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第1章 修道院での子供時代

35、別れの時

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 ある日、図書館にある学習室に行くと、他の小さな子供はいなくてアルバロとフェリペだけが席に座り、ニコラス先生と修道院長のカルロス先生が座っていた。ニコラス先生の授業の時にカルロス先生も一緒にいるのは珍しい。

「今日はアルバロとフェリペの将来について重要な話があるので、特別にカルロス院長にも同席してもらうことにした。ミゲル、君は後ろの方の席に座っていなさい」
「はい、わかりました」

 私はニコラス先生に言われた通りに後ろの席に座った。カルロス先生は何も言わず、ニコラス先生が話を始めた。

「まずはアルバロ、君は自分の将来についてどんなことを考えている?」
「俺は小さい頃はずっと戦士に憧れていました。大きくなったら傭兵として雇われ、手柄を立て出世するのだと。でも先生の歴史の授業を受けて、正直戦場に行くのは怖くなりました」
「君の将来を考えて、街へ行った時に傭兵の養成所をいくつか見に行った。その中で退役した戦士が個人で教えているところが気になった。彼は貴族の出身で、そこでは武芸だけでなくラテン語やフランス語、上流階級のマナーなども教えているから、そこで学んだ者は教会や修道院の護衛、貴族の側近などになっているそうだ」
「俺、勉強は苦手だけどそういう可能性があるなら頑張ってみます」
「よい話ではないか」

 黙って聞いていたカルロス先生が、ここで初めて意見を言った。





「それからフェリペについてだが、君の場合は少し複雑だ」
「は、はい」
「君の将来を考えて、私は昔の友人、学者や医者をしている者何人かに手紙を書いて、君を助手として雇ってもらうよう頼んだ。その中で医者をしている友人の1人、彼は改宗したユダヤ人なのだが、思いがけない返事をくれた」
「どういうことですか?」
「彼は君を助手ではなく養子にして跡継ぎにしたいと手紙に書いてきた。大学に行かせて医者にしたいと・・・」
「え、でも僕は大学に行くのは難しいのでは・・・」
「私は手紙で君のここでの勉強内容を詳しく伝えた。彼は君の好奇心や熱心な勉強ぶりを高く評価してくれた。修道院での勉強だけでは足りないかもしれないが、リヨンに行ったら家庭教師を見つけてサポートし、もし君にやる気があるならばパリの大学に行かせたいと考えているそうだ」
「リヨン、パリ大学・・・信じられないことばかりで・・・」
「そうであろう。私も信じられなかった。だが同じころ、もう1人君を引き取りたいと手紙をくれた者がいた」
「誰ですか?」

 ニコラス先生は1度話を止め、大きく息を吸っていた。

「君の実の父親だ」
「父さんがどうして今頃・・・」
「奥さんが、君にとっては継母にあたる人が亡くなられたそうだ」
「あの人が亡くなった・・・」
「だから、君と弟を連れてヴェネツィアに行くことを考えているらしい」
「ヴェネツィアですか?」
「君にとっては思いがけない話ばかりであろう。今すぐ結論を出さなくてよい。君の人生が大きく変わるのだから、よく考えて決めなさい。数日後に返事をくれればいい」

 しばらくの間、誰も何も話さなかった。






「ニコラス先生、決めました。僕は先生の友人という医者の方の家に行きたいと思います」
「それでいいのか?」
「はい、実は僕、誰にも言わなかったけど、医者になりたいとずっと考えていました。先生から借りた歴史の本を読んで、レプラという病気が古代ギリシャの頃から知られていながらいまだに治療法がなく、またその症状から患者は長い間、病にだけでなく差別や偏見に苦しめられてきたということを知りました。フリードリヒ2世の長男ハインリヒ7世は反乱を起こして捕まり、目を潰されて幽閉され、その間に不治の病にもかかってしまいました。いつ処刑されるかわからない恐怖の中、病で世話をする人の態度も変わり、絶望と闇の中で6年間生き、そして馬と一緒に谷底に身を投げました。皇帝の子で生まれながら高い身分でありながら、何も希望が持てないまま生きて死んでいった・・・」

 フェリペの目から涙が流れていた。

「今の時代も病や怪我で多くの人が苦しんでいます。僕は医者になるのは無理でも、苦しむ人を救い希望を与えられるような仕事をしたいとずっと考えていました。だから今、ニコラス先生から話を聞いて、僕をサポートしてくれるという人がいるのなら、迷わずそこへ行きたいと思いました」
「だが、そうなればもう実の父親とは一緒に暮らせない」
「僕は15歳になりました。もう親から離れて生きていく年齢です」
「それに彼はユダヤ人だが改宗している」
「必要であるならば、いつでも改宗します」
「君の決心が固いなら、すぐにでも彼に手紙を書く」
「ありがとうございます」
「君の父親のことはどうする?」
「父さんには僕から手紙を書きます」

 フェリペはきっぱりと言っていた。

「カルロス院長はどう思われます?」
「本人が決めたならそれでいい。私は忙しい」

 カルロス先生は立ち上がり、出て行ってしまった。






 アルバロとフェリペの修道院を出る日が決まり、その前日に2人のお別れ会が開かれた。孤児院の子と村人が招かれ、修道院の食堂でごちそうが振る舞われた。

「フェリペ、お前が医者になりたいと思っていたなんてちっとも知らなかったよ」
「僕も前から思っていたわけではないよ。本を読んで感動してそう思った」
「お前は頭がいいからきっといい医者になれるよ。でも俺たちはこれで永遠の別れになるのか?お前が修道院に来てからずっと兄弟のように思っていたけど、フランスに行ってしまったらもう簡単には会えなくなる」
「今度はフランスで会おう。君が一生懸命フランス語を勉強すれば・・・」
「わかった、そうするよ」

「カルロス院長、フェリペが気にしていました。急に立ち上がって出て行くから何か院長の機嫌を損ねるようなこと言ってしまったかもしれないと・・・」
「修道院長の機嫌を気にするとは・・・まだまだ彼は人を気にしすぎるところがある」
「私は知っています。あなたは本当は涙を見せたくなくて出て行かれたのですね」
「彼らにそう伝えたのか?」
「いいえ、何も言いません」
「それでよい」

「フェリペお兄ちゃんとアルバロお兄ちゃんは遠くに行ってしまうの?」
「ああそうだ。明日の朝早く、まだ暗い時間に馬車で出るから、今日でお別れだ」
「行かないで、お兄ちゃんたちが行ってしまったら僕は1人ぼっちになってしまう」
「大丈夫だよ。僕たち2人だけが出て行くだけで、他は何も変わらない。ミゲルもいるし、ニコラス先生、院長先生、それから孤児院の子、みんなここにいる」

 泣きじゃくるフアンをフェリペが一生懸命なだめていた。







 まだ暗い時間に馬車の動く音が聞こえた。私は自分の部屋のベッドでその音を聞いた。フアンは同じ部屋のベッドでぐっすりと寝ていた。この時の私はまだ気づいていなかったが、この後すぐ、10歳の時の体験で私の人生は大きく変わってしまう。アルバロとフェリペが修道院を出て行った日は私が無邪気な子供時代に別れを告げた日でもあった。あの事件の後、私はもう子供ではいられなくなった。
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