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第1章 修道院での子供時代

32、アラゴンの王様(1)

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ある日、私とアルバロ、フェリペの3人が図書館の上にある秘密の部屋に呼ばれて、ニコラス先生からアラゴンの歴史について教えてもらうことになった。

「今日から数日かけて君たちにアラゴンの歴史を教えよう。アルバロとフェリペはここを出る日も近いから、私が教える最後の授業になるかもしれない」

最後の授業がなぜ今のスペインのことではなく、何百年も前のアラゴンの歴史なのか私は疑問に思った。

「今、スペインだけでなく世界の状況は大きく変化している。スペインは大国となり、ドイツではプロテスタントと呼ばれる新しい宗教が流行している。君たちが大人になる頃、10年20年先はもっと変わるかもしれない。激動の時代に生きる時、歴史を振り返ることが1つの指針になると私は信じている」

ニコラス先生は私たちが大人になる時、10年、20年後には大きな変化があると言っていたが、私はこの時から1年もしない間に、ある出来事によって人生が大きく変わった。でもその時の私はそれを知らず、修道院の中で変わらない日々が続くと信じていた。




「アラゴンの初代王ラミロ1世が生まれたのは今から500年以上前の1020年頃と伝えられている。彼はナバラ王サンチョ3世の子であるが、正式な王妃の子ではなく庶子だったので生まれた年も正確に記録には残っていない」
「キリスト教社会では神の前で結婚を誓った者の間に生まれた子だけが祝福され、相続権を持つと聞いています。庶子であるラミロ1世がなぜ建国の王になることができたのですか?」
「ナバラ王サンチョ3世は息子たちに領土を分割して分け与えた。ナバラ、カスティーリョ、アラゴン・・・ラミロ1世がもらえた領土は山の間の狭い土地だった。それでも1035年、15歳の時に父サンチョ3世の死により、アラゴン王ラミロ1世として即位した」
「僕たちのいる修道院もアラゴン王国の領土内ですよね」
「確かにそうだが、このあたりの土地がアラゴンの領土になるのはもっと後の時代だ」

ニコラス先生の話によると、この修道院の場所も昔はイスラム教徒の王タイファが支配する土地だったらしい。

「アラゴン王ラミロ1世は狭い王国をもっと広げたいと考えた。1044年、弟ゴンサロの死によって、ソブラルベとリバゴルサを領土に加えたが、それでもそれほど広くはならなかった」

ソブラルベとリバゴルサ、聞いたこともない名前だった。

「ラミロ1世はその後ナバラとの国境の町を包囲したが、弟のナバラ王ガルシア3世が駆けつけて包囲は解かれてしまい、カスティーリャ王フェルナンド1世が仲介をしてナバラとアラゴンは和平条約を結び、結局アラゴンの領土の一部をナバラに割くことになった」
「ナバラとカスティーリャとアラゴンの王はみんなサンチョ3世の息子、兄弟で領土の取り合いをして争っていたのですね」
「その通りだ。その後ラミロ1世はサラゴサの領土を狙ったが、サラゴサのタイファはカステーリャ王に貢納金を払って援軍を求めた。アラゴン対サラゴサ、カスティーリャの連合軍の戦いの中、1064年頃にラミロ1世は亡くなった。その死因もはっきりとはわかっていない。戦死したとも病死だったとも伝えられている。44歳の時だった」

ここまで話してニコラス先生は大きく息をついた。

「アラゴンの初代王、ラミロ1世の生涯について、何か思うことや質問はあるか」
「カスティーリャ王は卑怯だと思います。どうしてイスラム教徒の支配するサラゴサに味方をして同じ兄弟の国であるアラゴンと闘ったのですか?」
「僕もそう思います。同じキリスト教国、同じ父を持つ兄弟でありながらお金に目が眩んでアラゴンと闘うなんておかしいと思います」

私はこの時はまだ同じキリスト教徒、同じ親から生まれた兄弟なら助け合うのが当然と考えていた。

「僕の考えは少し違います。僕の父さんは王様や貴族ではないただの商人だけど、かなりお金持ちでした。お金があるから悪魔のようなあの女に狙われて騙され、結婚して僕を追い出しました。王家ならなおさら領土を巡って兄弟で壮絶な争いが起きるのも無理はないと思います」

フェリペが珍しく強い口調で意見を言っていた。自分が追い出される原因となった継母のことをよほど憎んでいたのであろう。しばらくの間、誰も何も言わなかった。




「次にアラゴンの2代目の王、サンチョ・ラミレスについて話をしよう。サンチョ・ラミレスが生まれたのは1043年、この王の時からは記録がしっかり残っている。1058年、15歳の時に最初の結婚をして、19歳の時には王国の一部の地域を父の名で統治し、1064年、ラミロ1世が亡くなり、21歳でアラゴン王として即位した」
「若い時に王になっていますね」
「そう、サンチョ・ラミレスは若い時に即位したが、偉大な王であったと伝えられている。彼が統治した時代にアラゴンの領土は広がり、たくさんの教会や修道院が作られ、教会の儀式をローマ、カトリックの方法と同じにした。
巡礼の道にある町を整備し、経済的に発展させた。国の基礎がサンチョ・ラミレスとその次の王ペドロ1世の時代に作られたと称賛されている」
「理想の王だったのか」
「1068年、25歳の時にはローマへの巡礼の旅をして教皇やフランス王とも親密な関係を結んだ。また巡礼の旅が終わった後、自分はサン・ペドロの臣下になると宣言し、その時に生まれた長男にペドロという名前をつけた。後のアラゴン王ペドロ1世だ。サンチョ・ラミレスが生涯に行ったことすべてを語るには長い時間がかかるが、王は敬虔なキリスト教徒として理想の国づくりをしようという情熱に燃えていた」
「すごいなあ。かっこいいな。俺、そういう王様の家臣になりたいな」

アルバロがうっとりとした口調で言った。

「無理だよ、今の時代の王様は・・・」

フェリペが何か言いかけたがすぐに口を閉じた。

「あの時代、王はキリスト教を使って理想の国を作ろうとした。教会や修道院の制度を整え、戦争で領土を広げるたびに神へ感謝の祈りを捧げて奉納していた。キリスト教は王と国を導く光になっていた。だが今、その光は消えて世界は闇に包まれている。王も聖職者も・・・」

ニコラス先生も何か言いかけて口を閉じた。

「今日の授業はここまでにする。アラゴンの歴史について、続きはまた別の日に話そう」

フェリペとニコラス先生が何を言おうとしていたのか、その後私は知ることになる。そしてそのことはユダヤ人である先生とフェリペだけでなく、私の人生も大きく変えることになる。世界は闇に包まれ、怖ろしい出来事がすぐ近くで起きていた。ただ、私はこの時は何も知らないでいた。
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