か役に立ちたいとは思って居るのだが、いざ何か案を、と言われても何も思いつかない。
何かないかなぁ、と思いながら時計を確認すれば発車三分前。一度乗務員室に入り、仕業表などを確認する。発車一分前、改札の方から来る人がいないか階段を覗き込んでから、信号を確認。青信号を確認し、時計を見た。
「時刻良し!出発進行!」
時計と信号機を指差喚呼して、笛を吹く。扉閉めスイッチを操作し、ドアを閉めれば側灯の滅灯、扉挟みを確認して乗り込む。ドアを閉めてからここまでが五秒。乗務員室に乗り込むと同時に、がこん、と列車が発車する。森桜鉄道は総路線距離二十キロ少し。時間にして四十分ほどの距離だ。各駅間の距離は大体長くても五分程度。朝と夕方以降は、車内放送も車掌の仕事なのだが、日中のこの時間帯は観光アテンダントの『お姉さま』がそれをやるので、車掌の仕事はかなり少ない。安全確認とドアの扱い、無人駅からの乗客に切符を売るくらいだ。
籾里駅から六駅目、二十分ほどで森桜駅へと到着する。大概の乗客はここで降りていき、先ほど桜太郎が気にしていた乗客も、やはりここで降りていった。この駅で反対側から来る列車との行き違いを行うため、少し停車時間がある。この先へ行くには、これから来る列車の乗務員が持っているスタフと言われる通票が必要となる。到着した列車の運転士が駅員にスタフを渡し、それが桜太郎の乗務する列車の運転士へと渡された。それから列車は発車する。終点の染宮駅までは五駅十六分。到着は十二時十六分。次の列車は十三時三十五分なので、ここでしばらく時間があり、昼食休憩だ。
「弁当取りに行ってきます」
「おう、気を付けてな」
荷物を駅の事務室の隅に置いてポケットに財布だけねじ込むと、運転士に声を掛けてそのまま外へと出る。桜太郎の実家はこの駅から歩いて十分ほどの所にある、町の鎮守、染宮神社だ。三男ゆえに家を継ぐ必要もなく、鉄道会社に勤め、昼を染宮駅で取る時は弁当を家まで取りに行っている。
「ただいまー。母さん、弁当頂戴」
「はいはい。今日は終電まで?」
「うん。もう一往復したら、こっちの駅で勤務だから、二十時半ぐらいには家に帰るよ」
「じゃあ、夜食用意しておくよ」
「ありがと、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
弁当を受け取り、再び駅への道をたどる。家から駅までの距離的にもそのまま家で食べてもいいのだが、間違って時間を勘違いするのが怖いから、と桜太郎はいつも必ず駅まで戻っている。
往復で二十分ほどの距離を戻れば、既に運転士は食事を終えて昼のワイドショーを見ていた。大概、鉄道員は食事をとるのが早い。何かあったらすぐに動く必要があり、いつ起こるかもわからないと、歴の長いものほど、食べられるときに手早く食べて置く、が染み付いている。
「戻りました。耕さん、相変わらず食べんの早いですね」
「おかえり。職業病だよ、職業病。でも、お前はいいよなぁ、家が近いと出来立ての弁当が食べられんだから」
「んなこと言ったって、耕さんだってさっき奥さんに弁当貰ってたじゃないですか」
「バレてたか」
「当然ですよ」
軽口を交わしながら貰って来たばかりの弁当を広げる。今日のおかずは卵焼きにアスパラガスとベーコンの炒め物、昨日の残りのコロッケに、キンピラゴボウとほうれん草の胡麻和え。それに白米と水筒に入った大根のみそ汁。
いただきます、と手を合わせてからまずは味噌汁を一口。食べなれたいつもの味にほぅ、と息を吐く。そうしてアスパラガスとベーコンを一緒に摘まんで、口へ放り込む。アスパラガスをしっかり噛み締めるとベーコンのうまみも出てきて、口元が緩んだ。昨日の残りのコロッケは、一度トースターで温めてくれたらしく、サクサクとしている。きんぴらをご飯の上にのっけて一緒にかっ込めば、ピリ辛なのもあっていくらでも食べられそうだ。合間にほうれん草の胡麻和えを食べながら、卵焼きに手を付ける。桜太郎の家の卵焼きは出汁のきいた少ししょっぱめの味付け。いつもの味にまたふにゃっと笑いながら、弁当を食べ進める。
黙々と食べ進め、五分ほどで完食した後、弁当箱を洗い入れてきたバックへしまうと、共用ロッカーの中からタオルケットを引っ張り出してきた。
「寝るか?」
「三十分寝ます。タイマーはかけておきますんで」
「寝遅れやったら放っとくからな」
「勘弁してくださいよぉ、しませんって」
軽口を交わして、スマホのアラームをかけると長椅子の上で丸くなる桜太郎。そのままトロトロと浅い眠りへと落ちて行った。
紺色のジャケットにグレーのスラックス。短く刈り込まれた黒髪、銀縁のスクエア型眼鏡をかけた、廃れた町に似合わない男は、桜太郎と同い年ぐらいだろうか。男はこの一月、毎週金曜日、十一時二十五分発染宮行、進行左中ほどの席に座る。そうして森桜鉄道の丁度真ん中の駅、森桜駅で降りていく。あそこには、この辺り出身の文豪の記念館があるだけで、そこも毎週通うような場所ではないしなぁ、と少し考える。
桜太郎は、生まれも育ちもこの町だ。かつては養蚕と染物で栄えたという森桜は、今では限界集落一歩手前。養蚕はほぼ廃れ、染物も数軒残るのみでいずれ廃れてしまうだろう。そうならない様に、染物屋の若い衆があの手この手を考えているようだが、上手く行っていない。廃れてしまう、と言えば、この森桜鉄道もそうだ。元は町が栄えていた頃に作られた国鉄の一路線だったが、今は官民共同の第三セクターとなり、一日に上下合わせても二十八本程度の運行。なんとか観光路線として売り出そうとはしているが、観光地は春の桜と秋の紅葉、森桜駅から徒歩二十分のこの町出身文豪の記念館。うちの神社は何もないからなぁ、と神社の息子である桜太郎は自嘲する様に、小さく笑う。町興しと一緒になって何か、とも話は出ているが、具体的なことはまだ何も決まってすらいない。お前も何か案を出せ、と桜太郎に言ってきたのは、幼馴染である染物屋の若旦那だったか。桜太郎だって、町にも鉄道にも愛着があるからこそ町を出ることなく、森桜鉄道に勤めている。何か役に立ちたいとは思って居るのだが、いざ何か案を、と言われても何も思いつかない。
何かないかなぁ、と思いながら時計を確認すれば発車三分前。一度乗務員室に入り、仕業表などを確認する。発車一分前、改札の方から来る人がいないか階段を覗き込んでから、信号を確認。青信号を確認し、時計を見た。
「時刻良し!出発進行!」
時計と信号機を指差喚呼して、笛を吹く。扉閉めスイッチを操作し、ドアを閉めれば側灯の滅灯、扉挟みを確認して乗り込む。ドアを閉めてからここまでが五秒。乗務員室に乗り込むと同時に、がこん、と列車が発車する。森桜鉄道は総路線距離二十キロ少し。時間にして四十分ほどの距離だ。各駅間の距離は大体長くても五分程度。朝と夕方以降は、車内放送も車掌の仕事なのだが、日中のこの時間帯は観光アテンダントの『お姉さま』がそれをやるので、車掌の仕事はかなり少ない。安全確認とドアの扱い、無人駅からの乗客に切符を売るくらいだ。
籾里駅から六駅目、二十分ほどで森桜駅へと到着する。大概の乗客はここで降りていき、先ほど桜太郎が気にしていた乗客も、やはりここで降りていった。この駅で反対側から来る列車との行き違いを行うため、少し停車時間がある。この先へ行くには、これから来る列車の乗務員が持っているスタフと言われる通票が必要となる。到着した列車の運転士が駅員にスタフを渡し、それが桜太郎の乗務する列車の運転士へと渡された。それから列車は発車する。終点の染宮駅までは五駅十六分。到着は十二時十六分。次の列車は十三時三十五分なので、ここでしばらく時間があり、昼食休憩だ。
「弁当取りに行ってきます」
「おう、気を付けてな」
荷物を駅の事務室の隅に置いてポケットに財布だけねじ込むと、運転士に声を掛けてそのまま外へと出る。桜太郎の実家はこの駅から歩いて十分ほどの所にある、町の鎮守、染宮神社だ。三男ゆえに家を継ぐ必要もなく、鉄道会社に勤め、昼を染宮駅で取る時は弁当を家まで取りに行っている。
「ただいまー。母さん、弁当頂戴」
「はいはい。今日は終電まで?」
「うん。もう一往復したら、こっちの駅で勤務だから、二十時半ぐらいには家に帰るよ」
「じゃあ、夜食用意しておくよ」
「ありがと、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
弁当を受け取り、再び駅への道をたどる。家から駅までの距離的にもそのまま家で食べてもいいのだが、間違って時間を勘違いするのが怖いから、と桜太郎はいつも必ず駅まで戻っている。
往復で二十分ほどの距離を戻れば、既に運転士は食事を終えて昼のワイドショーを見ていた。大概、鉄道員は食事をとるのが早い。何かあったらすぐに動く必要があり、いつ起こるかもわからないと、歴の長いものほど、食べられるときに手早く食べて置く、が染み付いている。
「戻りました。耕さん、相変わらず食べんの早いですね」
「おかえり。職業病だよ、職業病。でも、お前はいいよなぁ、家が近いと出来立ての弁当が食べられんだから」
「んなこと言ったって、耕さんだってさっき奥さんに弁当貰ってたじゃないですか」
「バレてたか」
「当然ですよ」
軽口を交わしながら貰って来たばかりの弁当を広げる。今日のおかずは卵焼きにアスパラガスとベーコンの炒め物、昨日の残りのコロッケに、キンピラゴボウとほうれん草の胡麻和え。それに白米と水筒に入った大根のみそ汁。
いただきます、と手を合わせてからまずは味噌汁を一口。食べなれたいつもの味にほぅ、と息を吐く。そうしてアスパラガスとベーコンを一緒に摘まんで、口へ放り込む。アスパラガスをしっかり噛み締めるとベーコンのうまみも出てきて、口元が緩んだ。昨日の残りのコロッケは、一度トースターで温めてくれたらしく、サクサクとしている。きんぴらをご飯の上にのっけて一緒にかっ込めば、ピリ辛なのもあっていくらでも食べられそうだ。合間にほうれん草の胡麻和えを食べながら、卵焼きに手を付ける。桜太郎の家の卵焼きは出汁のきいた少ししょっぱめの味付け。いつもの味にまたふにゃっと笑いながら、弁当を食べ進める。
黙々と食べ進め、五分ほどで完食した後、弁当箱を洗い入れてきたバックへしまうと、共用ロッカーの中からタオルケットを引っ張り出してきた。
「寝るか?」
「三十分寝ます。タイマーはかけておきますんで」
「寝遅れやったら放っとくからな」
「勘弁してくださいよぉ、しませんって」
軽口を交わして、スマホのアラームをかけると長椅子の上で丸くなる桜太郎。そのままトロトロと浅い眠りへと落ちて行った。
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